第53話「バイトを雇う」
ちゅん。ちゅん。ちゅん。
いつもの朝。いつものCマートの店の前。
エナとバカエルフと俺と、三人で並んで、しゃっこしゃっこと、歯磨きをする。
がらがらー、ぺーっと、やってから、俺が顔を持ちあげると――。
「ん?」
女の子が歩いていた。
しっぽを、ぴん、と立てて、まるで案内するかのように歩く猫の後ろに、女の子が歩いていた。
年齢はエナと美津希ちゃんの、ちょうど中間くらい。向こうの世界だったらJCとか呼ばれるあたりだ。
べつに取り立てて、どうということもない光景なのだが――。
「綺麗な金色の髪ですねー」
俺がじいっと見ていたせいか、バカエルフのやつが、俺と同じほうに顔を向けて、そんなことを言った。
「ほらマスター。わたしも金色ですよー」
バカエルフがバカなことを言う。そんなことを言うとまたエナが――。
俺は、ふいっと、尻を逃がした。そうでなければ、つねられてしまっていたところだろう。
「あ――、いなくなっちゃった」
そうこうしているうちに、女の子の姿は消えていた。
「マスター、そんなに気になってたんですか? もしかしてホントに――?」
バカエルフがバカなことを言う。だからそんなことを言うとまたエナが――。
つねられてしまう前に、エナを逆に捕まえて、「たかいたかーい」と持ちあげて――。ぐおお。ガキみたいに軽くいかねえぇ――。
エナはガキじゃなくて、リトル・レディなんだなー、と、再認識しつつ、頭上になんとか持ちあげて、事なきを得る。
「ばかなこと言ってんじゃねえよ。なんか、へんだなー、と思って見ていただけで。そーゆーのとは違うから」
「そーゆーのって、どーゆーのですかー?」
バカエルフが言う。
なんか頭上に持ちあげてているエナから、重圧を感じる。これはしばらく下ろせそうにない。
◇
昼も過ぎた頃になって、違和感の正体が、急にわかった。
「そうだ! わかった!」
「なにがわかったんですか? マスター?」
「なんか変だと思ったんだよ! なにが変なのか――わかった!」
「変なのはさっきからマスターなんですけど」
バカエルフは呆れたように言う。
なんの話かわかっていないっぽい。
ばかめ。ほんとばかめ。
さっきの話に決まっとろうが!
何時間か前にやってた話題だ! 朝見かけたあの女の子の話だ!
「マスター。何時間も前の話を、いきなり脈絡もなく唐突にはじめて、それでわたしをバカっていうの、さすがに無理があると思うのですよ?」
「言ってない! 言ってない! 思っただけだ! ――てゆうか! 心の声に突っこみ入れるな! それ禁止!」
なんか大地にかかっている偉大な魔法がどうとかで、この世界では、話もできるし、心の声が洩れてしまうこともたまに起きるそうなのだ。
「――で、あの女の子ですけど。どこが変だったんですか?」
「携帯持ってた!」
「は? ケイタイ? それはなんですか?」
「携帯電話! スマホじゃなくてガラケーだったけど、あれはたしかに携帯だった! あと着てた服! こっちの服じゃなくて、あれは、どこかの中学校の制服だ!」
「は? せーふく? それはなんですか?」
「あーもう! なんですぐに気づかなかったんだ!」
「は? わたしですか? わたし、怒られてます?」
「ちげーよ! 自分に怒ってんだよ! なんですぐに気がつかなかったかなー! あっちの世界の女の子だって! 俺とおなじに! ここに来れる子なんだって!!」
「はー。なるほど。マスターの世界の人だったのですね。まあ。マスターだって来られるんですから、ほかに来られる人がいたって、不思議はないですね」
「探さなきゃ!」
俺は女の子を捜し回った。
街のなかを走り回った。市場に行った。街の外れまで行った。
彼女を見かけたのは朝。そしていまは昼。
もう数時間は経ってしまっている。
金髪で青い目をした少女が、どこへ行ってしまったのかは――、わからない。
もうこの街にはいないのかもしれないし、現代世界のほうに帰ってしまったのかもしれない。
見つからない、という事実だけが、すべてだった……。
「はぁ……。せっかく見つけた〝向こうの子〟だったんだがなー」
俺は肩を落としながらCマートへの道を、とぼとぼと歩いた。
もしあの子を見つけられたとして、俺はなにをしたかったんだろう?
手を取りあって喜ぶのだろうか。
同郷……っていうか、おなじ世界の生まれとして?
それとも、どうやってこちらに来たか、聞くのだろうか?
なんか、どっちも、意味がないような気がする。
じゃあ、見つけて、なにをしたかったんだろう……?
うーん……? うーん……?
