第17.6話「行きたいなー」
店に入って飲み物を頼んだ。
そこはドリンクバーのないファミレスで、ウエイトレスの女の子が注文を取りにやって来て、戻っていって――。飲み物を持って、またやって来て、お盆だけ持って引きあげていって――。
――と。
そのあいだ、気まずい無言の時間が流れていた。
美津希ちゃんの発する迫力たるや、「美津希様」を通り超えて、「美津希大明神」ほどとなっていた。
にこにこ笑顔で向かいの席に座っているのだが、その後ろには、「ごごごごご」と効果音をともなって、背景効果が発生していた。あきらかに。
ウエイトレスの女の子がお尻が角を曲がっていった瞬間――。
美津希ちゃんは、がばっと身を乗り出してきた。
「さあ! 話してください!」
テーブル越しに襟首を掴まれるんじゃないかと、まじで思った。そのくらい美津希ちゃんの鼻息は荒かった。
「どう、どう。――話す。話すから。そんなにエキサイトしないでくれって」
「え? やだわたし。興奮しちゃってました? ……いましたよね? いやだ……もう。すーはー。すーはー」
美津希ちゃんは、自分の髪を撫でつけつつ、深呼吸を繰り返した。
ストローで、アイスティーを、ちゅうう、と吸いたてる。
「……はい。もうだいじょうぶです。こわくないです」
ふつうの美津希ちゃんに戻った。
ぶっちゃけ、さっきまではちょっと怖かった。手を離してもらえなかった。ファミレスに引きずり込まれた。
「マレビトさんがいけないんですよ。異世界に行ってるとか、おもしろいこと言うから」
そうか。俺がいけなかったのか。あと異世界はおもしろいのか。
「さ。話してください」
「期待されても、そんなたいした話はできないんだよなー。俺。ひょんなことからあっちに迷いこんで、店、開くことになっただけだから。観光とかまったくしてないし。街の中の狭いところしか見てないから」
「エルフさんっ。エルフさんっ。エルフさんはっ?」
握った手を上げ下げして、美津希ちゃんは聞く。
「ああ。いるみたいだぞ。うちの店員がエルフだぞ。肉食だけど」
「ドワーフさんっ。ドワーフさんっ。ドワーフさんはっ?」
「それもいるっぽいな。鍛治師の親方がツンデレで、たしかそのドワーフだ」
「魔法とかドラゴンとかっ。剣と魔法とかっ。血と肉と鋼とかっ。灰と青春とかっ。――そうですよそう。ダンジョンとか迷宮とか冒険者とかっ!」
美津希ちゃんはまたエキサイトしてきた。
どうも美津希ちゃんの異世界のイメージを、ゲームとかアニメとかのそれと混同してしまっているようだ。
〝現実〟の異世界っていうのは、もっとこう、ちがうものなのだ。
冒険の毎日とかでは――けっしてない。
俺は顎先をなでまわしながら、説明を始めた。
「冒険者はいたぞー。店にきたなー。チェーンソー売りつけてやったっけー。あと魔法ってのは、見たような見ていないような。あっちには、いちおう、そーゆーのは、あるらしいんだけど。そんなの一介の店主にはあんまり縁がないっつーか。血沸き肉躍る冒険とかも、もちろん、なしで。あっちの生活は、まったりしたもんだよ。目覚まし時計もない生活で、ガキどもに飴くばるのが日課で、缶詰開けて朝飯食って。午前中に何人。午後にも何人。客の数を数えながら、夕暮れになったら店閉めて夕飯を食って、星空見ながら寝る毎日だよ」
「そっか……。うちもお店ですけど。質屋ですけど。おじいちゃんにご飯食べさせて、お店開けて、ガッコ行って、買い物して帰ったら、おじいちゃんにまたご飯食べさせて、帳簿つけて宿題してお風呂入って寝るっていう毎日です」
店をやっている者同士。なにかシンパシーで通じ合った。
「それでたまにマレビトさんがやって来てくれます。たまにしかやって来てくれません」
にこっとやって、ぐさっとやられる。
俺はどういう顔を浮かべればいいのか困っていた。
ああそうか。美津希ちゃんの繰り返しの日常のなかに、ぽっと現れた非日常だったわけか。俺は。
「どうやって異世界に行くんですか?」
「うーん。なんとなく」
「それじゃ答えになってませんよう」
「いやほんと。考えると行けなくなっちゃうんだよ。考えないで歩いていると、着くんだ」
「え? 歩いて行くんですか? 秘密の通路を通っていったり、特別な乗り物に乗ったり、不思議な生き物に運ばれていったりするんじゃなくて?」
「ああ。秘密も特別も不思議もなしだ。ただ。てくてくと歩くだけ。ひょいと曲がって、歩いてゆくと、着くんだよ。すべての道は異世界に続く――ってな」
俺! いまいいこと言ったー!?
「じゃあ……、わたしでも……、行けるんでしょうか?」
スルーされた!?
「あっ。いまの、〝すべての道はローマに通ず〟のもじりですね。うまいですね。ラ・フォンティーヌですね」
フォローされた!? いたわられた!? 原典紹介された!?
やっぱり美津希ちゃんは美津希ちゃんだった。スーパー女子高生だった。
俺はショックを押し隠すのに精一杯だった。……ちがった。美津希ちゃんの言った言葉の意味を考えていた。
「……行けるんじゃないかな?」
「え?」
アイスティーを吸っていた美津希ちゃんの動きが、ぴくっと固まった。
「まさか」
「いや。歩いてゆくだけだし。できるかもしんないし」
自分以外の物体を向こうに持って行けるかどうか、実験してみたことはない。
いつも使っているのは登山用の大きな背嚢【背嚢:バックパック】だ。ころころカートだとか、あるいはリアカーだとか、自分自身の体以外に、どれだけ向こうに持ち込むことができるのだろうか。
たとえば人間一人、連れて行くことは可能だろうか。
これまで特に必要としていなかったので、試したことはなかったものの、いまがそのちょうどいい機会なわけだ。
「じゃあ行くか。――あ。飲んでからでいいよ」
「いきます。いきます。飲みます。飲みます。――飲みましたあぁ!」
ずごっと一息のもとにアイスティーを吸い殺して、美津希ちゃんはソファーからお尻を浮かせた。