第26話「お風呂無双」
いつもの昼下がり。いつものCマートの店内。
俺が店の端っこで在庫リストをチェックしていると、もう一方の端っこでバカエルフがなにかをやっていた。
「ねーマスター。このタライ。使ってもいいですかー」
「商品だが……。まー、いいんじゃねーの?」
俺は適当にそう答えた。
商品が新品かどうかを気にする人間は、この異世界にはまったくいない。
「マスターがいつもお湯を沸かしているのに使ってる〝かせーとこんろー〟とかゆーの、使わせてもらいますねー」
「かまわんが……。それは〝かせーとこんろー〟ではなく、カセットコンロだぞ」
バカエルフのやつは、カチッ、カチッとつまみを回して火をつけている。
店の中央には棚とテーブルがあるので、向こうでなにをやっているのかは、よくわからない。どうやら湯を沸かしているような感じなのだが……。
「これ便利ですねー」
「そうだろう。そうだろう」
俺はそう言った。なんか褒められた気分で、悪くはない。
カセットコンロ自体は、あまり売れないのだが……。
そのまま、時間が経つ。
十数分ぐらいすると、はらりはらりと――なんか衣擦れみたいな音が聞こえてきた。
「???」
それから、こんどは、ちゃぷちゃぷと水音が――。
「おま? ――さっから、なにやってんの?」
俺は商品の棚を回りこんで、バカエルフのほうに行ってみた。
ひょいと商品の角から覗きこむと――。
「うわ! バカおまえ! なにやってんだあぁ! バカあああぁ!」
「あ。外でやったほうがよかったですかね。行水」
「ば、バカああぁ! バカ! うわ! おま――! バカあぁぁ!」
俺は叫び続けていた。ほとんどパニックだった。
こいつ! このバカエルフ!
あろうことか! 店の中で! 湯を張ったたらいにすっぽり入って!
しかも服を脱いでいて――!!
つまり、ぜ、ぜ、ぜ……。
マッパで!!
「???」
俺がふさがらない口を、わなわなと震わせて、指を突きつけていても――バカエルフのやつは、ぽかんとしている。
ちゃぷちゃぷと湯を肩や腕に掛けている。
鎖骨に掛けられた湯が、流れる。痩せているくせにそこだけ豊かな胸のところで、二つに分かれて、たらいの水面に流れ落ちる。
「マスターもしますかー? 行水」
「ば、ばかっ、ばばば、ばかっ」
「ああでも。お湯がけっこう汚れちゃってますね。また沸かさないとー」
「ばばばばば……、ばばば……、ばっ、バカエルフ!!」
俺はようやく、それだけを言えた。
バカ! このバカエルフ! ほんとバカ!
こんな真っ昼間に! こんなとこで素っ裸になって! たらいで体洗いやがって! 外からだって見えるっつーのに!
てゆうか! 俺がいるっつーのに! いま見てるのに!
なんで恥ずかしがらないんだ! なんで隠さないんだよ! こいつは!?
バカ!? バカだからからかっ!!
「さっきから、もうっ、なんなんですか? マスター」
バカエルフのやつは、くびれた腰に手をあてて、むっと俺を睨んできた。
「うるさいですよ」
ぷるんと、二つ揃った膨らみが揺れる。
「い――言うことはそれだけかっ!? おまえ!」
「あ……! ひょっとして、マスター? 発情期だったりします?」
バカエルフはそう言うと――今頃になって、ようやく胸を手で隠した。
ちょっと頬を赤らめたりもするのだが――。遅い! 遅すぎる!
「だからなんなんだよ!」
「ちがうんですか? どうなんですか?」
「ちげーよ! そんなんじゃねーよ! てゆうか! なんでタライで行水してんだよ!」
「なんだ。そうですか」
バカエルフのやつは、胸を隠していた手をはずした。
またポロリと二つの膨らみが――。
俺はずびっと回れ右をした。背中を向けた。
「たまには体を清めませんと。これでもいちおう女の子なわけですし」
バカエルフのやつはそう言った。
バカ! バカエルフ!
女の子だっつーなら! こんなとこでマッパになってんじゃねえ!
「だ、だ、だ――だったら! ふ、ふ、ふ、風呂にでも入ればいーじゃねーか! なんでこんなとこでタライ使って――」
「ですからさっき、表でやりますと言って――」
「中でやれ!」
俺は開けっ放しの戸口のところを、なにかで塞ごうとしていた。段ボールとレジャーシートをもってきて、ガムテで貼り付けにかかる。
「ところでマスター? 〝ふろ〟とはなんでしょう?」
「は?」
「マスターがさっき言った言葉です。わたしが思うに、〝ふろ〟というのは、きっとおいしい肉味のする食べ物ではないかと――」
「ちげーよ」
俺は一言のもとに片付けた。
ひとつわかったことがある。
こっちの世界には。風呂がないんだ。
なるほど。なるほど。
「よし」
「ん? マスター? どちらへ?」
「――ちょっと仕入れにいってくる。早くあがれよ。風邪ひくんじゃねーぞ!」
俺はそう言い残すと、シートをめくって、戸口から出て行った。
◇
「お、重てえ……」
俺は巨大な荷物を背負って、道をよろよろと歩いていた。
背中にずしりとのしかかっているのは、俺が向こうで探してきた〝品物〟だ。
その物体は、世間一般的には、「ドラム缶」と呼ばれている。
勢い込んでこちらの世界に来た俺であるが、ドラム缶をどこで入手すればいいのか、まったくわからなかった。
ホームセンターは、近いところと、大きいところと、両方みたが、みつからなかった。
困ったときの美津希ちゃん頼み。
質屋に行って美津希ちゃんに聞いてみると、ご近所さんの商店街をあたってくれた。ガソリンスタンドで古いドラム缶を譲ってもらえることになった。
そのドラム缶を担いで、俺はいま、異世界に戻ろうとしているところだった。
しかし――。
「お、重てえ……」
ドラム缶は重かった。
普段、何十キロという荷物を運んでいる俺なのだが――。
それに比べれば、重量的には、たいしたことのないはずなのだが――。
大きさも関係してくるのか、重心が取れなくて、ひどく重たく感じる。
ふうふう、はあはあと歩いているものだから、向こうの世界へのリープもうまくいかない。
俺はまだ現代日本の路地を歩いている。
異世界にリープするためには、頭をまっさらにして、なにも考えずに、ふいっと角を曲がらなければならないのだ。
俺はエルフのおっぱいを頭の中に浮かべた。
おっぱい。おっぱい。おっぱい。
ふいっ。
よし!
