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旅男! 作者:吉岡果音

第十一章 氷の断章

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魂の炎

 赤紫色の空の裂け目から現れた、翼を持つ黄金色のなにか。
 キースの青い瞳は、閉じられる前、ぼんやりとそんな光景を映していた。

 ――ああ。天界から、お迎えが来たのかな――。

 空から舞い降りるそれは、自分の名を呼んでいるような、いないような。

 ――そういえば、アーデルハイトも女神様のように、突然空から現れたんだっけ――。
 ドラゴンのゲオルクに乗って現れた女神、アーデルハイト。
 ドラゴンのオレグに乗って現れた天使、ミハイル……。
 ん……? オレグ? ミハイル? そんなわけ、ないよなあ。
 お迎えが、オレグとミハイルだなんて。
 ミハイルが聞いたら、きっと笑っちゃうよなあ。
 『僕、天使じゃありませんよ、退魔士です』
 きっと、そう言うよなあ――。
 アーデルハイトも、カイも、宗徳も、ユリエも、そんな話聞いたら、きっと笑っちゃうよなあ――。

 キースは、微笑んでいた。胸元の、大きな傷と大量の出血とは対照的に、とても穏やかな表情だった。

 ――みんな。今までありがとな。楽しかったよ。
 守れなくて、ごめん。ごめんな……。

「キースーッ!」

 ミハイルとカイの叫び声は、もうキースの耳には届いていない。

「キースーーーッ!」

 慟哭が、魔界に響き渡っていた。



 暗闇。
 暗闇だった。
 まぶたを閉じているから、なのかもしれない。
 自分のまぶたが閉じているのか開いているのか、頭がぼんやりとして、そんなことさえもよくわからない。

 ぺしぺし。

 頬を手で軽く叩かれている気がした。

 ぺしぺし。

 ――なんだよ……?

 ぺしぺし。

 ――誰だよ!?

 ぺしぺし。

「誰だよ!? 俺の頬を叩くやつは!?」

 キースは、勢いよく起き上がった。

「わっ!」

 キースが急に起き上がったので、頬を叩いていたと思われる人物は驚いてひっくり返りそうになっていた。

「びっくりしたーっ! 急に起きるんだもん!」

「急に起きるんだもん、って……、え……!?」

 今度はキースがひっくり返りそうになった。
 目の前にいるのは、キースと同じくらいの年齢、同じくらいの体格、そして、とてもそっくりな顔立ちの青年――。

「エースじーさん!」

 キースの頬を叩いていたのは、キースの曽祖父、エースだった。

「よっ! キース! よくわかったなあ! てゆーことは、この前夢に出たの、ちゃんと覚えててくれたんだな!」

「エースじーさんっ!」

 キースは、思わずエースに抱きついていた。実際会ったことはないのに、どこか懐かしい匂いがした。そして、確かなぬくもりがあった。
 辺りは、一面の花畑だった。明るくあたたかい日差しに包まれ、色とりどりの様々な種類の花が咲き乱れている。

「……俺、やっぱ死んだのかあ」

 柔らかな色彩の美しい景色。どこからか、川のせせらぎも聞こえる。かぐわしい濃密な花の香り。天国があるなら、こんな場所かもしれない、そう思わせるような、のどかさだった。

「でもよかった! エースじーさんに会えて!」

 ぺち!

 エースはキースの頬を叩いた。

「キース! よかっただなんて、そんなことを言ってはだめだ!」

「え……?」

「お前は、まだまだやることがあるんだ!」

「やることがあるって……。でも、死んじゃったなら、しょうがないよねえ」

 ――死んじゃったら――。

 そう思った途端、目の前の花々が急に色彩を失ったように感じた。とりまく世界が、モノクロームに一変してしまった気がした。
 キースの胸に、様々な想いがうねりのように押し寄せる。抑えられない想いが、涙となって溢れ出た。

 ――みんな……!

 握りしめた拳に、涙が落ちる。

 ――カイ! 本当にごめん……! 俺が魔界に落ちる寸前、お前は自分から俺の手の中に来てくれたんだな……! なのに、あんなところに一人置き去りにしてしまって……! ごめん……! 出来るなら、今すぐにでも助けに行きたいよ……!

 想いは次々と留まることなく溢れ出す。

 ――ミハイル……! ミハイル、ごめんな……! 一緒に北の巫女様に会いに行けなくて……! 行きたかったよ! 俺も、一緒に……! 宗徳! 宗徳、ごめん……! でも、宗徳はもう一人じゃないよ! ノースカンザーランドにいるお姉さんに、早く会えるといいな……。 無事に会えるよう、祈っているよ! ユリエ……! 今までありがとな! 俺、どれほどユリエに元気をもらったかわかんないよ! 本当に、楽しかったよ……! 

