第42.6話「段ボールハウス最後の日(後編)」
だいぶ遅くになって、エナは帰ってきた。
その日、俺たちができたことは、帰ってきたエナに、いつもとまったく変わらないように接することだけだった。
◇
翌日の朝食は、三人で食べた。
なんか味がよくわからなかったが、普通にいつものように、なにも変わりがないように、食べた。
具体的にはバカエルフと言い合いをした。――いつものように。
◇
そして昼頃になって――。
〝その時〟がやってきたことを、俺たちは知った。
エナがほんのわずかな私物を風呂敷にまとめていた。
風呂敷というのは、あれだ。異世界――じゃなくて、現代世界の日本の、伝統的なあれだ。あの風呂敷だ。
単なる一枚の正方形の布きれなのに、なんでも包むことができて、なんでも持ち運びがしやすくなるので、こっちでは人気の品で、よく売れている。
その風呂敷に、エナは自分の荷物を包みこんでいた。
荷物なんてほとんどないから、すぐに荷造りは完了してしまう。
立ちあがって、こっちを向いたエナに――。
俺は言葉をかけることができなかった。
口を開いたら、「行くな」とか言ってしまいそうで……。だから俺は、への字に口を結んで、しっかりと閉じていた。
「エナちゃん。もう、次のところは、決めてあるんですか?」
俺のかわりにバカエルフが聞く。
いい質問だ。もし、次のところが決まっていないなら――。
だが――。
エナは、こくんと、細い首を折るようにして、答えてきた。
そっか。行くんだな。
俺のなかで、なにかが吹っ切れた感じがした。
エナは俺の顔など見ていなくて――。その目が向いているのは、部屋の隅にある、段ボールハウスの残骸だった。
「ああ。あれは片付けとく。――だから、ぜんぜん気にしなくていいぞ」
俺はそう言った。
なんだっけ? 〝立つ鳥跡を濁さず〟――とかだっけ? こんなときにまで、後始末の心配をしているのだ。エナという子は。
そんなもん気にするな。俺がちゃんと捨てといてやるから。そのくらいしか俺にはできないから。だからぜんぜん気にするな。
精一杯の強がりを込めて、俺は笑顔を浮かべた。
昨日から、ずっと笑っていなかった気がする。
お別れの瞬間くらい、笑えないでどうする――と、自分を奮い立たせて、精一杯の笑顔を作った。
エナはその俺の笑顔を見て――。
笑顔をまじまじと見つめて――。
すうっと、目を細めた。
目と顔から、すべての感情が消えていった。
ついさっきまで、エナのやつも、名残惜しそうな顔をしていたのに……。
もうなんか、すっかり無表情かつ鉄面皮。
まるで、怒ってでもいるかのような顔……?
あれ? なんだか空気おかしくね?
最後ぐらい笑えよ。
まあ。エナの笑顔なんざ、超レアで、滅多に見たことないんだけど。バカエルフのシリアス美人顔くらい、レアな表情なんだけど。
「じゃ、行きます……」
エナは、ぽそりとつぶやいた。
すぐに俺に背中を向けた。
ああ。こんなんでお別れか。
いざその時がくると、あっさりしてるもんなんだな。
「……おほん」
バカエルフのやつが、思わせぶりな咳払いを、ひとつした。
背中を向けて歩きはじめたエナは、怪訝そうな顔で、振り向いてきた。
「あー、エナちゃん。最後にいっぺん確認しておきますけど。……エナちゃんは、段ボールハウスが壊れてしまったから、他のステイ先に移るんですよね?」
バカエルフが聞く。
エナは――、こくんと、首を折って、うなずいた。
「エナちゃんは、段ボールハウスが壊れるまでは、ここにいてもいいんだって、そう思っていたってことですよね?」
バカエルフが聞く。
エナは――、また、こくんと、うなずいた。
「壊れた段ボールハウスを、直したいと思っていたんだけど。マスターに、だめだー、直らないなー、捨てるしかないなー、とか、言われてしまったので――」
「おいちょっと待て!? それって――」
俺は話に割りこんでいった。
なに? なんなの? なんの話してんのこいつ?
それじゃまるで――! 俺がエナを追い出――。
「黙って聞いててくださいよ。このバカマスター」
ぴしりと言われた。
その迫力に、俺は思わず――。
「はい」
うなだれて、聞くことにした。
「マスターが、エナちゃんの段ボールハウスを捨てようとしていたから、自分は、いらない子なんだ、これまでいたことも、迷惑だったんだ、マスターは本当は、自分を厄介に思っていて、早く出ていってもらいたかったんだ……って、そう、思っちゃったわけですよね?」
バカエルフが言う。
俺は――。ちがう! ちがう! ちがう!
――と、心の中で絶叫していた!
