地獄の割れ目
鬱蒼と茂った草木が空を覆い、光が届かない地表は枯れ草や落ち葉でじめじめとぬかるみ歩きづらい。立ち木に寄りかかれば苔や表皮が剥がれ落ちる。
植物の落ちた種が光を求めてひょろひょろ伸びて茎がカーテンのように垂れ下がり二人の行くてを阻んでいる。
キバが焦らずにしっかりと目を凝らすとなぜかそのカーテンが一定方向に向かって開いておりそこを歩けば非常に楽に先に進めることに気がついた。
キバの腕は小枝を折るのに傷だらけでトビアスはなれぬ短剣を振りまわしへとへとに疲れ切っていたからレツの通った道は素晴らしく歩きやすく二人は正しく地獄の口に辿り着いたのである。
「ラン様!!我等が女神様にお祈りを!!まことにまことに!信じられません!聖なる馬が我等の到着を待っていたのです。クノシュ伝の話は真実であります。素晴らしい!!」
針金のような汚い衣をまとった男が喜びの声を上げて岩を這って感涙しながらテオに近づいてきた。
「ほんにそのようです。少しお年寄りのようですが、我等を待ち続けてあのような姿になったのでしょう。最初の困難でこのようなことがおこるなんて私は信じられませんわ」
暗くて湿気の多い森から出られただけでも嬉しかったローランはごろごろと有る岩場に馬が美しい挿絵のようにたっているだけで嬉しかった。
「岩絵ではありますまいな?本物の馬でございますな?」キバは近づきながらテオに話しかけた。
テオは汚い森人が手で触れる前に別な岩に飛び移って二人を見下ろした。
馬に逃げられても若い旅人と汚い森人は感激しあって喜びに咽んでいる。
「そこなお二方!この世の喜びを今ここで表してお出でだがそれに水を差すようで申し訳ない。そこなる聖なる馬はそなたたちのためにそこで待っているのではない。
かの馬は私の連れであるゆえに過度の期待はされぬよう申し上げておく」
背の高い岩場から人の声に驚いてレツが顔を覗かせた、二人を見るなり目を細めて二人の素性を看破していた修行中の坊主は吊るされていたあの男に違いない。
華奢な若者は間違いなく近くで顔を合わせている・・と、瞬時に脳裏には宿屋であった姫君の顔と重なった。
事情はわからぬが僧侶も女装した若者もクノシュ伝の道を探しているようである。
僧侶キバとトビアスは特にトビアスはレツの登場に反対側の岩に四つんばいになり必死で逃げようと試みていた。
「このようなところにまで盗賊が・・・!!」
「ヒエェェェェ・・!!」岩を三つ越えたあたりで罵声や怒号する声が襲ってこないので二人は恐る恐る振り返ると長身の若者が高い岩場に一人立っている。
「いかがなされた?」レツの登場でレツの問いかけにも耳を傾ける暇も無い二人に今度は優しく話しかけた。
青ざめて震える二つの顔はレツを見その背後から誰か飛び出してくるのではと様子を見ていたが誰も出てこないのでひとまず目の前の若者の話を聞くことにした。
「盗賊ではございませんよね・・・?」トビアスは恐る恐る口を開いた。
「スノシュの配下の方ですか?」キバはトビアスの問いに力を得てへっぴり腰で聞いた。
手下だと言われればたとえ相手が一人であろうとも逃げ出すつもりである。
「盗賊ではない。邪教の信徒でもない。真実を司る者定めを守り操る者供に会いに行く旅をしている者だ。そなたらも竜に会いに行くのだろう?違うのか迷ってこのような場所まで来たのならまだ帰り道が判る今の内に引き返すが良かろう。道はまだ見える」
ぽかんと見ている二人はレツの言葉を正確に把握するのに時間がかかったが危機に直面していないとわかると二人は顔を見合わせてうなずきあった。
「その言葉を聞けて安心しました。私はスノシュの手下に吊るされて死に損ないました。女神テムン神の修行僧でございます。この者はカーロフン峡谷の五色の泉を目指して旅をしています」
