第20話「一杯のフルーツジュース」
ちゅん。ちゅん。ちゅん。
Cマートに朝が来た。
「おまえ。朝飯。なんにする?」
歯磨きが終わって、朝飯の準備に取りかかった俺は、缶詰めをがさごそとやりながら、バカエルフにそう聞いた。
「わたくしは――。フルーツジュースを、一杯、いただきたく存じます」
「は?」
なんか耳慣れない言いかたで、耳慣れない内容を言われたもので、俺は、思わず振り向いてしまった。
ぎょっとした顔で、バカなことを言ってきたバカエルフを見返す。
「はい?」
「ですから、フルーツジュースを――」
「いま? なんつった?」
俺はまじまじとバカエルフの顔を見ていた。
「いつもマスターが言うからですよ。いわく――エルフとゆーものは、朝は一杯のフルーツジュースから始まるものだと」
「ゆったけど」
「ですからわたしも、一杯のフルーツジュースからはじめてみようと思いまして」
「フルーツジュースとやらはありませんか?」
「あるけど。……あったはず」
俺は缶詰めと飲み物のコーナーにいって、がさごそと探した。
ペットボトルのリンゴジュースとオレンジジュースが出てきた。
両方手にして、振り返る――。
「どっちがいい?」
「上品なほうで」
「しらんわ」
「では……、ええと、白いほうで」
白いほうっつーと……。リンゴジュースか。
俺はリンゴジュースのペットボトルを放った。
食事が始まる。
俺はいつものように缶詰めとレトルトの白ご飯。白ご飯を温めたお湯で、インスタントの味噌汁も作る。
バカエルフのやつは、ジュースが一本きり。
どうやら本気で「エルフの朝は一杯のフルーツジュースではじまる」をやろうとしているようである。
「わっわっ。おいしいですよ。これ」
「そうか。よかったな」
俺はそう言った。
俺のほうは、サンマ缶をおかずに白ご飯をかきこんでいる。
「マスターは飲んだことありますか? おいしいですよ。これほんと」
「ああ。1万本くらいは飲んでるな」
リンゴジュースぐらい、飲んだことあるわい。1万本はジョークだが。
「上品な味がいたしますわー。エルフっぽい味ですわー」
「やめろ。その変なしゃべりかた」
「エルフ語ですよ」
「うそをつけ」
「うそじゃないですよー。こんなような喋りかたをしてました。エルフの村を訊ねたときに。たしか」
「たしかってなんなんだ」
「ああー。マスターからいただいたジュースはたいへんおいしゅうございますわー」
「いいからやめろ。すぐにやめろ。1秒以内にやめろ」
「わかりましたよ~。でもこれ。本当に飲んだことない味です。はじめてですけど。でも、おいしーです」
いつもの口調に戻った。バカっぽくなった。だいぶましになった。
「ところで食事が終わってしまいました」
「あたりまえだろ」
物足りなさそうな声をあげるバカエルフに、俺はそう言った。
たった一杯きりのジュースだ。すぐになくなってしまっている。
いつもこいつは、がふがふと肉缶3個を食っている。そのうち1缶はワンコ用の大きな缶だから、じつは相当な量になる。
ワンコの缶には穀物や野菜も入っているようで、意外と完全食らしい。バカエルフのやつは、俺の白ご飯のような〝主食〟は抜きで、いつもだいたい肉缶だけを食べている。
「見ていたって、やんねーぞ」
「見ていませんよーだ」
とか言いつつ、バカエルフのやつは、俺の食事を、じーっと見ている。
あ。とうとう、指まで、くわえやがった。
物欲しそうな目になって、じーと見てくる。
「おまえが言いだしたんだろ」
「そうですよ。わたしが自分で言ったんです」
「じゃあ見るのをやめろ。なんか食いにくいだろ」
「マスターこそ、見てくださいよ」
「なにを?」
「わたしです。わたし。――どうですか? エルフっぽくないですか?」
「は?」
バカエルフのやつは、なんかポーズを取っている。
自称〝エルフのポーズ〟――だとか、なんかきっとそんなようなポーズを取って、ドヤ顔をしている。
「ばか? おまえ、ばか?」
「だってマスターが言ったんですよ? エルフというのは、朝は一杯のフルーツジュースからはじまるのだ、って」
「そうだな。言ったな」
「マスターはいつもわたしのことをバカにしますから。バカエルフだ。ダメエルフだ。クズエルフだ。ゴミエルフだ。姫騎士エルフだ。――と」
「バカエルフと言った覚えはあるが、ダメエルフ以後は言った覚えがないのだが。あと姫騎士ってのはなんなんだ? それはダメなほうの修飾詩になるわけか?」
「我々の業界ですと、だいたい、そうです」
「そうなのか」
「――で。おまえはバカエルフを返上しようとししたわけか」
「そうなのです! 一杯のフルーツジュースからはじまったわたしは! もはや正当派エルフなのです!」
「肉食うやつは、破門エルフじゃなかったのか?」
「今日は食っていません!」
バカエルフは自信満々で胸を張った。
やっぱこいつはバカだなぁ、と俺は思った。
◇
「ま、ますたぁ……、ま、ますたぁー……、お、おなかがすきましたあぁぁ……」
まだ昼にも入っていないのに、一週間も絶食したような顔になって、バカエルフのやつが言う。
