第38話「信頼の話」
いつもの昼下がり。いつものCマートの店内。
「あの……、おちゃ、……です」
エナが来客に、そぉーっと、お茶を出しにいく。
「ええ。ありがとう」
ハンサムの爽やかスマイルを浴びると、人見知りのエナは、さささーっと引っこんでいってしまった。
バカエルフのお尻の陰から、こそっと、顔半分だけ出してこちらを見ている。
わはははは。かわいー。かわいー。
「まだしばらくは、こちらにいるんですか?」
俺は商人さんにそう言った。
この人は、あちこちと交易をやっている人。
俺がこの世界に来たときに、二番目に親切にしてくれた人だった。
そのときの俺は、塩を金貨1枚で売っていたのだが、それじゃ安すぎますよと、わざわざ教えてきてくれたのが、この人だ。
あちこちを回っている人のこの人の言葉には、重みがある。
俺はこの人がきたらお茶を振る舞って、色々と話を聞くことにしていた。
「そろそろ出発しようと思っていますよ。品がだいぶ溜まってまいりましたので」
商人さんは、一匹の獣を相棒にして交易をしている。その獣の背中に載せられるだけの品を溜めると、よその街に向かうわけだ。
「こんどは、どちらへ?」
「まえのほうに」
この世界では東とか西とかいうかわりに、「まえ」とか「うしろ」とか言うらしい。
なんだかへんな気もするが、そういうもんだと割り切って、いちいち深く考えないことにしている。
バカエルフが言ってたら、まずまともに信じなかったろうが、あちこち歩いているこの人が言うなら、そうなのだろう。
ちなみに「北」と「南」に相当する言葉は、まだ聞いた覚えがない。
「なにかいい品はありますか?」
「うーん……」
俺は腕を組んで考えこんだ。塩と緑茶の葉は、もういっぱい渡してある。
角砂糖とコンビニ袋とプチプチシートは、それぞれ別々の理由で、商人さんのお眼鏡にはかなわなかった。
他にうちの店のヒット商品といえば、なんだっけ……?
交易の商人さんの抱える問題は、Cマートの抱える問題と、だいたい同じだった。
重さと体積と喜び度が、品物選択の基準となる。人気のある品でも、それが重いか、かさばるものであれば、大量には運べない。
お客さんの喜び度は、品の価値と量の掛け算となる。
この商人さんは、俺と同じなのだ。いかにして一回の交易でお客さんを笑顔を増やすか。そのことばかりを考えているわけだ。
「ほかには、めぼしいものは、ないかな……。俺以外に運び手がいれば、もっと持ってくれる物の種類も増やせるですけどねー」
「ほらエナちゃん。マスターが敬語ですよ。けーご」
「うん。しらない人みたい」
失礼なことを言ってる店員二人に、俺は、かーっと歯を剥きだした。
きゃあきゃあ言って、しばらく騒がしくなる。
バカエルフ。ほんとバカ。
エナ。ほんと。かーいー。かーいー。
「そういえば。ひとつお聞きしようと思ってたんですが」
「なんでしょう? なんでも聞いてください」
俺はふと思い出したことを、この人に聞いてみることにした。
この人なら答えられるんじゃないかと思ったからだ。
「なんていうか。ちょっと説明しづらいことなんですが……」
俺は話しはじめた。商人さんはじっと辛抱強く、俺の話を聞いてくれている。
「俺がここにやってきたとき。みんな。妙に親切だったんですよ。オバちゃんなんて、メシ食わせてくれましたし。あなたも困っていた俺に、いろいろ教えてくれましたし」
「マスターも、わたしにごはんをくれましたよー」
「わたしには……、飴ちゃん、いっぱい……くれたよ?」
商人さんは、二人に笑いを向けてから、俺に顔を戻した。
「いいじゃないですか。親切の連鎖で」
「いや……。なんていうか。これは俺のいた世界の話になるんですけど。みんながこんな親切なわけではなくて……。もっとギスギスしてるっていうか。自分だけ得をしようとしている連中がいっぱいっていうか……」
「なるほど。貴方の世界は、そうなっているんですね」
「みんな、こんなに親切だと――。騙されちゃったりしないんですか?」
「心配ですか?」
商人さんは、じっと俺の目を見つめてくる。
「たとえば俺が、あなたのことを騙そうとしていたら?」
「あなたは騙さなかったじゃないですか。あのときは袋の中身はすべて本当に塩でしたし。今回も全部そうなんでしょう?」
今回の取引は、塩の袋が数十キロほど。その見返りが砂金の大袋。
どちらも中身を確かめていないところが、お互いの深い信頼を示しているわけだが。
「もちろん、そうです。……たとえばの話ですよ?」
「もし貴方が私を騙すつもりでしたら、ころりと、騙されてしまうでしょうね」
「ほら」
俺は言った。
「ええ。……一度は」
商人氏は、そう付け加えた。
「一度……ですか?」
「ええ。一度は騙されますよ。でも二度は騙されません」
「えーと……?」
「こちらの世界でも、人を騙すような人は、たしかにすこしはいるんです。私はあちこちでいろいろな人と会いますから。そういう人とも、実際に何度か遭遇したことがあります」
「そのたびに騙されてるんですか?」
俺は思わずそう聞いていた。
「ええ。一度は」
商人さんは、またそう言った。〝一度は〟のところが、妙に、俺の心に引っかかる。
「えーと……、それは、どういう……?
