第36話「虫歯で逆無双?」
いつもの昼過ぎ。いつものCマートの店内。
俺は不機嫌きわまりない顔で、仏頂面を決めこんでいた。
「ねー。マスター。機嫌わるいですか?」
「まあな」
「わたし。なんかやっちゃいましたか?」
「いや。そういうわけでもないんだが」
俺は早く会話を打ち切りたかった。
だがバカエルフのやつは、空気を読めずに、困ったような顔を向けてくるばかり。
「あのええと……。マスター?」
「うるせー。だまってろ」
俺はついにそう言った。
「はい」
バカエルフのやつは、しゅんとなって、静かになった。
隣ではエナのやつが、もっとしゅんとなっていた。空気が読めすぎる彼女の場合には、俺が普段と違うことに、とっくに気がついていて、今日は、ほとんど一声も発していない。息をするのさえ気を遣っている気配が、ひしひしと伝わってくる。
「……しゃべると、痛えんだよ」
俺はそう言った。二人のために若干の説明が必要だと思った。
「痛い? どこかお加減がよくないのですか?」
「は」
「は?」
「その、は、じゃなくて。歯だよ。歯」
「はあ」
「だから。歯が痛えの! しゃべると響くの! ……あたたたたっ」
「ああ。ああ。なるほど。なるほどー」
バカエルフは顔を明るくさせた。
人が痛くて痛くて、困っているっつーのに。明るい顔しやがって。バカ。ほんとバカ。
やっぱり黙ってて心配させてやりゃよかった。
「では――。治せばいいのでは?」
バカエルフのやつは、そう言った。
当然、そう言うだろうと思った。だから言わないでいたのだ。
「苦手なんだよ」
「なにがですか?」
「だから――」
うっせー。ほんと。うっせー。
いちいち説明しなきゃわからんのか?
「――だから。ドリルだよ。あのドリル」
「はい? どりるとは?」
「ぐるぐる、ぎゅるぎゅる、回るあれだよ。きゅいいいーーーーーん、がりがりがりがりがりがりがり、って、やるやつだよ」
「はい?」
「あと、ぷすっとくるだろ。麻酔とか針ぶっといんだぞ? あと口の中、感覚なくなって、へんな感じになるし。――とにかく。キライなんだよ。苦手なんだよ。子供の頃にエラいヤブにかかって、すんげー目にあわされて、それ以来、トラウマになってんだよ。ああそうだよ。情けないっていうんだろ。そうだよ。情けねーよ。笑えよ笑え。とにかく俺は、歯医者が怖いんだよ。これでいいだろ? 文句ねーだろ? いいからもうほっといてくれよ」
「あの……。マスター」
バカエルフは、おずおずと問いかけてくる。
俺は無視した。
もうなにもかも認めてカミングアウトしたのだ。責められるいわれはないはずだ。
張れる限りの予防線はすべて張った。護身完了だ。
俺はもうどんな言葉を食らってもダメージなど受けない。
「ひとつお伺いしてもいいでしょうか?」
俺は無視した。ガン無視だ。
「はいしゃ、って、なんでしょう?」
「は?」
無視しきれなかった。
思わず、間抜けな声で、聞き返してしまっていた。
「どりる……、っていうのも、よくはわかりませんが。まあそっちは、なんとなくわかったような気もしますが。でも〝はいしゃ〟というのが、よくわからないのですが」
「歯医者だよ。歯、専門の医者だよ」
俺は言った。なにあたりまえのこときーてくんの? こいつ?
