第42.5話「段ボールハウス最後の日(前編)」
いつもの昼前。いつものCマートの店内。
べりっ、という、なにかの破れる音がした。と、同時に――。
「きゃーっ!」
エナの声――悲鳴が聞こえた。
バカエルフだったら、なに「きゃあ」とか言ってるんだ気持ちわりぃ、ぐらい言っていたところだったが、それがエナだったので、俺はもちろんすぐに駆け付けた。
「どうした?」
エナは段ボールハウスの外に出ていた。
店の隅にある、自分の段ボールハウスのなかで休んでいたエナが、なんでか、外に出ている。ころんと、床の上に転がっている。
見れば――。段ボールハウスは、壊れてしまっていた。
横の壁が大きく破れて、エナは転がり出してしまっていたのだ。
「あー。そっかー。けっこうボロボロになってたもんなー」
俺は納得した。
さっき聞こえてきた、音と悲鳴は、段ボールハウスが破れた音と、エナが転がり出したときの声だったわけだ。
エナの脇の下に手を入れて、ぐーっと、引っぱり出す。
そのまま持ちあげて、立たせてやる。エナはすごく軽くて、持ちあげるのも下ろしてやるのも、楽だった。
「痛かったかー? 痛くなかったかー?」
髪の毛にほこりがついていたので、はたいてやったが――。
エナは自分よりも段ボールハウスのほうが心配のようだ。まばたきもしないで、破れ目を見ている。
「こわれちゃいましたかー?」
バカエルフが今頃やって来た。手にはガムテープとハサミを持っている。おお。気が利く。
今頃、のこのことやって来たことと、エナの救助に参加しなかったことは、それをもって、許してやろう。
だが段ボールハウスが直せるかどうかは、ちょっと難しそうだ。
長年使い込まれた段ボールは、だいぶ、くたびれてしまっていた。
ふにゃふにゃの、ぐにゃぐにゃだ。テープの補強くらいで、どうにかなるかどうか……。
段ボールをハウスを覗きこむ俺に、エナが心配そうな顔を向けてくる。
「もう……、だめ?」
「だめかもなー」
「もう……、直らない?」
「直らなさそうだなー」
うん。だめっぽい。
ご臨終。ちーん。
「そ、そうなんだ……」
エナはショックを受けた顔。
まあ。ずいぶん長いこと使っていたし。大事に使ってもいたようだし。
愛着だって、あるのだろう。
しかし壊れちまったもんは、仕方がない。
「これ。捨てなきゃなー」
「捨てる……」
「ああ。壊れちまったもんは仕方がないー」
俺は腰に手をあてて、段ボールハウスを見つめた。
しかし捨てるにしたって、これ、けっこう量があるよなー。
普通の段ボール箱を潰して畳むのとは、わけが違うのだ。
なにしろ一個で何千円もするような段ボール箱だ。
前に、「段ボールハウス無双」の時に、Amazonで大量に買って子供たちに配った。もう一枚も残っていない。
「あれ? おーい?」
「エナちゃん出てっちゃいましたよー」
エナの姿を探すと、バカエルフのやつが、そう言って返した。
おうちの壊れたショックのあまり、ふらふらしていたようだが……。
だいじょうぶなのかなー?
◇
「なー。オバちゃん。エナのやつ、見なかったか?」
「あー。さっきまで、いたよー」
食堂に行って、オバちゃんに聞く。
やっぱ来てたか。昼飯に顔を現さなかったから、ここだろうと思った。
「メシ食ってたのか。――どこ行った?」
「それがねえ」
おばちゃんはほっぺたに手をあてる。
「ろくすっぽ食べないで、行っちゃったのさー。ふらふら~って」
「ふらふら~、か」
段ボールハウスが壊れたことが、そんなにまで、ショックだったとは……。
「どこに行ったのかまでは、わからないねぇ。通りを歩いていったよー」
「そっか」
「なんか悩んでいたみたいだったからー! ちゃんとしておあげなよー!」
オバちゃんの声に背中を向けて手を振りつつ、俺は通りを歩いていった。
さすがオバちゃん。エナが悩んでいたことは、しっかりわかっている。
◇
歩いていると、鍛冶屋の工房があった。ちょっと覗いてみた。
「なー。親方。――エナのやつ、来なかったか?」
「ああ。来たぞ」
ドワーフの親方は言う。
「鍛治の仕事が、自分にできるかと聞いてきたな」
「は?」
なんでそんなことを?
無残になったマイハウスにショックを受けていたんじゃなかったのか?
