第10話 「エルフの娘の日当」
「なあ。おい」
店の仕事もだいたい終わって、夕食時間――。
床の板の上に座りこんで、二人で差し向かいになりながら、俺たちは夕食を取っていた。
「なんですか。マスター」
「おまえさ。本当に給料。そいつでいいの?」
いまあいつの食っているのはシャケの中骨缶。こいつは意外と通なものが好きなやつだ。
「もちろんですよ~」
エルフの娘は上機嫌で答える。
「なんか俺。ブラック企業の経営者な気がしてきて仕方がないんだが……」
「ブラックってなんですかー?」
「ええと。なんだろうな? ええと……、つまり、従業員に損をさせて、会社が得をするようなこと?」
この異世界における俺の目的は、皆が笑顔になること。自分だけが儲けて勝ち抜けをすることでは、決してない。
「その〝かいしゃ〟とゆーのはよくわかりませんが。マスターはわたしに損をさせたいのですか?」
きゅるんと、エルフの娘は首を傾げる。
「いやそのつもりはないが……。だから給料払うって言ってるだろ」
「給料頂いたら、わたし、どうせ缶詰買うですよ? 1日に食べる缶詰の分だけ頂ければよいです。3食ごとに3缶で、9個頂ければ、1日の食事にはそれで充分です。必要以上を森から得ようとするのはエルフの教えでは悪とされます」
「ここ森じゃないし。おまえエルフの里を追放されて破門されてるし」
「なんのことでしょう。ぜんっぜんっ覚えてないですねー」
エルフの娘はしれっと言った。
こいつは両親が人間の偽エルフで、肉が好きなあまりに、エルフの森から追い出された粗悪品のエルフなのだった。
エルフという種族は、やはり野菜と果実と果物と山菜で生きなければならないらしい。一杯のフルーツジュースから朝が始まるのが正当派エルフというものらしい。
肉をがっふがっふ食うのは落第エルフだ。
「ああ。なるほど」
俺はうなずいた。
「なんでしょう?」
エルフの娘は、きゅるんと頭を傾げる。金髪がさらりと流れる。無駄に可愛らしい仕草だ。
「いや。それで9個だったわけか」
「なにがです?」
「おまえ最初に缶詰9個要求してきたじゃん」
「ええしましたね」
「じゃあいまおまえ7個じゃん。足りないんじゃないか? お腹すかないか?」
「なんでマスター急に優しいんですか? なんかマスターじゃないっぽいんですけど」
「おまえは俺のことをいったいなんだと思っていたんだ?」
「外道なマスター……でしょうか?」
きゅるんと首を傾げて、エルフの娘は可愛らしく言う。
やっぱりこいつは「バカエルフ」で充分だ。
「それに足りない分は、マスターのいないときに店のお菓子食べてるから平気ですよ」
「食うな!」
「食わないとまた店の中で行き倒れてしまいます」
「おまえ燃費悪すぎ! だいたいいつ食ってた!?」
「ほぼ毎日ですね。マスターはお金の勘定もろくにできないバカなので、意外と気づかないので楽勝です」
「そ、そうだったのか……」
いや。まあ。実際。料金箱の中味はあんまり気にしていなかったが……。
砂金ならともかく、こっちの通貨は金貨も銀貨も銅貨も、どれもあの質屋では日本円に換金できないし。
「毎日毎日、お菓子二袋分のお金が足りなくても気づかないですよね。わたしがお金をちょろまかしても気がつかないんじゃないですか?」
「いや。おまえはしていない」
「なんでそうだとわかるんですか?」
「なぜならおまえはバカだからだ。本当にちょろまかすやつは、自分からバラすようなことはしないからだ。安心させといてこっそりやるのが、小利口なやつのやり口だ」
「えへへ。そんなに褒めてもなにも出ませんよ?」
「褒めてない。褒めてない」
俺は笑った。
「とにかく。もう勝手に食うなよ? こっそり食うなよ?」
「ではこれからはこっそり食べずに、マスターのいるときに堂々と食べます」
「堂々もだめだ。給料については検討する。だから禁止。お菓子禁止」
「えー? あちらの世界のお菓子は、どれも、しょっぱくておいしいのですよー」
「しょっぱい?」
「マスターが、〝ぽてちー〟とか呼んでるあのお菓子です」
「ああ」
まあ、たしかに塩味だわな。
そういえば、この世界って、塩が貴重品だったんだっけ。砂糖も貴重品だったんだっけ。だとすると、〝しょっぱい〟と〝甘い〟は、どちらもおいしい味となるのか。
「あのお菓子はおまえのために持ってきてんじゃねえぞ。子供用だ」
お菓子は缶詰と比べると、何倍もかさばってしまうのだ。
「積載量」には色々な尺度があり、「重さ」もそうだが「体積」も重要なファクターであった。たとえばいくら軽いからといって、「発泡スチロール」などはそれほどの量を持ってこれない。
缶詰一個はバックパックの底にしまえる。だがポテチーの袋は、缶詰の何倍も体積を食う。
あとあれは子供に人気なのだ。
バカエルフのために持ってきているわけではないのだ。
いちど運搬方法を本格的に検討してみる必要があるだろうか。
たとえばカートを押してこちらに来れるかどうか、実験してみるとか……。
