第33話「ステンレスのスプーン」
「いらっしゃいませー」
「らっしゃい」
「い……、いらっしゃいませー」
いつもの昼すぎ。いつものCマートの店内。
お客さんが入ってきた時の挨拶が、3連で連なった。
これまではバカエルフと俺だけだったのが、クソガキ――もとい。エナのやつが、俺たちの後に、小さな声で同じように言っている。
本日の午後一番のお客さんは――ドワーフだった。鍛治師の親方だ。
こいつはお客さんというよりも、どっちかというと、取引相手だ。
店の品物は、あんまり買っていかない。
うちに溜まってゆく、燃えないゴミという名の空き缶を引き取ってゆくのが、この店にやってくる、おもな目的だ。
ん? 逆か? 空き缶という名の燃えないゴミか?
まあどっちでもいいか。
「まだ空き缶、たまってねーぞ?」
俺はドワーフにそう言った。
「今日来たのはそれじゃない」
ドワーフのやつは、不機嫌極まりないという声で、そう言った。
だが、べつにこれで怒っているわけではない。
こいつはいつもこうなのだ。ぶっきらぼうというか。実直というか。飾りがないというか。ドワーフという種族は、みんなこうなのかもしれない。それとも、こいつが単にこういう性格なだけかもしれない。
ドワーフに友達は、こいつ以外にいないので、まったくわからない。
ドワーフは店の品物に、じろりと目を走らせた。
「ひっ」
エナのやつが短い悲鳴をあげて、エルフの娘のお尻に隠れに行く。
「ドワーフさん……、こわい」
背中から顔を半分だけだして、そうつぶやく。
そのとき、ドワーフの顔に一瞬だけ浮かんだ表情を――俺が見逃すはずがなかった。
「はっはっは! ――おい! 親方! コワがられてるぞ」
「べつに子供に好かれたいわけじゃない」
これはいわゆる〝ツンデレ語〟というやつだ。
その意味は、「本当は好かれたいんだが。怖がられちゃって、おじちゃん大ショック」――といったあたりだろう。
落ち着かなげにヒゲを撫でつづけるドワーフのために、俺はエナに言ってやった。
「こいつはコワいやつじゃないぞ。いつもこんな顔をしているが、顔面が不自由なだけで、本当は優しいオジちゃんなんだ」
「おい。店主――」
「いいから」
俺はエナに言った。
「ほれ。おじちゃんに遊んでもらえ」
俺はエナの背中を押した。
「ドワーフのおじさん……。遊んでくれますか?」
「うむ」
ドワーフはうなずいた。
ほうらみろ。
「たかい。たかい。を。してやろう」
「え? ――きゃ」
エナの両脇に手を差し入れて、〝たかいたかい〟をする。
でもドワーフとエナの身長は、じつはそれほどかわっていない。
じつはあんまり高くない。
「……おい。なに笑ってんだよ。バカエルフ」
「いえ。マスターは優しいなー。と思いまして」
「バカめ。どこがだ。バカめ。ほんとおまえ。バカだな。バーカ。バーカ。バーカ」
「ドワーフさん。……なにかさがしてますか?」
床に下ろされたエナは、ドワーフを店の品物の間に連れて回った。
手など繋いで、完全確保しちゃっている。
いい店員だ。
孤児の彼女は、すっかりうちの店に居着いてしまった。
段ボールハウスはちょっとヨレてきているが、まだまだ健在。
聞けば、孤児の子たちは、だいたい平均して、30日から180日ぐらいのあいだ、一つの家に厄介になるのだという。
うちの店は、〝家〟なわけではないのだが……。まあ俺とバカエルフの二人は住んでるわけだし……。
まあ、ガキの一人や二人、増えたところで、たいして困ることもなし……。
そのあいだ、彼女の段ボールハウスは、何回か建て直す必要があるかもしれない。
30日とか、180日とゆーのは、バカエルフの言った日数だ。
そこ、1ヶ月とか6ヶ月とかいうんじゃねーの? と、バカエルフのやつに何度も聞いて確認してみた。だがやっぱり30日とか180日とかだそうだ。
どうもこの世界には〝月〟という単位がないらしい。
本当にないのか、バカエルフがバカなだけで、単に知らないだけなのか、そこんとこはわからないが……。
しかし、〝月〟も知らないとは、どんだけバカ……?
そういえば、夜空を見上げたときに、「月」を見かけた覚えがないのだが……。
ひょっとして、それと関係してるとか……?