「んで?」
「できん、と答えた。女の仕事じゃない――わけでもないが。力が足りん。あの細い腕では、鍛冶の仕事は務まらん」
「いやそうじゃなく……」
エナのようすはどうだったのか、と、そう聞いたつもりだったのだが……。
親方の頭のなかには「鍛冶」のことしか詰まっていない。女の子の様子を気に掛ける繊細さは、かけらも入っていないっぽい。
「もっと腕を太くしてから来い、と、そう言っておけ」
親方の声に背中を向けて手を振りつつ、俺は通りを歩いた。
◇
エナの足取りを追って、あっち、こっちと、歩いて回った。
どうもエナは、顔なじみのところに立ち寄っては、「ここに住めますか。なにか仕事ありますか」と、たずねて回っているようであった。
はじめは、段ボールハウスのことが原因だと考えていた。
しかし何軒も回ったあとでは、俺は、もっと違う理由なのだろうと、そう考えはじめていた。
何軒目かで、何回目かの行き違いとなって――。「エナちゃん来たけど行っちゃったよ」と聞かされたところで、俺は、ついに挫けてしまった。
もうそれ以上、エナの足取りを追うことはせず、とぼとぼと道を歩いて、店へと向かう。
夕日に照らされる自分の影が、道の先まで、まっすぐ伸びていた。ゆらゆらと頼りなげに揺れているのが、俺の心を映しだしているみたいで……。
「ああ。マスター。おかえりなさーい」
「……」
店に帰ると、バカエルフが明るい声をかけてきた。
お客さんに笑顔で応対しながらも、俺に、声だけは――かけてくる。
「ありがとーございましたー」
お客さんを送り出して、しっかりお辞儀を終えたあと――。
バカエルフは、ようやくこっちを見た。
てっきり、エナちゃん見つかりましたか? と、聞いてくるかと思ったのだが、やつはそのことについては、なにも触れず――。
「マスター。コーヒー飲みますか?」
「? ん……。いや、いい……」
いちどそう言ってから、俺は、もういちど言い直した。
「やっぱ……、もらうわ」
「はい」
ガスコンロをぱちんとつけて、お湯を沸かしはじめる。
バカエルフは、擦り切り二杯の粉を、神妙な顔つきで計っている。
その横顔を見ながら、俺は言った。
「なあ……。俺とおまえ、二人っきりでも、店はやっていけるよな?」
「なんですか。やぶからぼうに」
たしかに突然すぎたかも。
俺は順を追って話をはじめた。【孤児:オーファン、1行後】
「まえに、エナのことを、孤児とかいってたろ。あれ、もういっぺん説明してくれよ」
コーヒーを淹れながら、エルフの娘は話しはじめる。
「親がいない孤児の子は、街のみんなで面倒をみるのが、普通の習わしです。一つの家に滞在して、つぎつぎと、あっちの家、こっちの店って、渡り歩いていきます。一つのところに住むのは、だいたい、三〇日から一八〇日くらいですかねー。一年居着くっていうのは、聞いたことがありません」
俺は、聞いた。
「エナがここに来てから、どれくらいになるっけ……?」
「さー。九〇日は過ぎてると思いますよー。マスター。しこしこ売上の帳簿つけてるんですから、わかるんじゃないですか」
そういえば、そうだ。
帳簿を開いてみた。
「ええと……。このへんか? 飴ちゃん無双して、ガキが群がっていた……あのあたりだったっけ?」
「もうすこしあとでしたよ。あのときの子供たちのなかに、エナちゃんもいましたけど」
「それ。俺。よく覚えてねーんだよなー。飴もらおうとしない遠慮してるガキがいたのは、たしかに覚えてるんだけど……。そっかー。それがエナだったのかー」
「それ。エナちゃんに絶対言っちゃだめですよ? 傷ついちゃいますよ?」
「わかってるよ」
「付箋のときは、このときは?」
「そうですねー。付箋無双のときにも、いましたねー」
「そうなんだよなー。そのときにも、遊びたいのに遠慮してるガキがいて、ずうずうしくするのがガキの仕事だ! とか、言ったのは覚えてる。そこから遠慮するガキがエナだっていうのは……、覚えた」
「エナちゃんガキじゃないですよ。レディですよ。それ本人の前で絶対言っちゃだめですよ」
「わかってるよ」
なんかチクチクやってくんな? こいつ?
わかってるよ。絶対に言うわけねーだろ。
「付箋あそび、流行りましたよね。そのしばらくあとでしたよね。エナちゃん来たの」
「このへんか」
エナのきた日はだいたい特定できた。べつに調べるまでもなく、最初にバカエルフの言った90日だった。
んだよ。最初からわかってたんじゃん。最初に言えよ。「さー」だとか、わからないふりしやがって。思わせぶりなことしやがった。
ええ。はい。そうですよ。俺は覚えていませんでしたよ。いま帳簿を見ながら思いだしていましたよ! ――悪かったな。
俺が心の中で悪態をついていると、バカエルフのやつは――。
「マスターは……、どうされたいんですか?」
「え? 俺か?」
コーヒーを手渡される。そのついでに、真正面から見透かすような視線をもらった。
ふだんはバカなくせに、たまにバカをやらないときのこいつは、年齢を重ねた大人の目をする。
バカめ。バカエルフ。
俺がどうかなんて、いま、関係ないだろう。
エナがどうしたいかだろう。エナがしたいことをさせてやるのが、俺たち、大人の役割ってものだろう。
エナが他に行こうとしているのに、それを止めたりしたら、だめだろう?
「そんなこともわかんない、おまえ。80年も生きてるくせに、ほんとバカ」
「わたし。80年だなんて、言ったことないですよ?」
「そうだっけ? じゃあ言えよ。幾つなんだよ」
「うふふ。……ヒミツです」
「80より、上なのか下なのか、それくらい言えよ」
「17歳って言っとけばいいんですか? それとも200歳って言ったほうがいいですか?」
「だから、どっちなんだよ」
「だから。ヒミツですよ~」
夕飯の準備をして、俺たちはエナの帰りを待った。