第55話「人さらい」
いつもの昼すぎ。いつもの現代世界の路上。
俺は大きな荷物を背負いながら、てくてくてくてく――と、道を歩いていた。
たまに曲がり角があると――。
ふいっ、と、曲がってみたりする。
だが道を曲がったさきに開けるのは、代わり映えのしない「現代」の光景――。
自然溢れる異世界へは、なかなか、迷いこんでいけない。
「動くな」
背中に背負っている大荷物が、もぞもぞっと動くので、俺はそう言った。
動きがぴたりと止まる。
だがふたたび、しばらくすると……、もぞもぞっ。
担いでいる背中がこそばゆい。
(まれびとさぁん……)
俺の背負っている大荷物から――巨大リュックサックの中から、声が響く。
俺は慌てて足を止めた。
周囲にきょろきょろと目をやって、まわりに人がいないことを確認する。道の反対側の歩道あたりにいた人が、歩いていって、遠ざかってゆくまで、用心深く待つ。
そうしておいてから、リュックの中身に向けて、小声で話しかけた。
(ちょ……、美津希ちゃん。頼むから静かにしていてくれ……。俺。こんなの人に見つかったら、おまわりさん呼ばれちゃうから。〝おまわりさん! ここでーす!〟って、なっちゃって、俺、逮捕されちゃうからね? ……わかってる? ……たのむよ?)
リュックの中身が、静かになる。
(あの……、疲れた? 疲れたなら。合図2回で――)
とんとん、と、リュックの中から合図があった。ちょうど2回。
俺は慌てて、周囲に目をやった。
ここでリュックを開くわけにもいかない。
ちょうどいいことに、近くに公園があった。そこに逃げこむ――。
いや。駆けこむ。
でっかいタマゴみたいな遊具のなかに入りこんで、リュックサックを開いた。
「はうぅー、うううぅーっ……」
リュックの中から顔を出した美津希ちゃんが、まず最初にやったことといえば――。
大きく空気を吸いこむことだった。
女子高生リュック詰め・拉致監禁事件――。そんな言葉が、俺の脳裏に浮かぶ。
まあ、仮に、通行人に気づかれて、「おまわりさん! あそこです!」とやられたとしたって、美津希ちゃんが証言してくれるはずだけど……。
今日やっている〝これ〟は、「美津希ちゃんと一緒に異世界に行こう!」のプロジェクトの一貫であった。
以前は、手を繋いで、てくてくと、どこまでも歩いた。
ひょっとしたら、俺が持ち運べる物でないと持ちこめないのかもしれないと考えて、本日のこれは、「持ち運び」のほうでやってみたわけだ。
美津希ちゃんが犬みたいに、ぶるぶるっと首を振って、髪を撫でつけはじめる。
ずっとリュック詰めになっていた美津希ちゃんは、汗ばんでいて――。
遊具の中の狭い空間で、その汗の匂いが漂ってくるほどで――。
「はうー……、けっこう大変ですね。これーってー……」
「そ、そうだね……」
俺は愛想笑いを浮かべた。
美津希ちゃんは勘の良すぎる娘なので、へんなことに意識を向けていることがバレてしまわないか、気が気ではない。
「あ。ごめんなさい」
と、美津希ちゃんはそう言った。
なにかに気づいた。お気づきになられてしまった。
俺はびくびくと、美津希ちゃんがなにに気づいたのか――言われるのを待った。
「狭くて苦しかったー、とか、わたし、自分のことばっかりでぇ――」
「ん?」
「わたしより、まれびとさんのほうが、ずっと大変でしたよねー。……あの? 重たく……、なかったですか?」
ああ。そっちでしたか。
「ああ。うん。だいじょうぶ。こう見えても、毎日、荷物背負って運んでいるし。いつもは50キロも60キロも運んでいるから――」
「そんなにないです!」
急に大声になって、美津希ちゃんが叫ぶ。
「え?」
「そんな60キロなんてないです! ぜったいないです! そんなに重たくないですから!」
女子高生的には、そこは絶対譲れないところなのだろう。
俺は、こくこくこく――と、首を縦に振って返した。
「よ、40キロなら……、か、かるいよねっ」
俺は言った。美津希ちゃんってば、けっこう軽い。
袋詰めにして、背中に背負った感触では、もうすこしあるかと思ったが……。
「そ、そりゃぁ……、50キロくらいは……、ま、まあ……、ありますけど……」
あるんだ。
てゆうか。さっき。50キロないって言ってなかった? 俺、同意させられたよね?
俺が、じーっと見つめていると、美津希ちゃんは、「おほん」と小さく咳払いをして、話題を変えた。
「どうですか? 向こう……、行けそうですか?」
「うーん?」
俺は腕組みをして考えた。
正直、どうだろう?
美津希ちゃんが
女子高生を袋詰めにして運んでいるという、背徳的――げふんげふん。
刺激的――げふんげふん。
ちょっと通常ではないシチュエーションが災いして、どうも平常心になれない感じ。
平常心にならないと、転移【転移:リープ】できない感じ。
心拍数がフラットで、無心になって、α波の出ている状態が、あちらの世界と接続するために必要な心境なのだが――。
「だめですか?」
美津希ちゃんが小首を傾げる。さらりと、黒髪が流れ落ちる。
「うーん。うーん」
俺は悩んだ。考えた。なんとか美津希ちゃんを、あちらの世界に連れて行きたいと思ってはいるのだが――。
バカエルフと接しているときよりも、どきどきとしてしまうことは否めない事実であり、それが転移【転移:リープ】の妨げになっているのは、確実であって――。
「Huh? You are MAREBITO! What doing?」
なんか、上から声がした。たぶん英語で話しかけられた。
俺は卵形の遊具に、美津希ちゃんとすっぽりと入っていた。
天井方面に顔を向けると、穴が開いていて、そこから、ぱんつが――じゃなくて、制服姿の女子中学生が覗いているのが見えた。
あれ? この子……、どこかで見覚えが……?