「ほうそれはそれは大いなる願いを五色の泉にかなえて貰うというのか巷では美しいと言うが
一つ間違った伝承として伝わっているのは知っているか?かの泉はそのような優しい泉ではない。願い事も叶えるというのもかなり怪しいのだがそれでも行くのか?」
「私は修行僧ゆえ、カーロフン峡谷で雨風に打たれ苦行を致しますが、この方はなにやら事情がおありの様子このようななりまでしてここまで来ました。よろしければあなた様もお力を貸していただけると嬉しいのですが」キバはひとまずローランと自分の目的を正確に相手に伝える事に勤めた。
「修行僧のキバと申します。こちらにお出では男装をしてお出でのラン様です。それにしてもこのようなところでお会いしたのも何かの縁カーロフン峡谷までご一緒に行く事が出来れば嬉しゅうございますなぁ」キバの安堵した声が谷を吹く地鳴りの激しい音がかき消す。
トビアスは追われる相手が居ないと安心して腰を落とした。
座れば風はトビアスの上に行過ぎた。
「そなたらは・・・面白いお方がたよの」レツは二人の異装に小さく笑った。
「私はレツという。この馬は私の案内人テオだ。そなたらもしあの対岸に渡れたらテオ殿の足跡を辿りなさい。間違いなくカーロフン峡谷に辿り着けるだろう。すまぬが私は色々用事があってそなたらを歓迎している間がない。ゆるりと休まれよ。しからばごめんこうむる」
レツは背中の荷物を全て下ろして腰に一振りの剣を携えてキバ等が出てきた森の中に消えていった。
残された二人は岩肌を滑り落ち風の吹き上がる渓のへりに四つんばいで辿り着くとそっと顔を岩から突き出して谷間を覗き込んだ。
「!!!!・・・・・!!!」吹き上がる風に声が出ない。
トビアスが身動きできずに固まっているとキバがトビアスの足を後ろから引いて助けてくれた。
「なんと言う深さでしょう!!私はこのように深い谷は見たことがありません。奥行きは二里を越えていますぞ向こう岸までは・・・二町・・ありますかの・・」二人は谷が見えなくなるところまで行き着きほっと一息ついた。
「地獄の風が吹き荒れる・・・という記述は嘘ではなかった・・まことにまことに・・これは地獄そのものですな」キバは幼少の頃神殿の古い書物を紐解きクノショ伝を愛読していた。
いつか修行僧として旅に出ることが出来たら姫君と愛馬の駆け抜けたカーロフン峡谷に行きたいと願っていたのである。
嬉しそうに感想を述べるキバに青い顔をしたローランは尋ねた。ローランにとっては実際に地獄の風があろうと無かろうとどうでも良かった。願いは一つあのレツとかいう男の言うとおり五色の泉で願いを叶えて貰うだけなのだ。
「あの谷を渡る方法はあるのか?あの馬はあの男の持ち物のようだし、我等は如何にしてあの谷を越えて五色の泉まで辿り着く事ができる?」
盗賊から逃れて迷路の森を抜ければそこには深い深い峡谷が横たわっている。
ローランことトビアスは自分の旅が徒労に終わるの感じた。
「あの男も馬もこの谷を越えられますまい。よく見てください僧侶殿。馬は年老いています。我等はこのへりを行き来して狭まった場所を探して降りるより方法は無いです。そしてこの谷の深さときたら千年かけても切り立ったがけを降りても岩肌に爪も立てられないのによじ登る事ができようか・・・いかがですか何か良い考えがありますかな?」
「無い・・」キバは落ち込んだ様子のローランを置いて岩の間をうろうろと歩き回り、
尖った岩で蔦を切り取り集めてはせっせと籠を編み出した。
「何に使うのだ」と、疲れ切ったラン。
「ここは腰をすえて行動せねばならないでしょう。まず食べ物を確保して寝るところも作りましょう」キバは思いをめぐらし何かに突き動かされるように瞳を輝かした。
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