第37話「おとなごはん」
いつもの昼どき。いつものCマートの店内。
「いっただきまーす」
「いただきます」
いつものように、声が二つあがる。
そして食前のお祈りが一つ。
……あれ?
ひとつ足りない。
「どうした? エナ?」
俺はエナのやつに声をかけた。
目の前の缶詰を、エナはじっと見つめている。
「缶詰、いやだったか?」
いつもなら昼はオバちゃんのところに行って食うのだが、今日は色々とあって、缶詰の昼食となっている。
エナは、細い顎先を、ふるふると横に振って返してきた。
「じゃあ……、なんだ?」
「わたしも。それ。たべたい」
「ん?」
別の缶詰だ。
バカエルフの前に置かれた缶詰だ。
食料品は扱わないホームセンターでも、唯一、売っている缶詰だ。
元気に笑うワンコがラベルに描かれた缶詰だ。
バカエルフのやつが、ぱっかん、と開いて、皿の上で逆さまにする。
すっぽんと、円筒型に固まった固形物が、抜けて落ちてくる。
バカエルフは、スプーンを子供握りして、うまそうに食べはじめる。
おっふおっふ言いながら、がっふがっふと食べている。
「いや……、それは……」
俺はたじろいだ。
だいぶ前。バカエルフがあまりにバカでナマイキだったので、イタズラ心を起こして勝ってきた、〝ある動物用〟の缶詰だ。
ためしに与えてみたら、喜んで食ってた。「おっふ! すごい肉味です!」とかいって、バカエルフまっしぐらの勢いで食っていた。
なのでその缶詰は、バカエルフの主食となったのだった。
サンマ缶などと比べて、同じ値段でも缶詰の大きさ自体が違うから、量は何倍もあって、いい感じに薄味で、肉がごろんごろん入っていて肉味で、他のを食えといっても、それがないとバカエルフは一日しょんぼりしていたりするので、もう最近は仕方なくそればかり食わせている。
「いやー……、それはー……、だめだろう」
あれから気になったので調べてみた。
美津希大明神の言うところによると、べつに人間に害になるものは入っていないそうだ。〝その動物用〟の缶詰を人間が食べても体を壊したりはしないらしい。
動物用とはいえ、人間も同じく〝動物〟ではあるわけで、考えてみれば当然のことだった。
ペットフード売り場の店員さんの中には、自分で〝味見〟をしている人もいたりするらしい。人間においしいものは、ペットにもおいしい。ペットにおいしいものは、人間にもおいしい。――ということだそうだ。
「いやー……、しかしー、やっぱりー……、だめだろう」
俺ははっきりとしない物言いで、そう言った。
「なんで? したいことあったら、言えって……。そう言ったよ?」
エナは、はっきりとした声と顔で、そう言ってきた。
「う」
俺は言葉に詰まった。
言った言った。俺は言った。
エナのやつが、いつもいつも、いーっつも、遠慮して人の顔色ばかり窺っているから、したいことがあったら言え、嫌なことがあっても言え、ガキはガキらしくずうずうしくしろ。むしろずうずうしくワガママ言うのがガキの仕事だ――ぐらいのことを、しょっちゅう言っている。
「わたしも。エルフさんと同じ缶詰が食べたいです」
うわぁ。はっきり言ったよ。ド直球きたよ。
「ん? ん? んんー? なんですかなんですか? わたしの肉を横取りする話ですか?」
バカエルフのやつが、皿から顔をあげる。
口の端についてるぐらいなら愛嬌にもなるが、こいつの場合は口のまわりじゅうべったりだ。
こいつ。美人のくせに、食いかたは品がねえ。エルフの里を追放されるのも、わかる気がする。
「たとえエナちゃんでも、肉をとったら――噛みます」
うわあ。言ったよ。はっきり言ったよ。
大人気ねえよ。
「べつにおまえのを取るなんて言ってねえよ。エナがそれを食いたいって――」
「あげません」
「だからおまえのいま食ってるそれじゃねえよ。いいから食ってろよ。おまえ面倒くせえから」
俺がそう言って約束をすると、エルフの娘は安心して食事に戻った。
ほんとバカ。バカエルフ。
同じ缶詰は店の隅に山積みにされている。
エナの視線は、そっちをじーっと見ている。
俺はどうやって言い逃れをしようか、ひたすらそればかりを考えていた。
「あれは……、つまり、大人用なんだ」
「せいけんよう、って、それ、そういう意味なんですか?」
うえっ。読めるのか!
どうやらエナは、がんばってバカエルフから文字を教わっているらしい。
俺の世界の文字を、もうそこまで読めるようになっているとは思わなかった。
「そ、そうそう……、〝成犬〟っていうのは、つまり、おとな、って意味なんだ。だからエナには――」
「わたし。おとなだよ?」
うわああ。
あー。だめだ。
年頃の女の子の地雷を踏んでしまった。
小学校高学年ぐらいとはいえ、思春期なわけだ。
あの頃のガキは自分はもう大人だとか思っているんだ。だいたい高校生ぐらいまで続くんだそれが。そこを過ぎて自分は〝ガキ〟だと思うようになってからが、本当の大人の始まりなのだが。
「そ、そうだよな……、エナはもう、立派におとなだよなー」
俺は調子を合わせて、俺は、そんなこと言った。
じーっと見つめる、エナの視線が、俺に向けられる。
まっすぐ覗きこむような視線だ。
それが痛くって、俺はついつい、目を逸らした。
エナのほうを向けなくなってしまった俺は、テーブルの向かい――バカエルフのやつに、助けを求める視線を送った。
がっふがっふと食っている。
おっふおっふと喜んでいる。
すっかりだめだった。まったくだめだった。
テーブルの下で、向こう臑を蹴る。
なんのリアクションもないので、蹴る蹴る、もっと蹴る。
ぜんぜんだめだった。
食ってる最中は、こいつ、気づきもしねえ。
「あの。……なんか? 困って……ますか?」
「え?」
エナのやつが、そう言ってきた。
「わたし。だめでした? 困らせてます?」
「いやいやいや。そんなことはないぞ。そんなことはまったくないからな」
俺は手を振った。
困っているのは、強いていえば――俺の自業自得というやつで。
バカエルフがバカであるせいで――。
とにかくエナのせいでは、まったくない。
「缶詰。諦めます。困らせるつもりじゃ……なかったから」
エナはしゅんとなってしまった。
あー。あー。あー。
「むっふっふー。特別なのですー。これはわたしにのみ許された、肉味のごはんなのです」
バカエルフのやつが、得意げにそう言った。
聞いていないと思っていたら、しっかり、聞いてやがった。
フォローするでもなく、火に油を注ぎやがった。
「いいなぁ……」
指をくわえるエナ。
がっふがっふと、見せびらかすように食べるバカヤロウなエルフ。
俺は後悔した。大後悔だった。
やっぱ。うそ。いくない。
本当のことを言えれば――。言っていれば、こんなに苦しくはなかったのだが。
エナに対しても説明不能の、わけのわからない理由で聞き分けさせることもなく、しゅんとさせずに済んでいたのだが――。
うそはやめよう。俺は固く心に決めた。
せめてもということで――。
その日は、肉系の缶詰をたくさん開けた。
エナにはたくさん食べさせた。
ひどいことをしたら自分に返ってきた、という話です。
店主さん反省です。
猛反省してますので、〝ワンコのラベルの缶詰の件〟は、皆さん、許してあげてください。