帰還
ぽんと抜けるような青空が広がり、たなびく峰々の向こう側には人々の邪まな気持ちが渦巻いてドードにおいでおいでと嘘笑いを浮かべて呼んでいる。
後数日もすれば雪洞窟を通って手下が戻ってくる。
クノシュ伝を読み返して一握りの希望を持っていることにドードは驚いた。
古い書庫倉の整理を任されたいた召使の時代、古いあまりにも古い書物の扱いに困り書き写してその書物を残すことにした。
読み書きは出来なかったが書き写していくうち年長者にひとつひとつ尋ねて行きあらかた読めるようになった。
一巻読めるようになると次から次へと手を出して読み漁り、そん所そこらの王族お抱えの書士よりも物知りになったが、わからないことが一つ二つある。
偉大な竜たちに授かったものが何処にも伝承されずに消えていることの不思議さである。
姫の子供たちは散らばり民をまとめて国を作る。
7つの国はお互いが助け合い繁栄の道を辿るが三代目の世代交代時期から竜への祭事は無くなり始め6代目は豊穣の祭事を取り仕切りよい王だったとの記述になった。
地方の王族にはこの7つの国の縁者が多いが真似る成り上がり者も多く無理やり系譜に書き込ませた輩も多くそれらを排除してドードなりの正式な系譜を作り見ればもうひとつの問題も浮かび上がる。
竜から智慧を授かった姫は7人の子供を育て何処へ消えたのか?
ドードは自室から空を見上げる。無意識にこれで見上げるのは5回を越える。
空は風が止み浮いた雲が白さを際立たせ先ほどの邪推は消え、なぜか心の奥底から湧き上がる思いを抑えることが出来ない。あの若造は絶対戻ってくる。幾度も否定するがその思いは強くなる。
人智を超えた土地なのはドードも立証済みだ。屍になってもあの台地を越えては行けないだろう。
それでも100人の預言者が戻らないといっても、彼らを信じる気分にはなれないのが可笑しい。
あの若者は必ず戻ってくる。ドードには何の根拠も無いのに確信がある。
戻ってきたときの態度をどうするかと自分に問う。この問いはドードの気分を良くさせる、答えはすぐに返ってくる。
馬鹿な教祖ごっこは止めて本当の主の下で働こう。
教祖は誰かに譲ればよい。この場所も公にしたってかまわないどうせ偶然見つけた場所で天気次第で生きるか死ぬかが決まってしまう不毛の地になど未練はまったく無い。
そう思いつつも引き出しや行李を出している。大きな国の王族との接触は慎重を要するから質素な身支度にもクノシュ伝に由来する小物も厳選して用意する。
たいていぼろが出るのは小物からと今までの経験上身に染みてわかっている。
帯紐を数本出して巾着を並べるが、巾着の柄の由来を考える内に壁の敷物の絵の馬に目が留まりまたもや心はあの若者のことを考えている。
階下がばたばたと騒がしくなった。梯子を上るきしむ音が聞こえ、
「親方!レムから連絡が入ったよ」ハクミの声である。
レムには何を命じていたっけ、そうだった若造の後を尾けさせていたんだ。
とうとう誰も帰ってこないので痺れを切らしてレムは帰宅していいか若い者をよこしたに違いない。
一瞬疲労感が走ったが腹に力を入れて答えたリーダーは取り乱したりはしないもの。
「おうよ。で、なんてだい?」
「何か竜の道から飛んできたって!」扉の向こうでハクミが叫ぶ。
「飛んできただと?何がだ?竜かまさかな。岩か?わかった誰かの亡骸だろう?風が変なものを運んできたんだろう」
「そうだろうねぇ。また戻って行っちまったけど小一時間もすれば次の連絡が来るよ。暇が出来たら下りて来なよ」そう言ってハクミは戻っていった。
引き出しと行李を片付けて風呂敷に小物を入れて結び隅に投げやる。
目は自然と壁の敷物の聖なる馬を見ている。
階下に下りて旅立ちの準備を見て回る。急場こしらえのテントの中身は想像を絶する神秘的な装いにしなければならない、その威を凝らしたテントの中で発せられる言葉には魂が乗り移る。
小一時間もしないのにパタパタと草履の音が中庭に響いた。
「・・・・・・・」足音は誰かが転ぶ音で途絶えた。遊んでいた子供が逃げそこなって中庭でうなっている。
手桶を持ったハクミが敷物の汚れを取るため水替えに部屋を出て中庭に差し掛かると小僧が一人のどをかきむしりばたばたと転げまわっていた。ハクミはふざけているのだと思い手桶の汚い水を小僧にぶっ掛けてやった。
