第18話「ひげそり無双?」
ちゅん。ちゅん。ちゅん。
一度も姿を見たことのない小鳥の鳴き声が、朝のCマートの店内にBGMとして流れる。
「ふわ~ぁ」
店の床の間のあっちとこっちとで、むくりと同時に起きあがる。
俺は現代文明の利器である寝袋にくるまって寝る。向こうは旅慣れてるらしいので、ボロマントにくるまったままで寝る。ちなみに3秒もあれば寝息を立てられるのが、バカエルフのバカな特技である。
「ふわ~ぁ……」
俺は大あくびをひとつ。頭がまだ半分眠ったままで、歯磨きをはじめる。
歯磨きチューブを、歯ブラシの上に、長々と何センチかひり出して、口の中に突っこんで、わっしゃわっしゃとやっていると――。
「マスター、マスター、マスター、いつも気になっていたのですがー。ですがー。ですがー」
三回ずつ呼ばれた。バカエルフは、なにか相当気になっているらしい。
「なんふぁー?」
「マスターが朝いつも口の中に入れているそれは、食べ物なのでしょうかー? でしょうかー? でしょうかー?」
「独り占めはずるいと思いますー。思いますー。思いますー」
なるほど。食べ物に見えるのか。
たしかになんとなく甘いし。味はミント味だし。
そういや子供用はみがきにはオレンジ味とかあるっけな。あったっけな。
俺は無言で店の売り物のところに歩いていった。
新品の歯ブラシを一本。そして歯磨き粉は、子供用で――オレンジ味はなかったが、バナナ味が見つかった。
歯ブラシの上に、3~4センチ、バナナ味の歯磨きをひり出して――。
「ほりゃ」
バカエルフの口の中に突っこんでやった。
「こっ――これはっ!」
バカエルフは目を見開いて驚いている。
「あまいですー! おいしいですー!」
バナナ味はお気に召したようだ。
ん……? しかし、おいしい?
「おかわりをくださいー!」
にこにこと笑顔になって、バカエルフは言う。
「え? おまえ、飲んじゃったの?」
「なにがですか?」
「だから。はみがき」
「おいしかったですー。ぜひおかわりをー」
「ばかっ! これは食いもんじゃねーの!」
バカエルフの頭をぺしっとはたく!
「なるほどー。どケチなマスターがあっさりくれるから、おかしいとは思いましたー」
「だいじょうぶかなー?」
俺ははみがきチューブの成分表を見ながら、そうつぶやいた。
まあ、口の中にいれるものだから、そんな、体に悪い物が入っているわけはないだろうが……。
「もう食うなよ? つぎは食うなよ? これは食いもんじゃなくて、歯を磨くためのものなんだからな?」
俺は何度も念を押した。
バカエルフは、わかっているのかいないのか、手を上げ下げして、はやくはやくと催促してくる。
こんどはさすがに飲みこまない。
磨き方も教えてやる。
バカエルフのやつは俺を見習って、同じように歯磨きをはじめた。
バカエルフが歯磨きをちゃんとやっているのを見て――。俺は、がらがらぺーっとやった。自分の歯磨きを終わらせる。
しかし……。物珍しそうにしているバカエルフのやつを見ていると、どうも、この世界には「歯磨き」という習慣がないんじゃないかと、そう思う。
そりゃ、はみがきチューブも、歯ブラシも、売れんわけだ。向こうの世界の日用品は、けっこう人気商品が多いのだが――。はみがき&歯ブラシのセットだけは売れない。まったくと言っていいほど売れない。
俺はカミソリを取り出した。使い捨てのT字カミソリの刃を、ちょっと豪勢に、新品に替える。
石けん水をつけて、しょりしょりと――。
「マスター、マスター」
「これは食いもんじゃねえぞ」
「そんなことは言ってませんよ。なんですか、それは?」
「どれ?」
俺はひげ剃りを止めて、バカエルフに聞き返した。
「それです。それ」
「だから、どれ?」
俺はひげ剃りをしているだけだ。なにも珍しいものなんて――。
「そのおひげを剃っている、それですが」
「ん? これか?」
俺は自分の手元を見た。
安物の二枚刃のカミソリだ。プラスチック制の単なる使い捨て。
本当は電動シェーバーが便利なのだが。こっちの世界には電気がないので、逆に不便になってしまう。