「ああ。それなんだが」
床にへたりこんでいるバカエルフを見下ろしながら、俺は言った。
こいつ。朝からまったく仕事をしていない。ぐでーっと座りこんで、ふうふう言って、30秒に一回ずつ、「お腹がすきましたぁ」と言ってくる。
ウザいこと、このうえない。
「エルフという種族について、俺はちょっとそのへんで話を聞いてきた」
「一杯のフルーツジュースからはじまるのがエルフです。わたしは守り通しました。よって私はエルフなのです。エルフ以外の何者でもありません」
「うん。そうだな」
俺はとりあえずうなずいた。
朝からこの瞬間までは、こいつはエルフだ。
しかし――。
「そして昼食なのだが……。昼は野菜サラダで過ごすのがエルフだそーだ」
「え゛?」
落ちくぼんだ目を、ぎょっとさせて、バカエルフは俺を見る。
この異世界において、エルフという種族は、わりと珍しい種族だった。なにを食っているのか、よくわからない。
ハーフエルフのオバちゃんに、まず聞きに行ってみた。
だが彼女の場合は、エルフだった片親と幼い頃に生き別れになって、その後は人間の世界で育ったそうで、エルフの話は聞けなかった。なんか重い話が飛び出てきそうで、俺は速攻、逃げ帰ってきた。
次に尋ねたのは、純血のエルフのおねーさんだった。以前、街で見かけた、長い耳のエルフのおねーさんが、街のどこかにいるのだろうと、探してみたら、さすがに珍しい種族だから、三人目に聞いた人の友達の友達で、見事に行き当たった。
彼女にちょっと話を聞いてみた。
純血エルフの彼女の場合、朝はたしかに一杯のフルーツジュースらしい。そして昼は野菜サラダ。夜にはさすがに、穀物で作ったパンかナンみたいなものも食べる。肉類はほとんど口にしないが、豆類は摂るそうだ。あとミルクと、チーズみたいなものと、鳥や爬虫類みたいな生き物の卵は摂るそうだ。
なんだ。けっこう肉っぽいもん食ってんじゃん。完全な菜食主義者ってわけでもないんじゃん。
「おまえの志には、俺は痛く感動している。そこでおまえに協力しようと思ってな――。オバちゃんに野菜サラダを作ってもらったぞ」
俺は後ろ手に持っていた野菜サラダのボウルを、前に出した。
「え゛?」
「昼にはちょっと早いかもしれんが……。さあ、昼飯にしようぜー」
エルフの娘は、エルフの娘っぽく、昼はもっしゃもっしゃと野菜と草だけを食って過ごした。
◇
「ま、まふたぁ……、お……、おなかが……、ふきました……」
夕食前だというのに。
エルフの娘は床にぐんにゃと伸びきっていた。
「おまえ。どんだけ燃費悪いんだよ」
「わたし……、ねんぴ……、わるいって、いったじゃないですかあぁ……」
「いや。知ってるけど」
「ますたー……、そろそろ……、さよなら……、です……。わたしの……、お墓には……、〝尊きエルフ。エルフの掟を貫いて。清らかなまま死ぬ〟――と書いてください」
「いやおまえそもそも破戒エルフだし。肉断ってるの今日だけだし」
「さよなら……です」
エルフのやつは、ぱたりと倒れた。ぴくりとも動かなくなった。
俺は、ふう……と、ため息をついた。
一食、野菜サラダにした程度で、餓死するとか……。いったいどんだけだ?
缶詰めコーナーに行く。
大きな缶詰めをいくつか持ってくる。カロリーの高そうな……っていったら、サバ缶とかツナ缶とか、コンビーフとかか。
ぱっかん、と開けた。
そこらの皿を持って来て、缶詰めを逆さまにする、缶の形がまんま残った円筒形が、三つほど、そそり立った。
それをエルフの死骸の近くに置いた。
そのまま待つこと、数秒……。十数秒……。
ぴくり、と動く。
餓死したはずのエルフの死骸が、なんと、蘇生した。
エルフのやつは、がばっと顔を持ちあげるとあげると、がっふがっふと皿に顔を埋める勢いで食いはじめた。
しかし――。手ぐらい使え。いや。手で食うのもアレだな。
スプーンぐらい持って来てやろうと――。
俺が後ろを向いて、またこちらを向くまでのあいだに、皿は空になってしまっていた。
「マスター! おかわりください! おかわり!」
犬のように伏せたバカエルフは、尻尾をぶんぶんと振っていた。
いや。尻尾はないはずなのだが……。ないはずなのだが……。
俺にはたしかに尻尾が見えていた……。
「おまえな。倒れられたら、俺が迷惑すんの。肉を食おうが食うまいが、おまえがバカエルフであることにかわりはないの」
「つまりマスターは私がエルフであることを認めたと?」
「ああ。もういいよ。認めた認めた。俺の負けだ。負けだ。食え食え」
いったい、いつ、これは勝負になったのだ?
俺はスプーンを手渡した。エルフの娘は起きあがって食事をはじめる。
その金色の髪の毛を、わっしゃわっしゃとかき混ぜてやりながら、俺は苦笑していた。
「マスター。マスター。もう一個缶詰めあけていいですかー? いいですかー? いいですかー?」
ああ。ほんと。
バカエルフめ。
主人公とヒロインの絆(?)が深まった……のか?
Cマートのヒロインは、正当派エルフにはなれませんでしたー。肉食なのでっ。