第17話「申告してますか」
追いかけてきた女子高生と、近くの公園で話しこむことになった。
シーソーの向こうとこっちに座って、ぎったん、ばっこん。シーソーの支点は、中央でなくて、ひとつだけこちら側。
俺、なんで女子高生とシーソーやってんだろ?
女子高生の体重を尻の下で感じながら、俺は上に行ったり下に行ったりしていた。
「ミツキは、美しい津波の希望って書くんです」
「うん?」
女子高生はそう言った。
なんの話かと思えば、自分の名前の漢字の話だった。
なるほど。ミツキちゃんは、美津希ちゃんというのか。
「お金持ちさんのお名前は、なんていうんですか?」
「俺は……」
言いかけて、ちょっと考える。なんて名乗るべきか?
〝辞めた〟ときに名前も捨てた。――とか言えるとカッコいいのだが。なんか本名を名乗るのは違うかなと思った。向こうでは本名はぜんぜん使ってないわけだし。
あと、いいかげん名前を言わないと、いつまでも「お金持ちさん」と呼ばれ続けそうだ。
「あっちじゃ、賓人って呼ばれてる」
「あっち?」
「ん? ああ。交易先な」
「なんか科学者みたいな名前ですね」
「は?」
「ね。ほら。マレビトさん」
「いや。意味わからんし」
美津希ちゃんの感性は、やはり、どこか不思議だ。
「ところで話したいことって?」
女子高生を上に持ちあげながら、俺はそう聞いた。
質屋を出て、帰ろうとしていた俺を呼び止めたのが、美津希ちゃんだった。
なにか気になっていることがあるとかないとか。
まさか名前じゃないだろう。
「ああそうです。そうです。じつはですねえ……」
美津希ちゃんはそう言うと、俺を上へと持ちあげてきた。
シーソーってなんか楽しい。女子高生が向こう側に座っているともっと楽しい。
「マレビトさん、申告って……してます?」
「ん? 申告?」
俺は考えた。
申告? 申告? 申告? なんの申告だ?
「なにそれ?」
「ええと……。まさかとは思うんですけど。確定申告……してますよね?」
疑わしげな目になって、女子高生は言う。
「ん? ん? ん?」
俺は首をひねった。なんかそんなような用語。どっかで聞いたような……?
なんだっけ?
「税金の申告ですよ。ほら。確定申告」
「ああ。税金か。もちろん」
俺は答えた。
美津希ちゃんも、ほっとしたような顔になる。
「もちろん。――してないよ」
「なんでですか!」
ほっとした顔から一変。美津希ちゃんは大声で怒鳴った。
「うわっ、わわっ――」
その落差に俺は驚いて――思わず、シーソーから転げ落ちてしまった。
「マレビトさん。その交易のお仕事でけっこう黒字出してるはずですよね。無申告ですか? ひょっとしてこれまでずっと無申告でいたりしました? 無申告だと大変ですよ。それって単なる申告漏れなんかより、いちばん罪が重たくなりますよ。無申告が見つかった場合、『1年以下の懲役または50万円以下の罰金』ですよ」
「えっ? ええっ!? ええーーーっ!?」
女子高生の口から、いきなり法律用語が飛び出してきて、俺はビビった。
そして慌てた。
なんか俺! タイホとか! そんなような話になってる! なっちゃってるのっ!?
