第57話 「スマイル0G」
いつもの午後。いつものCマートの店内。
俺はカウンターで頬杖をついたまま、お客さんを応対しているバカエルフのやつを、ぼんやりと見ていた。
いや。尻は見ていない。
たまたま、あいつがあっちを向いていたせいで、たまたま尻が見えていたというだけであって、べつに尻を見ていたわけではない。
「まいどー、ありがとうございました~♪」
「……ました」
バカエルフが明るく笑って、お客さんを送りだす。
そのとなりで、エナのやつも、バカエルフを見習って、おなじようにしている。……が、エナの場合、遠慮しがちな声の大きさなので、最後のほうの3文字ぶんぐらいしか聞こえてこない。
うん。エナ。かーいー。かーいー。
お客さんが道を歩いて見えなくなってしまうまで、バカエルフのやつは、にこにこと笑みを浮かべていたが――。
急に、くるりと振り返って、俺のほうに向いてきた。
「マスター。なんでしょう?」
「なんでもねえよ」
俺はずびっと、視線を背けた。
「さっきから、なんか、ここのあたりに視線を感じていたのですが……?」
お尻のあたりに手をあてて、バカエルフは言う。
「濡れ衣だ」
「え? 濡れた、服……ですか? えっ? お尻のとこ、濡れています?」
バカエルフはぴろっと上着の裾をめくって、ズボンのお尻を確かめている。
誤変換だな。うん。
俺がしゃべった言葉は、なにか、この世界の不思議な仕組みで、こちらの言葉に自動翻訳されているらしい。
だが魔法も完璧じゃなくて、たまにこうした誤変換が起こることがある。
俺の言った「濡れ衣」という言葉が、たぶん、こちらの世界になかったんだろうと思う。
ああ。なるほど。犯罪に関わる言葉だからか。
善人ばかりのこの世界では、犯罪はほとんど起きない。「濡れ衣」にあたる言葉がなかったんで、そのまんま、「濡れた服」って、頭の悪い直訳になってしまったわけか。
あっはっは。ダセぇ。世界の魔法。わりとチョロい。
「なに笑ってるんですかー? どこですかー? どこが濡れているんですかー?」
「どこも濡れてねえよ」
「なんと。うそですか。マスターはうそを言ったのですか。うそいくないですよ」
「うそも言ってない」
俺は言った。ケツを見ていたことは確かだが、ケツが濡れてるということは言ってない。誤変換だ。
「うそだー。うそだー。それはうそです。ねえほら。エナちゃん。マスターをいっしょにやっつけましょう」
バカエルフは、エナを味方につけようと画策するが――。
「おちゃ。いれます」
エナは、お茶の支度に取りかかっている。
最近のエナは、Cマートのお茶淹れ部長だ。エナの淹れたお茶がいちばん美味いと、もっぱらの評判だ。
最初はただ褒めていただけだったのだが、皆に褒められたことでやる気を出したのか、エナの腕前は、ぐんぐんと上がっていった。
いまでは本当に、めちゃくちゃ美味い。
同じ道具で、同じ水で、同じお茶っ葉を使っているのに、俺の舌でもわかるぐらい、味に違いがでている。
まじめな顔でお茶っ葉の計量にとりかかるエナを、しばらく見守ったあとで――俺はバカエルフに顔を向けた。
さっき思ったことを口にする。
「おまえのスマイルは、ほんと、0円だなー」
「0円? 人生ゲームのお金がどうしました?」
「いやそっちじゃない。俺の世界のお金の単位だ」
「そんなの、わたしが知るわけないじゃないですよ」
「そこは問題じゃない。おまえはいつでもスマイル0円だなと。――そう思っただけ。忘れろっ」
こいつはいつでもニコニコと笑っている。
愛想笑いじゃなくて心からの笑いだ。
それを言おうとしたのだが……。
よく考えてみれば、これって、褒めていることにならなくね?
なんで俺が褒めなくちゃならないんだ。
「やーい。バカー。バカエルフー」
「なぜいきなりわたしはマスターに、ばかにされなくてはならないんでしょう」
「俺がしるか。おまえがわるい」
「わたしはなにがわるかったのでしょう」
俺たち二人が、いつもの言いあいをしていると――。
「おちゃです」
エナに呼ばれた。
声にちょっとトゲがあった。
ケンカ、めっ。――的な感じで、エナから、「めっ」とやられてしまった。
バカエルフのやつは、てへぺろ、とか舌を出してテーブルに向かう。
俺はばつが悪くて、後ろ頭をぽりぽりとかきながら、椅子についた。
エナに叱られたー。叱られたー。叱られたー。
なんかエナ。いつのまにか、たくましくなってね?