「ひょっとして……、カミソリも、ねえの?」
「じゃあどうやってヒゲを剃るの?」
「わたしはおヒゲは生えませんが」
エルフの肌はつるつるだ。人間の女なら目をこらせば産毛ぐらいは見えるのだが、そういうのもない。金髪なので産毛も見えない。
「女はヒゲ剃りしねーよ。男はするだろ」
「はて……?」
バカエルフは首を傾げる。
なんで首を傾げているのか、俺にはわからなかった。
◇
バカエルフと差し向かいで、朝飯を取ってから――。
午前中、俺はぶらりと街中に繰り出した。
手には商品。
カゴに商品をいれて、ちょっとした行商気分である。
今回、持って回る商品は、歯ブラシ、はみがき、そしてカミソリだ。あとはシェービングクリームなんかも持っていった。
「おーっす」
「貴様か。俺は忙しい。何の用だ?」
これは頑固親父ツンデレ語でいうと「よく来たな。何の用だ」という意味だ。
「ヒゲが伸び放題だな」
「ふはは。自慢のヒゲだ」
「ちょうどここに、ヒゲを剃るための品物があるんだ。カミソリと言うんだが」
俺はカゴからカミソリを取り出した。交換用の替え刃の5個付いたそれを、ドワーフに手渡そうと――。
「ヒゲを……、そ、剃れと?」
「ん?」
「な、なんだ……俺はそんな悪いことをしたのか? いったいなにをした?」
「ん? ん?」
ドワーフはなにか愕然としたような顔で立っていた。
なにかショックを受けたらしい。……だが、なんでだ?
◇
店に帰ってから、そのことをバカエルフに聞いてみた。
「だめですよ。マスター。ドワーフは一生に一回だってヒゲを剃りません。もし剃ることがあれば、それは、他人に対する反省と謝意を表しているんです。〝ドワーフが髭を剃る〟って、格言になっているくらいですよ?」
「あれか? 頭を丸める、みたいな意味なのか?」
「いえそっちは知りませんけど。髪の毛なくすと、なんで反省になるんですか?」
「俺にとっては髭をなくすと反省になるってほうが、まるでわからんのだが。さっぱりしていいんじゃないか?」
「だいたいマスター。なんで毎日おヒゲを剃ってるんですか? おヒゲ剃ってる人なんて、いやしませんよ」
「そんなわけないだろ。普通――」
言いかけて、俺は、言葉を止めた。
店の前の通りを――覗いてみる。
行き交う人々の中で、大人の男性に注目する。
1人通った。ヒゲだ。
2人目が通った。またヒゲだ。
3人目が通った。これもヒゲだ。
4人目――ほらヒゲじゃない!
「あの子はまだ子供じゃないですか?」
バカエルフに言われた。
ああ。まあ。たしかに十代の真ん中くらい? まだヒゲ生えてないかもしれない。
5人目が通った。ヒゲだ。
6人目が通った。これまたヒゲだ。
7人目が通った。やっぱりヒゲだった。
ちくしょう! ヒゲなしの男はいないのか!
「だからいやしませんって」
23人目で、ようやく、大人の男性で、ヒゲなしの人がいた!
「ほらああああ! 見ろおおおおお!」
俺は叫んだ。
すっかり奥に引きこんでいたバカエルフの首根っこを掴まえて引っぱり出してきて、
「あー。はいはい。言いすぎでしたね。絶対にいないわけじゃないですね。でもほとんどいませんよね。だいたいそれを言ったらマスターだっているわけですから。はじめから〝絶対〟なわけじゃなかったですよねー」
「ほら! いただろ! いたじゃん!」
道を通りがかっていた男性は、自分が話題になっていることで興味を持って、店の中に入ってきてくれた。
「さあ! ヒゲを剃る習慣のある! そんなダンディな貴方に! ひげ剃りグッズはどうでしょう! このカミソリという品は! なんとほら! ヘッドが交換できて、いつでも新品の剃り味に戻るんです! いまならこちらのシェービングクリームもお付けして――!」
「あ。すいません。僕。髭が生えない体質でして」
俺はがっくりとくずおれた。
今回はまったくの敗北だった。俺が笑顔じゃなかった。
異世界でひげ剃りグッズは、ぜんぜん売れなかった!
使い捨てカミソリ便利ですよねー。でも髭を剃る習慣のない世界では、無用の長物だったようで……。