「こういうの、なんていうんでしたっけ?」
商人さんはバカエルフに話を振った。
「エルフの里では、四行原則っていってるですよ。
バカエルフはお菓子の袋を開けて、お皿に盛りつつ、そう返す。
ちなみにエナは緑茶係だ。カセットコンロとにらめっこして、お湯が沸くのをじっと待っている。
「ああ。そうでしたそうでした。あ私は学問は専門ではないので。ありがとうございます。――と、その四行原則というルールに、みんな則っているだけなんですよ」
「よんぎょうげんそく……ですか?」
「ええ。四行で書き表せる、簡単なルールです。誰でもできます。なぜそれが行えない人がいるのか、理解に苦しみます」
「えーと、えーと……」
俺は困った。
どうも大事な話が交わされている気がするのだが、ぜんぜん、わからない。
「そ、それは……、どういった……?」
「貴方はすでに実行なさっているじゃないですか。必要ないかと」
「いえいえいえ。わかってないのはヤバいです。怖いです。このさい教えておいてください。この通りです」
俺は頭を下げた。
「マスター。わたしが教えましょうかー?」
「うるせー。だまってろ」
「はい。お菓子どうぞー」
「どうせならもっといいやつだせよ」
よりにもよって、選んだチョイスは、かりんとうと、おせんべいか。おまえはバアちゃんか。
「お……、おちゃ……、お、おかわり……」
「ああ。エナはいい子だな。ありがとう」
「ありがとう」
エナは、また、ささーっと逃げていった。
うはははは。やっぱ。かわいー。かわいー。
「――で。その四行原則、とか、いうのは?」
「ええと……。私は学問が専門ではないので、怪しいのですが……」
と言いつつ、商人さんは、書く物を探した。
俺はメモ用紙とボールペンを渡した。商人さんはしばらくボールペンを研究していたが、はっと、気がついて、紙にメモを取った。
「こんな感じでよかったですかね?」
もちろん、商人さんの書いた文字は、俺には読めない。
メモはバカエルフの手に渡って、もう一枚のメモに日本語として書き直される。
そうして――。
俺の前に出てきたメモには――。
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・はじめての相手には親切にせよ。
・親切だった相手には、親切にせよ。
・裏切った相手には、同じ仕打ちをせよ。
・頭にもどって繰り返し。
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――と。
こんなふうなことが書いてあった。
「この原則に基づいて行動していれば、一度は騙されますが、二度は騙されないわけです」
なるほど。
延々と騙され続けるわけではないのだ。一度でも裏切りをすれば、二度目からは信用されないのか。
「頭から疑ってかかったり、あるいは、頭から騙してかかるような、そういった四行原則と違うルールで動くことは、長い目で見て得ではないことが、経験的に証明されています」
「証明されているんですか……?」
「ええ。この通り。多数派じゃないですか。私たちみたいな戦略的お人好しの人間が」
商人さんは両手を広げて、そう言った。
俺はバカエルフを見た。エナを見た。
そして、店の壁に阻まれて直接は見えないが、オバちゃんの店の方向を見た。
「……なるほど」
俺がそう言ってうなずいたのは、だいぶ時間が経ってからのことだった。
この世界の人々は、単にお人好しなわけではなかった。
確信犯的なお人好しというか……。腹を括ったお人好しというか……。
見知らぬ相手にも、一回は騙されてやってもいいと思っているから、ああいう、カラっとした笑いができるのだ。
俺はこの世界が、すごく好きだった。
この世界の居心地がいいのは確かだった。
しかし一方で、皆がお人好しすぎて、すこし心配になってしまうこともあった。
この世界の人々は、根っからのお人好しで、もし悪いやつが一人でもやって来たら、騙され放題、利用され放題になってしまうのではないかと……。
いらない心配だった。
俺は大いに安心した。
そしてこの世界のことが、もっと好きになった。
安心して、かりんとうをかじって、せんべいをばりばりと新品の奥歯で噛み砕いていた俺は――。
ふと、一つのことに思い至った。
「あれ? ……ちょっと待ってくださいよ? じゃあそうすると……。俺、もしも、はじめのときに、オバちゃんや、あなたのことを騙していたりしたら……?」
「当然。信用しませんでしたよ? 四行原則に基づいて」
商人さんは、そう言った。
変わらぬハンサムスマイルを浮かべる。
俺は、ぞーっと背筋が寒くなった。
どういうことになるのかは、すっごく、よくわかった。
こちらの世界の善人ルール……。
こええー……。