「えーと……」
バカエルフは困ったような顔を浮かべた。
エナと目線をかわして、小首を傾げあっている。
「――〝いしゃ〟とは? なんでしょう?」
「そこからかよ!」
俺は呆れた。
「そこかららしいです。マスターの話は、ときどき、わからないことがありますが。今回は、どーも、根っこのところからわかりませんねー。〝いしゃ〟って、なんなんです?」
「医者は医者だろ。ケガしたり病気になったりしたときに、お世話になるだろ。そういうとき、どーすんだよ?」
「治しますが」
「だろ?」
俺はうなずいた。いくらファンタジー世界といったって、医者ぐらい、いるはずだ。いないと困る。
「では、〝いしゃ〟というのは、薬師のことですか?」
「そりゃ薬も出すだろうけど。それ以外に手術とかもするだろ」
「えーと……。〝しゅじゅつ〟――とは?」
エルフの娘は、卵形の頭を、きゅるんと傾げた。
金色の髪が、さらりと揺れる。
「またそこからなのかよ?」
「そこからのようです」
「手術ってゆーのは、切ったり貼ったり繋いだり。そうやって治すことだ」
「人体を?」
「そう。人体を」
「ひえっ!」
「ななななな……、なんでそんな野蛮なことをするですか!」
「野蛮……って? いや。そうしなきゃ治せない病気とかもあるだろ? 腹を切らないと、盲腸とかだって治せないだろ?」
「なんで?」
「なんで――って、そんなこと、言われたって……?」
「なんで魔法で治さないんですか」
「へ? 魔法?」
「そうですよ。なんで、治療魔法で治さないのかと……。それはなにかの修行ですか? 痛みを抱えこむ苦行の一種とか?」
バカエルフはそう言った。
何秒か経ってから、俺は、バカエルフの言っていることがわかってきた。
「あー! あー! あー! ホイミ!」
「はい? ほいみ?」
「じゃあ! ケアル!」
「はい? けある?」
「とにかく! そんなのだ! HP戻るやつ!」
「はい? ひっとぽいんと?」
「とにかく! 魔法だろ! 魔法なんだろ? 魔法でずばっと治るんだろ?」
「ええ。ですから最初からそう言ってるんですけど。ようやく話が伝わったみたいですねー」
「おー。おー。おー」
俺は燃えた。エキサイトした。
歯の痛みも忘れて、思わず拳を握りしめた。
すげー。すげー。異世界すげー。
治療魔法があるから、医者がいないのか。歯医者も知らんのか。
バカエルフはバカじゃなかった。ごめんなバカとか言ってな。
「やる。治す。俺。やる」
「はいはい。いい子ですねー。じゃあ行きましょうかー」
「どこへ?」
「治癒術士さんのとこですよ。やっぱ専門の人のが上手ですからねー」
「なるほど。そうか」
「じゃ。エナちゃんお留守番よろしくですよ。はい。マスター。行きましょうねー」
「うん。俺。行く」
「ああ。ほら。お金持ってかないと。手ぶらじゃさすがに」
「いくらいるんだ?」
俺は店の隅にある壺のところに歩いて行った。売り上げはぜんぶここに入れてある。
蓋を開けると、銀貨や銅貨がぎっしりだ。
エナが覗きこんで、「うわー」とか言っている。
「歯だけですよね? 虫歯がこうじて脳が腐っちゃったりしていませんよね?」
「いやよくわからんが。脳は無事だと思うぞ。すくなくともおまえより無事だぞ」
「なら銀貨の2~3枚もあればいいと思いますよ」
「いちおう金貨持ってくか」
壺に手を入れて、じゃらじゃらと混ぜると、金ピカのコインがすぐに見つかった。
こちらの貨幣の価値は、あいかわらずよくわからないのだが……。
俺は適当に、銀貨が千円札、銅貨が100円玉、ぐらいに考えることにしていた。
そうすると金貨1枚は、ちょうど万札という感じだ。
本当は10倍ではなくて12倍で、金貨1枚は銀貨12枚だったりするのだが、そのへんは、まあ大雑把に丸めてしまう。だいじょうぶ。20%しか変わりゃしない。
「はーい。じゃあ行きますよー」
「おー」
なんでか、バカエルフに手を引かれて、俺は街の中心部に向かった。
◇
「どうですか? マスター?」
「うーん……、うーん……?」
俺は口の中を舌でなぞって、
違和感があるよーな。ないよーな。
新しくなった歯だから、なんか違和感がある。
銀の詰め物もはまってなくて、ぜんぶ自前の歯になっているからだろうか?
〝治療〟は本当に簡単なものだった。
年老いたベテランな感じの魔術師が、ごにょごにょもごもごと呪文を唱えて、ワンドの先で、俺の顎に、ちょんと触れた。
ただそれだけ。
それで俺の口の中は、大変なことになった。
歯茎がむずむずとしはじめて、ほんの数分かそこらのうちに、〝新しい歯〟が生えてきたのだ。
虫歯は、下から生えてきた新しい歯に押し出されて、ころんと抜け落ちた。
乳歯と違って、永久歯っていうものは、二度と生え替わらないものだって聞かされているのだが……。そんな常識も、魔法の前には通用しないらしい。
治療費として金貨を出したら、きっちりお釣りをもらった。釣りはいらないと言ったのだが、向こうも頑固で、9枚、きっちり銀貨を返された。
まあ、自分もCマートで店主をやっているときは、釣りはいらん、とかいうやつがいても、たいてい釣りを押しつけているので、その気持ちは、わからなくもない。
「よかったですねー。痛い痛いが治ってー」
「うん――、って! おまえ! いつまで手を握ってんだよ!」
俺は握ってくるバカエルフの手を、もぎ離した。
なんで手え繋いで歩かないとならねーんだ?
虫歯も治ってすっきりとした俺は、バカエルフと並んで歩いて、Cマートへと戻っていった。
作者はいま虫歯がしくしくとうずいていて、でもなかなか歯医者に行けなくて。
異世界だと魔法で簡単に治るんだろうなー、とか思いつつ、書きました。
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次回は6/6(土)の20時です。
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