「あらごめんよ。いいあんばいに捨てた水の先にあんたが居たんだねぇ」
「アンガトあんがと・・これでしゃべれるよ。親方に言ってくれ戻ってきたって戻ってきたって・・」
「あら?レムんところの長男じゃないか次男の伝言は確かに受け取ったよ。なんか竜の道から飛んできたそうじゃないか。ちゃんと親方には伝えたよ。そうかいそうかいレムも戻ってくるんだね。早いとこあんたたちも仕度をしなよね」からから笑い転げてハクミは水汲みに出て行った。
「親方・・親方は・・」真っ青な顔色でレムの長男は親方を呼んだ。出かける準備に忙しい男衆が八尺の巻物を担ぎ上げて部屋から出てきた。
「おう!親方かい。そこに居るぜ」最後尾の男が長男に教えてやると長男はがくがくした膝を手で押さえ教えられた部屋によろめきながら入っていった。
館から一歩外に出るとそこは岩と静寂の世界。
今のキバは恐ろしく落ち着いている。ドードの手下に教えられた山道を一歩一歩踏みしめて念願の修行に入れる。岩山を一歩登るたびに胸の鼓動は激しくなるがそれも修行の一環だと思えば辛くない今までが楽過ぎたのだと自嘲する余裕すらある。
大岩に寄りかかり辿ってきた道を振り返えればキバが歩いたところは岩のみで道など無い。
一息ついて空を見上げると空には一筋の雲がまっすぐに伸びている。
はてはて珍しい雲だわいとつぶやきキバは次の岩に手をかけた。
「まっ真実かー。今はどの辺りだ!」伝言を伝えきった安堵感で力抜けした長男を軽々片手で持ち上げてドードは問いただすが長男は襟首を絞められて返事はおろか呼吸もままならない。
無言の長男を床において裸足でドードは外に飛び出た。
そこへレムの三男が次男を伴ってといっても次男はさっき連絡を行ったばかりで帰ってはいなかった。次男はは長男とすれ違った三男に駆け寄り肩を貸して岩場を降りてきていた。
「何処じゃ!!何処に居る!!」ドードの張り上げた声に次男は驚いたが三男のか細い声に耳を傾けて三つの尾根の二番目辺りを指差した。
道は無いが尾根の二番目辺りからは館の厩には一番速くいける。
館前の広い庭から厩へ続く門柱代わりの大岩を横切り、逸る心を抑えドードは駆け出した。ハクミが顔を出した時にはもうそこにはドードは居ず疲れ果てたレムの三男が横たわり次男が水を頼んでいた。
「珍しいなぁー。親方の大声は」何事かと出てきた男たちが顔を見合わせる。
「ほーサスガによく通るのう。わしは一番奥の部屋に居たでょ」
「で、何で大声出してたんだぁー」
「さぁー。何でやろう?」
ドード親方は厩の前の道を駆け上がりじっと目を凝らす。岩場に動くものは無い。
厩の後ろは館より急斜面に作られているから手前の大岩で尾根の一部分しか見えない。
ドードは岩に手をかけて岩の頂上まで登ったがその後ろの大岩でさっきより尾根部分は見えない。
尾根を全部見渡せるのは館の前庭だけだったと思い出して大岩を降りようと足場を見つけるが見当たらず途方にくれた。
「誰かーーー!梯子をもってこい!急げ梯子じゃ」ドードが大声を上げると厩からひょいとレツが顔を出し、
「降りられんのか?ならば手伝ってしんぜよう」一ヶ月以上前に旅立った服装よりもなおぼろぼろで汚くなったレツがそこに立っている。
度肝を抜かれたドードが驚きで言葉を失っているとするすると岩をよじ登りドードの横に立った。
「では、抱えるで目をつぶられよ」言うが速くドードの身体をレツの頭より上に持ち上げ大岩を蹴ってレツは飛び降りる。
ドードの目には空に一筋の雲が見え、軽い衝撃の後登った大岩を見上げて落下する。
「ここは狭い。もう少し先で下ろすぞ」ドードの返事も待たずにさっさとレツはドードを抱えたまま厩の入り口まで歩きドードを下ろした。度肝は抜かれてはいたが挨拶はしたかった。
「お早いお帰りでござす。あちらで旅の話など伺いたい・・ささっ・・」どこぞの旅籠の主人のような言葉が出た。
「そうだの、私もきちんと礼を言わねばならぬ伺おう」がっしりした大男のドードはがくがくした膝が館の中まできちんと歩いてくれるのを願った。レツのひたひたと歩く足音を聞き、もろ手を挙げ叫び声で自分自身に喜びを表現したい衝動にかられているがいかんせん身体の四肢は力に満ちた喜びを通り越して虚脱の域にまで達している。
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