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妄想の類ですので、見解に大差小差ありましょうが、どうか寛大な目で読んでやってください。
ダンデライオン
作:藤田迷路


 彼が近付くと誰しもが顔いっぱいに畏怖を浮かべ逃げて行く。 その光景に彼は足を止め鼻から溜め息を吐き出すと、踵を返しまた広大なサバンナを独り歩いて行く。
 少し行くと、昨日はなかったガゼルの死骸にハゲタカが群がり一心不乱に肉を(ついば)んでいる傍で、ハイエナが隙を窺っているのが見えた。
 どうせ無理だろうと感じながらも衝動を抑え切れぬままに近付いてみるが、やはりハゲタカもハイエナも目の前のご馳走に後ろ髪を引かれながら遠ざかって行った。 彼は誰もいないガゼルの死骸の傍らに立ち止まり、その肉を一口食べたが何となく不味くて吐き出した。 それを上空で旋回しているハゲタカはどう見ていたのだろうか。陣形を崩さずに遠巻きの輪を広げたハイエナはどう見ていたのだろうか。
 彼には理解できなかった。自分がいくら満面の笑みで近付こうとも、姿を見た者が例外なく逃げ出して行くことに。
 水呑場でもそうだ。 水呑場では襲わない。そんなサバンナの不文律の前でも畏怖が勝るのか、彼を見た者はそれまでの和やかな空気を一変させ喉の渇きも癒さぬままそそくさとその場を後にする。

 自分は嫌われているんだ。

 彼は気付いている。独りの水呑場はとても大きく感じた。
 (たてがみ)が悪いのかと地面に擦り付けたこともあった。鋭い牙が悪いのかと岩を噛んだこともあった。 だが、それで何かが変わることなどはなかった。
 サバンナではいつも独りきり。心で温もりを欲している自分を嘲けてみても、その寂しさは拭いようがなかった。

 彼はふと今日はサバンナの端まで歩いてみようと思い立った。 元より嫌われた彼にはそうすることが当たり前のようにさえ思えた。太陽はまだ高い。 恐怖の去ったガゼルの肉にハゲタカが再び群がる羽根の音を背中に聞きながら、彼は静々と歩き始めた。
 暫く行くと吊り橋が架かった断崖に行き着いた。恐らくここがサバンナの端。 そこから先は彼にとって未踏の地であったが、今の彼にそんなことを躊躇(ためら)う気は微塵もなかった。
 揺れる吊り橋を恐る恐る渡る。その先にも荒涼とした大地が続くが多少緑が多くなった。
 そこで彼は小さなヤツに出会った。 ヤツは周りを白い綿毛に囲まれ、ぽつんと一人で(たたず)んでいるその姿は、雲間から覗く太陽にも似ていた。彼は惹かれるように歩み寄る衝動を止めようとはしなかった。

 また逃げられるんだろうな。

 元より期待はしていない。それでも近付いてみるのは、いつの間にか身についた癖のようなものだった。
 だが、意外なことにヤツは逃げもせずに立ち尽くしたまま彼をじっと見据えていた。鼻でヤツに触れることすら出来た。 予想だにしないことに彼は思わず「お前は俺が怖くないのか?」と不粋な質問をしたが、すぐにそのことを恥じた。
 するとヤツはそんなこと気にも掛けないのか、サバンナ特有の乾いた風に促されるように、微かにその黄色く小さな首で頷いた。
 涙だ。
 途端、彼の目から大粒の涙が溢れ出した。 彼は戸惑うように思わず笑った。何故流れたかは彼自身もわかっていない。 ただ一つわかっているのはこの頬を伝わる温かい涙がヤツによってもたらされたという事実だけだった。
 ただ、そんな単純なことが彼にはとても嬉しくて、今まで感じたことのない気持ちが胸に溢れていた。 彼は独りで佇むヤツに自分を照らし合わせていたのかもしれない。

 それからというもの、唯一逃げずにいてくれたヤツを痛く気にいった彼は、日ごとヤツの元に通うようになった。
 土産にしたバッファローやシマウマの肉には手を付けないので、彼は綺麗な石を持って行きヤツの周りに置いて着飾らせると、言葉には出さないが風に舞うように身体を揺らして喜んでいた。 それが何よりも嬉しい彼は傍に寄り添い、眠ることもあった。
 今日はこの間見つけた綺麗な琥珀を(くわ)えてヤツの元に向かっていた。
 どことなくヤツに似ているこの土産を喜んでくれるだろうか。
 躍る胸とは裏腹に、いずれ訪れであろう久々の雨の匂いをヒゲに感じていた。 遠雷が向こうでひとつ(きらめ)いた。
 案の定、吊り橋に着く頃には雨は大地を濡らし、踏み入れた吊り橋はしっとりと湿っていた。 いつもは危なっかしい橋も、軋む音がないととても頑強な橋に思える。
 彼が吊り橋の半ばまで来たとき、嫌な予感がヒゲを震わせた。不意の閃光、轟音。 思わず身をよじり、目を閉じた。すると足の下にあった吊り橋の感覚が奪われ、彼の身体がふわりと浮いた。
 彼が次に身体に感じたのは、全身の鈍痛と裂傷から滲んだ血の冷たさ、それと木の焼け焦げる臭いだった。 何故自分の全身に傷があるか理解するのに時間がかかったが、いつもの広大な空が左右の断崖に覆われ遠く狭くなっていることから、さっきの閃光は雷で、自分が谷底に落ちたことを彼は認識した。
 薄暗いのは谷底のせいだけではなく、厚くなる雲の向こうの太陽も半分以上沈んだのだろう。 そのことからも相当な時間気を失っていたことがわかった。
 思い浮かべたオレンジ色の斜陽に自然とヤツのことを思い浮かべると、口に銜えていた琥珀がないことに気付いた。彼は慌てて辺りを見回すと右前足のすぐ横にそれはあった。 安堵したのも束の間、すぐに絶望が走った。 身体を起こそうと力を籠めてみるが四肢の感覚は、痛みがわからないほどにほとんどないに等しかった。