金髪に青い目。女子中学生の制服を着てはいても、中身は生粋の白人少女。
話す言葉も、バリネイティブの英語で――。って?
「あれ? 向こうじゃ日本語話してなかったっけ? ――ジェラルディンちゃん?」
美津希ちゃんが、誰です? ――って、顔をして、俺を見ている。
俺は説明した。
「ええと。この子は、向こうのアルバイトっていうか――。物資調達を頼んでいる子で――」
そんなふうに簡単に紹介する。
ジェラルディンちゃんは、卵形の遊具のなかに降りてきた。
子供用の遊具に三人で収まると、だいぶ狭い。膝が触れあうぐらい。
ジェラルディンちゃんは、自分のカバンからホワイトボードを取り出してきた。
さらさらさらーっと、文字を書いて、ぱたりとこちらに向けてくる。
『わたし。日本語。話すのは苦手なんです。まれびとさんこそ、向こうじゃ英語話していませんでした? とても綺麗な発音で』
「いや。俺。英語なんて話せないって。あ、あいきゃんと……、すぴーく……」
俺がなんとか言える英語を口にする。
彼女はくすくすと笑った。
「はじめまして。Cまーと。の。あるばいと。の。……じぇらるでぃん。です。』
こんどは彼女の番だった。日本語で話すと、言葉遣いがカタコトになっている。
俺は笑った。
手で書く文字は綺麗で流麗なのに、話し言葉のほうは、ぜんぜんだった。
「そういえば……。あちらの世界で言葉が通じる理由は、大地にかかった魔法がどうとかいう話を聞かされたような……。お互い、日本語と英語を話していたわけか」
『はい。不思議ですねー』
「ジェラルディンちゃんは、向こうの世界、行けるんですかー? いいなー。いいなー。いいなー」
美津希ちゃんは言った。
三回も言った。
『あれ? 行けないんですか?』
「行けないんですよー」
美津希ちゃんはしょんぼりとして言う。
「いや。美津希ちゃんのせいじゃないんだ。俺が不甲斐ないばかりに……」
『まれびとさんに連れて行ってもらうことがMUSTでないなら……。わたし、連れて行きましょうか?』
「え?」
「ええっ?」
俺と美津希ちゃんは、揃って、声をあげた。
「できるのっ!?」
「できるんですかっ!?」
『わたしの方法は、まれびとさんと違うから。猫さんたちの通る道ってあるんです。猫さんたちは異世界をあちこち行き来していて、案内してもらって、その同じ道を、同じように通っていけば、誰でも異世界に行けますよ』
「そ、そこのところをもっと詳しく!?」
ホワイトボードがいっぱいになっていたので、いっぺん、拭き消して――。
つづきを書く。
『ええと。塀の上を歩いて。人んちの庭を横切って。壁をぽうんと飛び越えて。そんなルーティーンがあって。ぜんぶ。同じようにやると、異世界に行けるんです。まれびとさんのいる世界にも、そういうふうにして行きました』
「そ、そうなのかっ!?」
「じゃ、じゃあ!? そうすればわたしも!?」
美津希ちゃんと二人、手を握りしめて熱くなる。エキサイトする。
だが――。
「あっ……。でも塀の上とか歩くの……、わたし、無理かも?」
先に正気に返ったのは、美津希ちゃん。
そう言って、またしょんぼりとする。
たしかにそうだ。俺の方法より困難かも?
ジェラルディンちゃんは、外見はおっとりしてみえるが、中身のほうは、ずっと身軽で、そういうのが得意なのだった。
『ああ。だいじょうぶですよー。わたしが運びます』
「えっ!?」
「えええっ!?」
俺と美津希ちゃんは、また驚きの声をあげた。
◇
「きゃー! エルフさん! エルフさん! エルフさんだー!」
「きゃー! ミツキちゃん! ミツキちゃん! ミツキちゃんですー!」
俺が俺のやりかたで異世界リープして、戻ってみたときには――。
店の前で喜びあう二人の姿があった。
手を取り合って、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
傍らにはジェラルディンちゃんの姿がある。微笑ましく、二人を見ている。
汗もかいてないっぽい。すげえ。
女子中学生が、「お姫様だっこ」で、美津希ちゃんを、ひょいっと持ちあげたときには驚いたものだった。
だが考えてみれば、俺の数倍の積載量を誇る、すごい力持ちのスーパー女子中学生のこと――。
女子高生をお姫様だっこするくらい、わけはないのだろう。
「会えてよかったー! 嬉しいですー! やっぱり思っていた通りのひとでしたー! 綺麗ー! かわいー!」
「ミツキちゃんもかわいーですよー!」
「エナちゃんはじめまして! いつも聞いてます!」
美津希ちゃんに言われたエナは、物怖じをして、俺の後ろに隠れにくる。
うん。かあいい。かあいい。
喜ぶ二人を見ていた俺だが――。
ふと、ある不思議なことに、気がついた。
バカエルフと美津希ちゃんは、知り合いのようで、はじめての対面を喜び合っているようなのだが……。
どこで知り合ったんだ?
ま……、いっか。