しかし「黙って聞いてろこのバカ」と言われていたので、黙って聞いていた。
俺はバカだ。バカは俺だ。本当にバカだ。
ぜんぜん気付いていなかった。勝手に勘違いしていた。エナが出て行きたがっているのだと――。
そんなことないのに!
そんなはずないのに!
エナの――その無表情なその目に、涙のしずくが、ひとつ浮かんだ
ぽろりと、一粒の涙が、流れ落ちた途端――。涙腺が決壊して、つぎからつぎへと涙が溢れ出してきた。
「エナちゃん? マスターがいつも言ってますよね? ……したいこと、やりたいことがあったら、きちんとしっかり、口に出して言おうね、って」
エルフの娘は、あくまでも――優しい声で語りかける。
「エナちゃんは……、本当は、どうしたいですか? 言えますか?」
涙をぼろぼろと流しながら、エナは――言った。
「ずっと……、ずうっとぉ……、ごごにぃ……、い゛だい゛でずう゛うぅぅ……」
エナは泣く。ぼろぼろ涙を流して、泣いている。
エルフの娘は、俺に向いた。
「――マスター? エナちゃん。本当の気持ちを言ってくれましたよ? ……なにかエナちゃんに、言ってあげることはないんですか?」
エルフが言った。俺は、もう、口をきいてもいいらしい。許可されたらしい。
なにを言えばいいのか。
なにを言うべきか。
――いや。なにを言いたいのか。
俺には、もうとっくにわかっていた。
昨夜。言いたくて。でも言えなくて。何度も何度も、言いかけては――やめて。大人なんだから我慢しなくちゃならないんだと自分に言い聞かせて、ついに飲みこんだその一言を、口にするだけでよかった。
簡単なことだった。
「エナ! 行くなッ!」
「はいッ――!!」
小気味いいほどの返事とともに、エナが俺の腕の中に飛びこんできた。
迷いのまったくないタックルに、俺は、二、三歩、よろめきはしたが……。
なんとか倒されずに受け止めた。大人の威厳を示した。
◇
後日。
段ボールハウスは、無事、再建された。
Amazonから届いた段ボールハウスを、美津希ちゃんのところから受け取ってきて、エナに渡した。
段ボールハウスは前よりも改良された。なんと二階建てを製作中だ。
店の前で、段ボールハウスを作っているエナを見守りながら、俺は隣に並ぶエルフの娘の、脇腹をこづいた。
「おまえ。わかってたなら、なんでもっと早く言わねーの?」
「マスターがどのくらいバカなのか、計っていたんですよー」
くそー。ああ言えば、こう言う。
「そういえば。マスター。段ボールと一緒に、なにか見たことない品物を持ち帰ってきていましたが……。あれは、なんですか? なんですか? なんですかー? 食べものですか。食べるものですか。食べるものですかー?」
バカエルフは三回も言いやがった。
そんなに楽しみか。
ほんと。食うことだけしか頭にないやつ。ばーか。ばーか。ばーか。
でもエナのときには、ありがとな。……おまえのおかげで助かったよ。
「食いもんじゃねーよ」
「いえ。食いものです。箱に入って、れとると? ――そんなような銀色のパックに入ってますから、あれは絶対に食べものです。辛かったり甘かったりする食べものです。知ってます」
「あれはフィルム。んでもって、持ってきたのはインスタントカメラ」
「ほらやっぱりー。インスタント食品じゃないですかー。その、かめら? ――っていう食べもの、くださいよー。ひとりじめはずるいですよー。どうするんですか? お湯をかければいいんですか」
バカ。ほんとバカ。
俺はカメラを取りだした。デジカメ全盛のこの時代に、なんと、フィルムを使うカメラだった。そのかわりに、撮った写真が、すぐに写真となって出てくる。
電気もないこの世界には、うってつけの製品だ。
「おお。そうだそうだ。写真撮っとこう」
カメラを手にしたところで、俺は気がついた。
エナの力作が、ちょうど建造が終わったところだ。段ボールハウス2号の完成を祝って、一枚――撮っておくか。
「しゃしん? なんですかそれ? おいしいものですか?」
「美味しくはないかもしれんが、楽しいものではあるな」
バカなエルフと一緒に、エナのところに行った。
道の向こうにオバちゃんがいたので、手招きして呼び寄せた。
カメラを三脚に載せて、タイマーをセットして、全員でフレームに収まるように立つ。
タイマーのカウントが進むあいだに、ドワーフの親方と商人さんとキングの三人が連れだって歩いてきたので、早く早くと手招きした。
さすがに7人だときつい感じ。
全員がフレームに収まるように、俺は――。
エルフの娘の腰に手を回して、ぐいっと抱き寄せた。そしたらエナのやつが、ぎゅーっと、自分からしがみついてきた。
いてて。お腹のところを、エナにつねられたぞ? なんでだ?