 突然の悲運に彼は落胆の色を隠せなかった。 段々とはっきりとして来た傷みに意識も遠退きそうになる。
 それでも彼を今に繋ぎとめていたのは、ヤツの元に行かなければという想いだけだった。 橋を渡ったすぐそこにヤツがいる。だが、流れ出す血に、もう会うことが出来そうにないことを彼は感じ始めていた。

 また自分は独りになる。

 そのことよりもヤツを独りにしてしまうことのほうが、今の彼には耐えられなかった。
 だが、彼にはどうしようもない。 彼はただ一つ残された声で狭くなった曇天に向け吠えた。ヤツに届けとあらん限りの声を張り上げた。

 お前は一人じゃないから。俺がいるから。

 サバンナの皆は聞いただけで逃げ出す声を嫌ったことは幾度もあった。 だが今、この地平線まで轟くような声でよかったと心底思った。きっとヤツには届いているはずだから。
 どれだけ声を挙げ続けただろう。段々と声は掠れ次第に咳の一つさえも出なくなった。 夜の微かな冷気と共に雨足は強くなり、動かない身体から容赦なく体温を奪っていく。彼は雨と共に地面に広がる血の染みに力無く(もた)げていた頭を、ついに下ろした。

 彼はすぐそこにある死に向き合い、谷底で誰にも知られずに死ぬのは自分にはお似合いだなと自嘲した。 孤独は彼の心に深い爪痕を残していた。

 もし生まれ変われるのなら、ヤツのような可憐で小さい存在になれれば、誰からも愛してもらえるのかな。

 彼は自分の容姿を恨むと共に、最期まで愛を欲していた。 いや、愛したかった。それは誰にでもある自然な感情。 ただ皆と共に水を呑み、サバンナを駆け、旅をしたかった。
 それはもう叶うことはないが、彼はそれまで持っていた寂しさは不思議と感じていなかった。 彼はヤツに愛を与えることが出来た。彼にはそれだけで充分だった。
 冷え切った頬に雨とは違う温かな水滴が伝う。その一筋は温かく、今までの寂しさや哀しさのそれとは違う。それはヤツとの出会いが奪って行ったのだろう。 その温かさこそがヤツの存在そのものであったのかもしれない。
 何故泣いていたかは今回も彼にはわからなかった。 だが、心の奥で灯ったその温かさが理由であることは、何となくでも彼には理解できていた。いや、理由としてはそれでよかったのだろう。
 彼は死を受け入れようとした。霞み行く目だけで空を見上げると、それまでの雨の代わりに白い雪が幾片(いくひら)か舞い降りて来た。 正確にはそれは雪ではない。白い綿毛のような種子が雪のように空から降って来ていた。 ひとつずつが仄かな光を宿している。
 彼にはそれが天使の羽根のようにも見えていたのかもしれない。 ヤツにも似た温かなその姿に安息を得たように、彼は静かに目を閉じた。

 長い雨季が明け、小雨季を間近に控えた短い春がサバンナに訪れた。 雨季でたっぷりと水を含んだ土のお蔭で、様々な花が荒涼としたサバンナに(まだら)に鮮やかな色を落としていた。
 彼の眠る谷底は陽が入ることは一日の中でも数時間であるため、花は生息できないはずであった。 だが、まるで金色の絨毯を敷き詰めたような目映(まばゆ)い光景がそこにはあった。
 タンポポ。生命力の強いタンポポの花だけはそこに咲くことが出来た。タンポポたちは真ん中で静かに眠る彼のベッドのように周りを優しく包み、谷底を吹き抜ける乾いた風に笑うように揺れていた。
 その姿は、やはり彼によく似ていた。



<了>


ご精読ありがとうございました。
ライオンの冷遇ぶりを単に「嫌われた」だけでは書きたくなかったので具体的にしてみました。ゴチャゴチャしすぎたでしょうか?
溢れるように書いたので、もっと上手くまとめられたような気もしてます。
でも、ワリと満足行く内容だったかな。


人によって曲の捉え方は様々あります。
ですが、この小説がアナタの描く『ダンデライオン』と同じであれば嬉しいなぁ。













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