ちょっとショック。でもちょっと嬉しい。
そしてちょっとキモチイー。エナに叱られるの、やみつきになりそー。
しかし――。
バカエルフとの、いつものバカなコミュニケーションをやってただけなんだが。
べつにケンカしていたわけでは、ないんだがなー。
お茶をくぴくぴと飲む。
お茶受けには羊羹。
この世界では砂糖は貴重品らしく、甘いものは飛ぶように売れる。
このCマートにおいて、商品の値段は、あってないようなものであるが――。
需要と供給? ――とか? そんなような感じで、値段が定まることもある。
俺やらジルちゃんやらの運んでこれる入荷数と、品物の人気具合による売れ行きとで、値段は上がったり下がったりもする。
そんなわけで、羊羹はけっこうな高級品になってしまった。
現在の羊羹のお値段は……、おやつでぱくぱく食べるには、ちょ~ぉっとお高いお値段。
もちろん、ガキが小銭を握りしめて、顔をテカテカさせながらやってきたときには――。
値段は、そのガキの握りしめてきた小銭の額まで、突然、下がったりもする。
そんな高級品の羊羹だったが、Cマートの店内では遠慮なく消費されてゆく。
「なぁ。スマイル0円。やってみろよ」
俺はバカエルフに、そう言った。
「こうですか?」
ぺからー、とか、100ワットくらいに明るい笑顔が、ぱっと咲き誇った。
なんでこいつは、なんにもないのに、笑えるんだ。
「……」
エナが、「めっ」という顔で、俺を見てくる。
「ケンカしてない。してないよ? ……エナさん?」
俺は慌てて、エナに言った。
わたわたと手を振って、無実と無罪とをアピールした。
それでもエナは、じーっと俺を見る値踏みする目付きを変えてこない。
ちょっと、こわいですよ……? エナさん?
「エナちゃんはー、怒ってるんじゃないんですよー、妬いてるんですよー。マスターとわたしが、仲がいいからー」
バカエルフが言う。バカなことを言う。
んなわけあるか。的なことを、しれっと言う。
仲がいいわけあるかっつーの。ばーか。ばーか。ばーか。
だからおまえはバカエルフなんだっつーの。
ばか。ほんとばか。
だがエナは――。
「そ、それ――!? ちが――!? だめ――! いっちゃ! エルフさん――!」
わたわたわた、と、両手をばたばたと振りたくって、慌てていた。
そしてその手で、隣の席のバカエルフの胸を、ぽかぽかぽか、と、叩きにいっていたりする。
目の端っこに、涙まで浮かべて、やーめーてー! って感じで、ぽかぽか、甘叩きしている。
うん。かーいー。かーいー。かーいー、のではあるが……。
あれ?
なんだろ? これ?
ひょっとして、これ正解?
え? なんでバカエルフと仲良くしてる――してないけど――、エナが、むくれんの?
ん? ん? ん?
んーっ?
俺はエナを、じーっと見た。
エナはうつむいて、手を腿の上でぎゅっと握って、肩をぷるぷると小刻みに震わせていたが……。
やがて俺の視線に耐えかねたのか、顔をずばっと持ちあげた。
きっ――と、俺のほうに向く。
「エルフさんのっ……、笑顔はっ、それはステキだけど……。わたしだって――笑えますっ」
ニイィィィ……。
いや――、いやいやいや! なんかこわいよ? エナさん?
それは笑顔というより、魔物の顔だよ?
「エナちゃん。ほら。こうですよ」
バカエルフが笑顔のお手本を見せる。
にこにこっ。
ぱあっと背景に花が咲く。
……いや。咲かないけど。
なんか、いま一瞬、花でも咲いたように錯覚した。
「こ、こう……?」
ギイイイイィィィ。
なんか物凄くマズイものでも食べちゃったような顔を、エナはした。
いやいやいやいや。それ笑顔と違うから。
「わかんない……。笑ったことない」
エナはそう言った。
なんか、ここへ来た当初のときみたいに、すさんだ顔をして、そう言った。
いやいやいやいや。エナ。笑ってるって。最近よく笑ってるから。
自分じゃ気づいていないかもしれないけど。
わりとナチュラルに笑顔だしてるから。
それでいいんだってば。ナチュラルで。
そんな魔物ないしは蟲の王みたいな笑顔を、無理矢理作らなくたって――。普通に笑えばいいんだってば――!
「ほら。マスターも、お手本、みせてあげてくださいよー。エナちゃん。困ってますよー」
「え? 俺か?」
俺は自分の顔を指差して、聞いた。
「そうですよ。はい。お手本。お手本~♪ スマイルは0円なんですよね? はい。ぷり~ず♪ ぷり~ず♪」
そう言われても、困るな。
いざ笑え、って言われたって、意識して笑うことなんてあんまりないし。
意識して笑っていたら、あざといし。
自然にこぼれ出すものが笑いというものだし。
「ええと……、ええと……」
俺は困っていたが、エナのために、頑張って笑おうとした。
「ええと……、ええと……、えと、えっと――」
俺があたふたしているのが、面白かったのか――。
エナは、くすっ、と笑った。
「それだーっ!」
俺はエナの顔を指差して――叫んだ。
その声にびっくりして、エナは――、びくっと身を固めた。
あああああ。
笑いが顔から消えてしまった。
◇
その後、俺とエナで、がんばって、笑おうとしてみたが……。
なかなか、「自然な笑顔」というものは難しかった。
バカエルフのことを、ほんのすこしだけ、すごいと感じた日であった。
――バカだけど。
連載再開で~す。4巻の刊行を目指しまして、しばらく隔日連載となる予定です。