手押しのカートだとどうなのか。引っぱって歩く、ころころカートだとどうなのか。あるいはもっと大きな――たとえば「リアカー」みたいなものを引いてこちらにくることが出来るなら、一度に、かなりの量を持ちこめるのだが……。
現在は登山用の大きなバックパックを背負っている。一度に運べる量は、小さな冷蔵庫程度の体積に限定されている。
重量的には100キロぐらいまでならなんとか背負えないこともないだろうが、たいていは体積のほうで許容量を超えてしまう。
「ところでマスターはやはりバカだったのですね」
「いきなりドヤ顔だな。――とりあえず根拠を言ってみろ」
「わたし最近、簡単な文字ならなんとなく読めるようになってきたのです。あれ、袋には、〝ぽてとちっぷす〟って書いてありますよね」
「まあな」
「マスターって自分の世界の文字も読めなかったんですね」
「なんでそうなる。バカエルフ。あれは略称がポテチーなんだよ」
「ええ。そういうことにしておきましょう」
バカエルフのやつは、またドヤ顔になった。
俺は無言で店の隅の在庫品のところに行った。
このあいだ持ってきた缶詰で、バカエルフ向けの〝おみやげ〟と思って持ってきた物があった。
……が。
買ったときには、ナイスアイデア! ――と、はしゃいでいたのだが。
時間が経つと自分でも反省して、さすがにそれはあんまりだろうと、思い直していたものだった。
よって、その〝おみやげ〟は、まだ渡していない。
……が。
「ところで日当として増やす缶詰2個の話なんだが……」
俺は缶詰を持ち帰った。
バカエルフの前にいくつも置いた。
「どれがいい? どれでも好きなの選んでいいぞ」
これまで食べていない種類の缶詰に、バカエルフは興味津々だ。
「獣の絵のついているこれは、獣の肉ですか?」
「まあそうだろうな」
「これはほかのより大きいですけど」
「1個は1個だな」
バカエルフがまっさきに食いついたのは、他より圧倒的に大きく背の高い缶詰だった。
食い意地の張ってる、こいつなら、きっと大きさに食いつくと思った。
その缶詰に書かれた〝獣の絵〟というのは、犬の絵だ。わんちゃんの絵だ。
「ようけんよう、とか、せいけんよう、とか、書いてあるのは、これは、なんのことでしょう?」
ほー。それ読めるんだ。
読めるようになってきたっていうのは、本当なんだ。
「それは中味が若者向けか大人向けかってことだな」
俺はそう答えた。
うん。嘘は言ってない。
「ならわたしは〝ようけんよう〟のほうでしょうか?」
俺の数倍は長く生きているエルフの娘は、まだ「若者」のつもりらしい。
まあ、ぱっと見の外見だと15歳ぐらいに見えるが。合法ロリってやつだが。
「よく知らんが……、脂質とかタンパク質とかの分量が違うだけで、たいして変わらないと思うぞ」
「そうですよ! わたし! いいことを思いつきました! 2個いただけるのですから、これはどちらももらってしまえばいいんです! わたしって頭いいですねー!」
「うん」
俺はバカエルフに同意した。激しく同意だった。
「ではさっそく食べてみます!」
ぱっかん、と、バカエルフは缶詰を開いた。
最初は「幼犬用」のほうからいった。
「おっふ! 肉味がします! すごい肉味です!」
がっふがっふ、と、バカエルフは缶詰を食う。
CMで見るワンコにも負けない食いっぷりだ。
「おいしいです! あとなにか穀物もすこし入っていて――おおう! これは完全食ですね! これだけ食べていても! よいのですねー!?」
「ああ。栄養バランスは完璧だそうだ」
俺はうなずいた。
エルフの体と犬の体で、そうたいした違いもないだろう。
人間が食べてもいいと聞いたことがある。自分は食いたいとは思わないが。
「おいひ! おいひいぃィ! おっふ! まふふぁー! おいひーれふっ! おひひふえほほわ! ほわあぁ!」
「食うか喋るか、どっちかにしろ」
「……」
バカエルフは無言になった。喋るほうを捨てたらしい。
いやー。しかしー。
これはー。どうなんだろー?
まあ。喜んでいるんだし……。
でもー。どうなんだろー?
「マスター。マスター」
ずっと無言で、がっふがっふと食い続けていたバカエルフが、急に俺の腕を、つんつんとつついてきた。
お皿に、ちょびっと、一口分だけ――ドッグフードが盛られている。
「マスターの分です。これは大変に美味しいので」
「いらん。食え」
俺は言った。もちろんそう言った。絶対にそう言った。
エルフの娘は、嬉しそうに目を細めると、今度は遠慮なく「ひとりじめ」にかかった。
いいのかなー? いいのかなー? いいのかなー?
まあ。いっか。
えーと……。
作者もさすがに「ありか?」とか思っていたり……?
感想で「あり」か「なし」か、ご意見お寄せ頂けると幸いです。
ちなみにドックフード自体は、人間が食べてもまったく問題ないそうです。ただ犬用なので塩分控えめで、味が薄いので、あんまりおいしくは感じないとか。
塩が貴重なこの世界では、もとから塩分控えめ(生存最小限)ですので、味付けはバッチリだった模様です。