第17.5話「カミングアウト」
書籍版1巻ラストに差し込まれていた話です。
とある天気のよい、ある日のこと。
俺はいつものホームセンターを訪れていた。
特になにを目的としているわけでもないのだが、なにか向こうで人気商品となるべき物がないか、棚のあいだをのんびり歩きながら、まったりと無目的に探し物をしていた。
こちらでの売れセンと、向こうでの売れセンとは、まるで違う。まったく関係がないと言ってもいい。
よって、目立つところに珍連されている品物よりも、店の奥の方にひっそりと置かれている品物を中心に、見て回ることになる。
そうして、俺が秘境かつ、不人気地帯を歩き回っていると――。
「あっ。お金持ちさんだ」
聞き慣れた声がうしろからかかった。
俺は苦笑いを浮かべつつ――振り返った。
「それはやめてくれよ。――美津希ちゃん」
私服姿の女の子は、くすくすと楽しげに笑っている。
「今日はなにか探しものですか? マレビトさん?」
美津希ちゃんはこのホームセンターのマイスターだ。どこになにがあるか、すべてを知っている。
「ああ。今日はべつに目当てがあるわけじゃないんだ。ただなんとなく。ぶらぶらっと。なにかいいもん、あるかなーって」
「じゃあ、わたしとおんなじですねー。わたしも。ぶらぶら~っと。なにかいいものあるかな~って。ただなんとなく」
そう言う彼女の手には、お米の袋が下がっている。五キロのそれは、女子高生の手には、少々、重たそうだ。
「持つよ」
俺は手を伸ばした。四の五の言うまえに、さっさと奪い取る。
「ありがとうございます」
女子高生はお礼だけを口にした。「いいです」「持つよ」「いいですって」「持つよ」――とか、意味のない譲り合いをしなくて済んだ。
荷物を持ってあげてる関係上、二人並んで、店内を歩く。
「マレビトさんは、どういったものを探してたんですか?」
「本当に特にこれといっては……。向こうで売れそうなものは、なにかないかなーって」
「ああ。商売のほうの……」
美津希ちゃんは曖昧にうなずいた。税制面や開業届のこととかで、彼女には世話になっている。
「交易関係みたいな――って、そう聞いてますけど。〝みたい〟って、どんな感じなんですか?」
「え? ええと。まあ……、そうだな……。ええっと……」
「〝むこう〟と取引しているんですよね。砂金払いで代金を頂いて。そしてこっちで品物を買いつけて。それで貿易しているわけですよね。――その〝むこう〟って、どこなんですか?」
「え? ええっと。まあ、その……、つまり……」
ズバズバっと切り込まれて、俺はうろたえまくっていた。
べつに隠しているわけではないのだが……。言っても信じてもらえないだろうと思ったから、詳しく説明していなかった。
交易先は〝異世界〟だとか――誰が信じてくれるだろうか。
「あ。もしかして、わたし、言いにくいところ聞いちゃいましたか?」
「いや。そういうわけでもないんだけど……」
「じゃ。聞くのやめます。わるいことされているんじゃなければ、べつにいいですよ。……ですよね?」
「あ。ああ。うん。もちろん。ぜんぜんわるいことじゃないよ」
俺はそう請け合った。
わるいこと……ではないはずだ。
荷物を運んで適正価格で販売して、皆を笑顔にする仕事だ。わるいはずがない。
そりゃまあ……。
〝申告〟とかのことは、たしかに知らなくて……。そのままでいたら〝脱税〟とかになって、罰金だったり、逮捕されたりするようなわるいことだったらしいが……。
そっち方面は、美津希ちゃんのおかげで、しっかりやれているわけだし……。
美津希ちゃんは前を歩いてゆく。いまのやりとりは全然気にしていなさそうだ。
ハミングなんかしてて上機嫌っぽい。だが、前をゆく彼女の、その顔は見ることができない。
俺は良心の呵責を感じた。こんないい娘に隠しごとをしているなんて、ひどい男だった。
だいたい秘密にしておかなければならな理由も、隠さねばならない理由も、なにもないはずだ。ただ、信じてもらえるかどうかだけが、問題となっているだけで――。
……と。
俺は、ふと、気がついた。
信じてもらえるかどうかは、俺の問題じゃなかった。美津希ちゃんの側の問題だった。
美津希ちゃんが信じるかどうかであって、それは、俺があれこれ悩んでもしかたのないことだ。
俺がどれだけ悩もうが、あるいはぜんぜん悩まないでいようが、美津希ちゃんが信じるかどうか、その結果が変わることはない。
だったら……。
俺は悩まないことに決めた。
そしたら、すうっと心が軽くなった。
まるで、ずっと昔――っていうか、じつはそんな昔でもないのだけど。〝辞める〟ことを決めたときみたいに、心が楽になった。
「まった」
前を歩く美津希ちゃんの手を――つかまえる。
立ち止まって、彼女は、振り返ってきた。
ふんわりゆるふわ黒髪が遠心力で一瞬だけ広がって――肩に戻ってくる。
そして俺は――彼女に言った。
「じつは異世界なんだ」
「はい?」
美津希ちゃんは、きょとんと、首を傾げる。
「イセカイって、どこの国です? 中東? 南米? ヨーロッパ……にはないですよね? イセカイ」
「外国じゃなくて。だから異世界。異なるセカイって書くほうの、異世界」
「ええと。それはいわゆる、マンガとかゲームとかの感じの? エルフさんとかいたりする?」
「ああ。うん。そう。うちの店員はエルフ。馬鹿なエルフ。バカエルフ」
「えっと……?」
美津希ちゃんは目をぱちくり。
美津希ちゃんって二重まぶたなんだ。――じゃなくてっ。
美津希ちゃんは、その綺麗な顔に、信じられないという表情を浮かべている。通路のどまんなかで立ち尽くしている。
そろそろ通行の邪魔になってきた。オバハンがガン付けして横を通ってゆく。
こんな場所で、立ち話でするような話でもなかった。
どこか落ち着ける場所に移動したほうがいいだろうか。そういえば通りの向かいにファミレスがあったっけ。ちょうどいい。
美津希ちゃんは、まだ立ち尽くしている。
相当ショックだったらしい。
冗談を言ったと思われただろうか。美津希ちゃんを騙そうとしているとか?
ああそうか。真面目に答える気がないんだと思われる可能性が、いちばん高いわけだ。
まいったな。
本当なんだけど。
まあ実際にあちらの世界に迷いこんだ俺でさえ、理解して納得するまでに、何十分もかかったのだ。
話を聞かされたくらいで、あっさり信じられるわけは――。
「すごいです!」
信じたー!?
「え? ほんとに……しんじてくれた?」
俺は美津希ちゃんをまじまじと見つめ返した。
「信じますよ!」
美津希ちゃんは、目をキラキラとさせて、両手を顎の下でぎゅっと握りしめて、ちいさな拳を二つほど作り――。俺に顔を思いっきり近づけてきた。
「すごいです! すごいです! すごいです!」
息がかかるほどの近距離で、何度もまくしたてる。
女子高生の息はミントの香りがした。
「ぜひ! 話聞かせてください! 通りの向かいにファミレスあります! スイーツ安くておいしいんです! わたし知ってます! さあ――行きましょう! レッツのゴーです!」
手をしっかりと握られて、俺は連行されていった。
もうちょっとこれは、どうにも、逃がしてもらえそうにない。
次回、17.6話につづきます。