第52話「せくはら」
「マスター。〝せくはら〟――とは、なんでしょう?」
「は?」
いつもの午後。いつものCマートの店内。
バカエルフのやつが、突然、へんなことを言いだすものだから――。
俺はぎょっとなって、顔を向けた。
「ここに書いてあるのですよー。なにやら、〝せくはら〟とかいうもので、〝かいしゃ〟とやらを、〝くび〟になった人の話が」
バカエルフが読んでいるのは新聞だ。わざわざ持ちこんだわけではなくて、なにかの品物あいだに紛れていたのだ。
なんだったっけ?
たしか、ガラスの器かなにかを買ったときに。包んでもらったよーな。
ガラスの食器は、売れるのだ。陶器だとぜんぜんなのだが、ガラスだと、「珍しい」とか言われて、なぜか、飛ぶよーに売れるのだ。
「せくはら、というのは、なんですかー?」
「まあ……あれだ。パワハラの……セクハラ版」
「なにいってるのか、わかりません」
バカエルフは、きょとんと首をかしげる。
「うーん。説明が難しいんだよなー」
俺は店のなかをきょろきょろと見回した。
「エナは?」
「いま配達に出てもらってます」
そうだった。エナはいなかった。
あんま子供に聞かせる話でもないしな。ちょうどいいか。
バカエルフは店の商品整理などをやっている。
俺はその横を通り過ぎながら、そのお尻のあたりを、すれちがいざまに――さわっ、とやった。
「どうだ。わかったか? こーゆーのがセクハラだ。説明するのが難しいからやってみたのだ。おまえが聞くからいけないんだぞー。これに懲りたら――」
「はい? いまなにかしました?」
バカエルフはそう言った。
なんと。気づいていないようだった。
ちっ。しょうがない。
俺はもういちどバカエルフの脇を通り過ぎた。こんどは前よりもしっかりと、お尻にタッチ。
「はーっ、はっはっ! どうだわかったか! これがセクハラだ。はっはっは! どうだ、思いしったかー!」
だがしかし、バカエルフのやつは、ぽかんと突っ立ったまま。
「きゃー」の声の一つもない。
「マスターは……、発情期、なのですか?」
「いやちがうけど」
俺は手をぱたぱたと振った。否定した。
だいたいなんだよ。その〝発情期〟って? 動物とかじゃあるまいし。
「ではなんでお尻をさわるのでしょう?」
「そ、それは……、けっしてそんなつもりではなくてだな! ――そ! そうだ! おまえが変なこと言うからだ。〝セクハラ〟が、どーだとか!」
「そうそう。〝せくはら〟ってなんなんですか? いじわるしないで、教えてくださいよー」
「だーかーらー! いまみたいに体をさわってきたり! あとは――そうだ! こーゆーこと言ってみたり! ――おいバカエルフ。おまえって、けっこう、胸、あるよなー」
「そうですか? 普通だと思いますけど」
バカエルフのやつは、ごく普通に、しれっと言い返してきた。
「おまえ指が5本あるよなー」「そうですね」ぐらいの感じで、ごくあたりまえのように、普通に言い返してきた。
「お……、おまえって、いいケツしてるよなー。安産型だなー」
俺は負けなかった。
セクハラオヤジがいかにも言いそうなことを――言ってやった。
「さあ? それはよくわからないです。わたし。まだ子供産んだことないですから」
バカエルフのやつは、しれっと言い返してくる。
あまりに普通に答えてくるから、なんか、俺のほうがダメージを食らいそうだ。
しかし……。
知りたいっていうので、わざわざセクハラやってやったというのに、これでは、あまりに張り合いがないというか……。なんか負けた気分……。
スカートでもめくってやろうか?
――とか。思ったが。
バカエルフのやつは、ズボン穿いてた! スカート穿いてなかった!
そういえば、こっちの世界の女の人は、ズボン派が多い。てゆうか。多いじゃなくて、スカートなんて、まず見かけない。いや……? 〝まず〟とかでなくて、一回も見たことないんじゃないか?
俺は、がっくりと落ちこんだ。
なんか完全に敗北した気分だった。この気分は――そうだ。あれだ。俺はこの気分を前に感じたことがあった。
昔々、俺がまだエナくらいの子供だった頃。スカートめくりをやって、そしたら、相手から「きゃー」のかわりに、違うリアクションをもらった。「ばか?」と、糞虫でも見るかのような目を向けられたときに感じた気分――それと同じだ。
「ただいま」
エナが帰ってきた。
「おじさんいましたかー?」
バカエルフが聞いている。
エナは、こくこくとうなずき返している。
腰をぎっくりとやってしまった人がいて、異界|(現代のことだ)の湿布薬が効くということで、配達してきてもらっていたのだ。
そういや、エナは、スカートみたいの、はいてたなー。
スカートというかワンピースというか、頭からすっぽりとかぶるだけで着れる、シンプルな服だ。
足元は閉じずに、すーすーさせたままだから、あれは、スカートと言えないこともない。
だがまさか、エナのスカートをめくるわけにもいかない。
かわりに俺は――。
エナを見ていて、ちょっと気がついたことを――口にした。
「エナもそろそろ、おっぱいでてきたなー」
ぱぁん!
ほっぺたを――ぶたれた。
俺の頬を引っぱたいたエナは、自分でも、びっくりしていたようで――。
すぐに大慌てになって――謝ってきた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ――だってへんなこと言うから。ぶっちゃってごめんなさい! 思わず手が――! 痛い? ねえ痛かった?」
俺にしきりに謝ってくる。引っぱたいてしまった俺のほっぺたに、背伸びしながら手を伸ばしてきて、撫でさすってくる。
「ぶっていいです。――わたしもぶって!」
そんなことを言ってくるエナの頭を、俺は撫で撫でとしてやった。
悪いのは俺だ。ぶたれるようなことをしたのは俺だ。ぶたれて当然のセクハラをしたのだから――。
そう! これがセクハラだ!
「わはははは! どうだ見たかバカエルフ! これがセクハラだ! セクハラというものだ! 引っぱたかれるようなことを言うのが! セクハラだ!」
「あー。はいはい。……なんとなくわかりましたー。……でも、そーゆーの、人にはやらないほうがいいですよー」
バカエルフのやつは、そう言った。
その目は例の「糞虫を見る目」に近いような気もしたが、きっと、気のせいだろう。
「じゃあ……、すると……。〝くび〟っていうのも、きっと、良くないことなんですねー」
「そうだな。くびっていうのは、つまり、くびだ」
「マスター。人に説明するの、ほんと、へたですねー」
「うるせえ。おまえもクビにすっぞ」
「なんでわたしが〝くび〟なんですか? セクハラしたほうが〝くび〟になるんですよ。つまりこの場合、〝くび〟になるのは、マスターのほうです」
「ええっ! 俺! クビ!? ええっ? ええーっ!?」
「それでは被害者のエナちゃんに聞いてみましょう。マスターを〝くび〟にしますか? それとも許してあげますか?」
「……やめちゃ。やだ」
エナは言った。
よし! 店主はクビにならずに済んだぞ!
バカエルフがお茶を淹れにかかる。
俺は壺のなかの売上金を数えはじめた。
エナは店の隅の段ボールハウスを、ガムテで修理している。最近すっかりボロボロだ。
Cマートの午後は、ゆったりと過ぎていった。
ぜんぜんエロい方向にいかないCマートですが、初セクハラ! ……が、店主のセクハラは小学生レベルに低次元だった模様です。