わからん。疲れて頭がまわらん。
あと。ハラへった。
途中でオバちゃんの店の前を通りがかった。
いい匂いが外にまで漂ってきている。
この時間なら、もう、バカエルフもエナも夕飯をとっているだろう。
俺もオバちゃんのところで、なんか食ってくか――。
と、店に入ると――。
「いたーっ!!」
俺は立ちつくし、わなわなと震えて――指差していた。
「Huh?」
ぱっくんと、さじを口に入れて、女の子が振り向いた。
こちらの世界の食事を、ぱくぱくと食べてる、あの子がいた。
「How do you do?」
「うえっ!? え、英語っ……?」
それはたぶん英語……だと思う。意味はちょっとわからないが。聞き覚えのある響き。あちらの世界の言葉……。
「Hum.....ええと、あなた、日本人ですか?」
「え? あ? あれっ? 日本語? あれ? いま君、英語話してなかった?」
女の子の話す言葉は、すぐに日本語として聞こえてくるようになった。
女の子が英語から日本語に切り替えたのか、それとも――。
「ええ。はい。話してますけど? あなたも英語、お上手なんですねー」
女の子はそう言った。
ああ。やっぱり。相手は英語で話しているつもりなのだ。そして俺の話している言葉も、彼女には英語として聞こえるのだ。
「私。ジェラルディン・バーンシュタインっていいます。あなたは?」
「あー……、俺は……」
本名を名乗ろうかと思ったが――。オバちゃんもいるし。こちらで通っている名前のほうにする。
「俺は、ここじゃマレビトって言われてる」
「あはははは」
脇で見ていたオバちゃんが笑う。
「あんた、それ名前じゃないよー。賓人さんっていうのは、〝外から来た人〟って、そういう意味だよー。その意味でいったら、この子だって、賓人さんになるねー」
え? そうだったん?
俺、すっかり「マレビトさん」なんだけど。
困ったなー。
「この子。あんたんとこの子なのかい?」
「いや。俺んとこっていうか……。たぶん同じ世界だと思う」
俺は椅子に座る女の子の格好を見た。
どこかの中学校らしき制服。白い夏服の上にカーディガンというのが、今風のJCの着こなしっぽい。
しかし……。
ほんとにJCだ……。
学校帰りにファミレスにでも寄ったような感じ。
隣にオバちゃんが立っていなければ、あっちの世界だと、錯覚してしまいそう。
「もう、聞いてよ聞いてよ――。この子ったらさー、あんたみたいなこと言うのよー。〝味うすいですね。お塩ないですか?〟――とかさー」
「あはははは。言った言った。俺言った」
「もう、どこのお姫様かと思ったさねー」
「あ――。ここって、お塩、貴重品なんですか?」
女の子はそう言った。俺たちの会話から、すぐにそこに気がついた。
「まー。貴重品っていえば貴重品なんだけどー。最近はそうでもないっていうかぁー?」
オバちゃんの流し目が、俺に向けられる。
女の子は食事を食べおわった。
「ごちそうさまでした。美味しかったです。――お代なんですけど」
こっちの世界のお金なんて持っていないだろうに、と、思ったのだが――。
彼女は首から提げてるお守り袋を開いた。意外と和テイストのアクセサリーだ。
そこには、砂金の小粒が、いくつか入っていて――。
「これで足りますか? お塩のぶんも?」
たぶんちょうどぴったりの額の金のつぶが、一つ、テーブルに置かれた。
「ああ。いいよいいよ。賓人さんのお客さんなら、うちはいつでもタダだよ」
オバちゃんはエプロンのお腹を、ぱーんと叩いて、そう言った。
「ありがとうございます!」
女の子はさっぱりとした笑顔を浮かべて、そう言った。
砂金の粒は、ペンダントに戻す。
「いつも持ち歩いているの? それ……、金」
「ええ。日本円持ってきても、こういうところだと、使えませんから」
「こういうところ……って、けっこう、行き来したりすんの? ほかの世界にも行ったりすんの?」
「ええ。猫さんに案内されて、よく、行きますよ? ……ここは、はじめて来たところみたいですけど?」
女の子は店の中や、ちょっと見える外の様子を見回しながら、そう言った。
「え? 猫? え? マジ?」
「――ちょっと、できたら詳しく話をきかせてくれないか? えっと……ジェラルディンちゃん?」
しかしジルちゃんは、携帯を開いて、なにやら思案顔――。
「うーん。やっぱり、ここ、携帯繋がらないですよね? アンテナ立たないですよね。あんまり遅いと姉さんが心配するから……」
「ジェラルディンちゃん?」
「あ。ジル……で。いいです。みんなからは、そう呼ばれてますから」
「じゃあジルちゃん。うちの店すぐそこだから! ちょっと! ちょっとでいいから!」
「えっ? あれっ? あれあれっ? あーれー」
ジルちゃんの手を握って引いて、通りを急いだ。
道のほぼ向かいにある我が店へと――。
そんな俺の強引さにも、ジルちゃんは、にこにこと楽しそうに、笑っていて――。
◇
Cマートにアルバイトが増えた。
俺の店は新たな「輸送力」を獲得した。
彼女の異世界転移の方法は、どうやら俺と違うらしく、猫だけが通ることのできる「猫道」をついてゆくことで、色々な世界に立ち入れるそうだ。
そんなジルちゃんには、「定期便」として、塩その他の物資を運んでもらうことになった。
お給料は日本円――だと、女子中学生相手に、労働基準法なんとかで、まずい気がしたので――。
砂金のつぶ。
彼女は意外と力持ちで――。積載量は、俺の軽く3倍以上。すごいスーパー女子中学生だった。