見慣れた異世界の街並みを道の向こうに見て、俺はガッツポーズを取った。
◇
「なにー? なにー? おじちゃん、これなにー? ひみつきちー?」
「うるせー。ガキども。あっちいってろ。バカエルフに飴玉もらってろ。あとこれは秘密基地じゃない。風呂だ風呂。それからもうひとつ。俺はおじちゃんじゃない。おにーさんだ!」
「おねーちゃーん! あめちゃん! ちょーだーい!」
ガキどもが編隊飛行してバカエルフの元へ行く。
大きな石をいくつか敷いて、その上にドラム缶を載せる。
地面との間に空間を作る。薪を焚くためのスペースを確保する。
ドラム缶風呂を作るためには、上蓋を切り取る必要があった。
ドワーフの鍛治師の親方に手伝ってもらった。
中はオイルまみれだったから、ぼろきれで拭きとった。それでもすこし残ってしまってうまく取れずにいたら、オバちゃんが知恵を出してくれた。
こーゆーのは、乾いた砂で磨き上げるとよいらしい。
その通りにやってみたら、綺麗になった。ピカピカになった。
ドラム缶に水を張るのは重労働だった。
店の裏手にある井戸で水を汲み、バケツで運ぶこと、数十回――。
ようやくドラム缶が満タンになる。
次の時には、もっと井戸に近いところに置こう。俺はそう決心した。
火のついている薪を近くの民家でもらってきて、火種にして、そこに新たな薪をどんどんと足してゆく。
ドラム缶風呂は下から直火であぶるのがやりかただ。
近所の人が、何事かという顔で、興味深げに覗きこんでくる。
通行人も立ち止まって、なにやっているんですか? と聞いてくる。
そのたびに俺は「風呂ですよ」と説明した。
皆はわかったようなわからないような。そんな顔をして、野次馬の列の中に混じっていった。
「よし! 適温だ!」
湯の中に手を入れて俺は言った。湯に浮かべたアヒルの温度計も、ちょうど40度を指している。
「みなさん! 風呂がわきました!」
俺は見物人のほうに体を向けて、そう叫んだ。
本日、Cマートが現代世界から持ちこんできたものは、「風呂」だった。
ドラム缶風呂そのものではなく、「入浴」という文化を輸入したわけだ。
「これから風呂をどういうふうに使うのかを説明したいと思います!」
俺はそう叫んだ。
そしてドラム缶風呂のほうを、振り返ると――。
「よっこらしょ――と」
ざぶー、と、お湯が溢れる。
たき火のところで、じゅーじゅー、いってる。
「ふうー……、この〝ふろ〟とゆーのは、これは、いいものですねー」
「おいバカエルフ。なんでおまえが、さらりとあたりまえの顔をして入ってる?」
「せっかくマスターが入れてくれたのですから。入らなかったら悪いじゃないですかー」
「俺は自分が入るために風呂いれたの! 実演するために入ろうとしてたの!」
「まあまあ」
「まあまあ、じゃ! ねえーっ!」
俺は叫んだ。
「あ。マスターもうすこし熱くおねがいします」
バカエルフのやつは、湯に浸かりながら、平然と、そんなことを要求してくる。
俺はバカエルフのために、薪係をやるはめになった。
◇
後日。
Cマートの近所に〝風呂屋〟ができた。
うちのドラム缶風呂を真似して、鍛治師の作った鉄の筒を、何本も空き地の原っぱに立てて、下から薪で温めるという方式まで同じ。
べつにそんなところでなにかを主張するつもりもないし。
風呂屋から帰ってくる人たちが、皆、ほんわかした、いい笑顔になっているし。
まったくなんにも問題はない。
皆が笑顔になるのは、よいことだ。
俺もちょくちょく客として利用させてもらっている。
向こうに行ったときにアパートに寄って風呂に入ってくる必要もなくなった。
しかし、なんでか……。屋外?
そして、なんでか……。男も女も原っぱでマッパになって、入浴を楽しんでいる。
いいのか?
まあ。いいんだろうなー。
異世界。すげえと思った。
異世界に風呂が輸入されました。ただしドラム缶風呂。
ドラム缶風呂には、いっぺん、はいってみたいと思っています。