「おい店主。この金属はなんだ?」
ぐいっと、スプーンが突きだされてくる。
ドワーフが子供握りしたスプーンを、俺の目の前に突きだしてきていた。
持ちかたが、髭面に似合わず、なんかカワイイ。
「それはスプーンというものだな。食事のときに使う。それですくって物を口に運ぶ」
「そのくらい知っている。こちらの世界にもスプーンくらいある。わしの聞いているのは、このスプーンの材質だ。この金属はなんだ?」
俺はスプーンをよく見た。なんの変哲もない金属のスプーンだ。
百均でも大量に売ってるようなやつだ。
そのスプーンは、使いやすそうな形だったので、ホームセンターで買ったやつだ。何百円かはしたのだが。
「金属の種類? 鉄じゃないのか?」
「磁石には吸い付く。だが鉄じゃない。比重がわずかに違う」
ドワーフはぶんぶんとスプーンを振った。
持っただけでわかるのか。すごいな。
「あと、鉄は舐めれば味がする。こいつはしない」
とかいって、べろーん、と、舐めやがった。
スプーンを。商品を。
「どーでもいいけど。――おまえ。それ。買っていけよな?」
「この金属はなんだ? 見たところ錆も出ていない。鉄なら錆びるはずだ。おかしい。この金属はおかしい」
サビ……とかいう話で、俺の記憶に、なんとなく引っかかるものがあった。
「なんだっけ? なんか、思いだしそうなきが……」
「思い出せ」
「やってるよ。まてよ」
「はやくしろ」
ドワーフのやつは興奮した顔を近づけてくる。早く思いだせと迫ってくる。
あー、もう、邪魔だ。こいつ。
「なーんだっけなー。そーゆーの……、サビに関係するような名前で……」
「マスター? 思い出せないんですか?」
「ああ。うん。ここまで出てる感じなんだが」
「じゃあ、よく思い出せるおまじないをしてあげますねー」
「おまじない?」
バカエルフのやつは俺の後ろの立つと、頭のところに手をかざして、なにやら、ぶつぶつと、つぶやきはじめた。
「其は心の扉を開くものなり。記憶の断片、英知の欠片、アカシックに刻まれた溝より出でて心に降りよ……」
へんなおまじないを唱えてくる。
ドワーフのやつとおんなじだ。こいつら、邪魔しかしてこない。
思いだすのやめちまおうか。
……とか、思った瞬間。
お?
おお。なんか思い出してきたぞ。
「えーと。それは鉄にクロムを混ぜた合金だな。表面に酸素と化合してクロムの不動態被膜が形成されるので、それ以上の錆びの進行が止まるわけだ。だから本当の意味では錆びないわけじゃない。ほんのわずかに錆びることでコーティングされるわけだ」
え? 俺、なんで、こんなこと知ってんの?
ああ。3年前の4月8日に、たまたま付けてたテレビの番組でやってたのか。11時50分からの放送大学の番組だったな。
――って! なんでこんなこと! 俺! 思い出せるの!?
「クロムとな? 鉄との比率は、いくつになるのだ?」
「18%だ。16から18%でフェライト系のステンレスになる」
俺はあっさり答えていた。テレビの番組でおっさんが喋っていたからだ。
「あと。このまえの金属加工の本にも詳しく書いてあるぞ。187ページからだ」
俺はまたまたあっさりとそう答えた。
美津希ちゃんから渡された本は、俺は読んではいないが、ぱらぱらぱらーと、3秒ぐらいで全ページめくっていった覚えがあった。たまたまそのときに視界に入っていた。
それ以外のステンレスの知識は、俺の中から出てこなかった。
もう他にはなにも、見ても聞いてもいないようだ。
「これだな」
どっからか出してきた本を、ドワーフは開いている。
フセン貼りまくり。手垢つきまくり。バカエルフのやつの手書きメモも、山ほど挟んである。
「ううむ……。読めん」
「読んであげますよー」
バカエルフのやつがどーワーフのところに駆けつける。
ドワーフの地団駄がようやく止まる。
しかし、足をジタジタとか――子供か?
「わたしも……、字、おぼえたほうがいいですか?」
「ん?」
傍らに目を落とせば――。
エナが、俺のシャツの裾を、つんつんと引っぱっていた。
「ああ。覚えてもらうと、いろいろ便利かもな。――ああ、でも。おまえの場合、そのまえに、こっちの――自分の世界のほうの字を覚えるのが先なんじゃねえの?」
「そのくらい。できます」
ぷいっと、そっぽを向かれた。
うええ? なんか怒った? いま怒らせちゃった?
これなんで怒ったの?
このくらいの年齢の女の子。俺。マジ苦手。
今日のCマートは、ステンレスのスプーンが大人気だった。
エナちゃんはレギュラーキャラ化です。
年齢は、皆様のお好きな年齢をあてはめてもらえればいいかと思いますが、いちおう著者的には、小学校高学年ぐらいを想定しております。