「い、いや……、な、なんで? な、なんで……、ちょ……、懲役っ?」
「もしかして……、まったく、知らなかったんですか?」
女子高生もシーソーを下りてくる。
地べたに尻餅をついている俺を、上から見下ろしにかかる。
「い、いや……、だって……、俺、悪いことしてないし……? う、ウソだろ……おい?」
「ウソでもなんでもないですよ」
俺は地べたの上で慌てていた。無様に尻でにじって後じさる。すると女子高生は同じだけ前に出てくる。両者の距離は変わらない。
「うふふ……、なんだかちょっと楽しくなってきちゃいました」
薄く笑って、女子高生は、言う。
「――さっきの1年っていうのは、悪意と故意がなかった場合です。故意に税を免れる意思があった場合には、もっと重たくなって、『5年以下の懲役もしくは500万円以下の罰金、または、併科』となります。つまり最大5年間も刑務所に入って、500万円も罰金を払う可能性があるということです」
「ひ、ひいい……、ちがう! 俺! ちがう! みんなの笑顔を見たくって!」
「マレビトさんが、その交易業をはじめたのって、いつなんですか?」
「ご、ゴールデンウィークに……入ったくらいでっ!」
「今年の?」
「そ、そう! 今年のっ!」
俺は叫んだ。
「ああっ……。よかった。それじゃあぜんぜん間に合いますよー」
女子高生の顔が、急に柔和になった。優しくなった。
「まにあうの……?」
俺はぼんやりと見上げた。美津希ちゃんの顔に戻った笑顔を、呆然と見つめ返す。
「ええ。だって申告は年度末ですから。今年の売り上げを税務署に申告する期日は、来年の3月15日までです。申告は1年分まとめてやるものですから、それまではべつに問題ないですよ。無申告にもなりませんよ」
「そ、そうなの?」
「ああ、でも、開業届は出しておかないと。これだって開業後2ヶ月までは遅れてもオッケエですから、ぜんぜん大丈夫ですよ」
「お、オッケェ……なの?」
「はい。そうです。安心してください。――はい。立って立って」
手を差し伸べられたので、俺はその手につかまった。女子高生の手はちょっと柔らかかった。
「汚れちゃいましたね。汚しちゃいましたね」
ぽんぽんとお尻をはたかれた。
俺は突っ立ったまま。ズボンをはたかれる。
「そんなに怖かったですか? ……うふふ。ごめんなさい。ちょっと面白くなっちゃって」
美津希ちゃんが目を細めて笑っている。
ああ本当にマジで――。ちょっぴりこわかった。
この娘――!?
単なるのんびりさんの天然少女じゃなかった。Sっ気あった! あとなんで単なる女子高生が、こんな法律用語とか税用語とかぽんぽん飛び出してくんの?
俺がそれを聞くと、美津希ちゃんは、ころころと笑いながら――。
「お店の帳簿つけてるの。いま。わたしなんですよー」
なるほど。
俺は深く深く理解した。これから師匠と呼ぶことにする。
◇
それから俺は、女子高生についてきてもらって、税務署に「開業届」なるものを出しにいった。
個人事業。かつ交易業。とかいうことで開業届を提出する。
白色申告ではなくて青色申告のほうがお得だということで、そっちにする。さらに複式簿記で貸借対照表を用いる特別控除コースとかにするほうがお得でお薦めと、女子高生マイスターが言うので、そっちを選択。
「他にもメリットは色々ありますよぅ。赤字の繰り越しとか。従業員の給料を控除できるとか。30万円未満の資産が減価償却にかけずに消耗品に計上できちゃうとか。これがけっこう便利なんですよねー。えへっ」
まったくわからん。なんかの呪文なのだと思うことにする。
「金の売却益は保有年数にもよるんですけど、50万円がまず控除されまして残りが課税対象額になります。物々交換は現状、消費税も事業税も非課税なんですけど、これはそのうち法改正あったら課税対象になるかもしれないので要注意です。あとアパートの家賃地代は、一部業務に使っていれば、案分可能かもですねー」
女子高生は高度な呪文を詠唱している。
魔法使いではない俺は、ふむふむ、そうか、と、うなずいて聞くばかり。
それからの俺は、毎週、決まった曜日の決まった時間、夕方に、女子高生とファミレスで「デート」をするはめになった。
帳簿を付き合わせて、その週の分を記入するのだ。
自慢じゃないが――。
女子高生マイスターにつきっきりでやってもらわないと、自分でできる自信は――。
まったくないなっ!
顧問料を払うと言ったのだが、美津希ちゃんは、じいさんからの増えたお小遣いでいいと言う。頑として受け取ってもらえない。さすがあのじいさんの孫。
あと毎週会うことが報酬とか言われたが……。こっちは、なんのことやら?
Cマートに顧問経理がつきました。(笑)
美津希ちゃん。簿記の資格くらい余裕で持っていそうです。
申告関係の記載については、だいたい合ってると思いますが、若干、怪しい部分もあるかと思います。あとで新木の顧問の税理士さんに聞いてまいります。
もしくは――。読者で本職税理士のかたとかいらっしゃいましたら! ご指導! ご相談! よろしくです!