 風に揺れる、可憐な白い花。

 ――アーデルハイト……! アーデルハイト! 俺は、君と出会えて本当に幸せだった……! 大好きだったよ……! 愛している……! 俺は、心から君を愛しているよ……! どうか、そう遠くない未来、誰かと幸せになってな……!

 胸の傷ではなく、胸の辺りが痛かった。胸が、張り裂けそうだった。呼吸も、上手くできない。まるで自分がバラバラになってしまうような、そんな気がした。

 ――俺はこのままバラバラになって、心さえ、魂さえ消えて無くなってしまうんじゃないか――。

 ばしっ!

「いってえ!?」

 エースは、キースの頬に平手打ちをしていた。

「諦めてる場合かっ! お前がここに来るのはまだ早いんだっ!」

 ――なにゆえに、平手打ち……?

 キースは呆然とした。それから、エースの言葉をゆっくりと理解していく。

「……へ? エースじーさん……? 『諦めてる場合かっ!』って……? 『まだ早い』って……?」

 エースは、にっこりと笑った。白い歯を見せ笑うその顔は、ますますキースにそっくりだった。

「大丈夫。お前の体はなんとか無事だ。そして、魂の緒もまだ繋がってる」

 ――え……? 無事……? 繋がっている……? ってことは――!

「マジかっ!」

「ああ! マジだよ!」

 急に、青空が現れた気がした。花は生き生きと色彩をまとい、風に揺れる緑の葉は輝いていた。

 ――ほんとうに……? 本当に……!

 エースは優しく微笑んでいる。

「……エースじーさん! 俺、みんなのところへ帰れるんだな?」

「ああ! お前の物語は、まだ終わっちゃいないよ!」

 皆の笑顔が浮かんだ。カイの照れたような笑顔、ミハイルの屈託のない笑顔、多くの悲しみを乗り越えてきたような宗徳の深みのある笑顔、ユリエの無邪気な笑顔、そして――、アーデルハイトの眩しい笑顔……!
 キースは、心の奥からふつふつと明るく熱いものが湧き出してくるような気がした。青い瞳に力強い光が宿る。

 ――俺は、まだやれる……! 俺の旅は、まだ終わっていなかった……!

「エースじーさん! 俺、帰るよ! 旅の途中なんだ! 俺は戦う! 俺は皆を守り抜く! まずは、カイを助けに行く!」

「よし! キース! その心意気だ」

 エースは微笑みながらうなずくと、キースの後ろのほうを指差した。

「あの明るいほうへ行ってごらん」

 振り返ると、まばゆい光が見えた。

「ずっと、見守っているからな」

「エースじーさん……! ありがとう……!」

「キース! カイやユリエ、ルークに大好きだよって伝えてな……!」

「うん! わかったよ! エースじーさん! 本当にありがとう! 俺もエースじーさんのこと、大好きだよ!」

 キースは立ち上がった。明るいほうへ向け、一歩踏み出す。

「……エースじーさん。ところで、じーさんはじーさんのときに死んだんだろ? なんで若いんだ?」

 キースはちょっと振り返り、どうでもいい素朴な疑問をぶつけてみた。

「それはやっぱ、どうせなら一番いいときの姿を見せたいからねえ!」

「なるほどねえ! エースじーさん、俺に似てイケメンだからねえ!」

「『俺に似て』、じゃない、お前が俺に似て、なんだよ!」

 ははははははは!

 性格も、やはりそっくりだった。

「じゃあね! エースじーさん! 元気でね!」

「うん! 俺は死んでも元気だよ! じゃあな! キース! お前こそ元気でな!」

 光。キースは輝く光に包まれた。



 ゆっくり目を開ける。
 白い天井が見えた。
 消毒の匂いがする。

 ――ここは……?

「……キース! よかった……! やっと、やっと気が付いたのね……!」

 アーデルハイトがキースの手を握っていた。アーデルハイトのエメラルドグリーンの瞳も柔らかな頬も、涙で濡れていた。

「アーデルハイト……!」

 ――本当に戻れたんだ……! ああ! アーデルハイト……!

 再会の喜びに、胸が震えた。

「キース! あなたは、五日間も意識が戻らなかったんですよ……!」

 そうキースに教えてくれたのは、アーデルハイトの隣で泣きながら微笑むカイ――! 紛れもなくカイだった。

「カイ……! カイ! 無事だったのか!?」

 キースは思わず体を起こそうとした。

「……いってぇ……!」

 たちまち激痛が走る。

「駄目ですよっ! まだ動いちゃ! 安静にしてないと!」

 ――よかった――! ああ! 神様……! 本当によかった……!

 キースは体を貫く激痛に顔を歪めながらも笑う。痛いが、それは生きている証拠だ。体と魂が強く繋がっている証拠だ、と思う。再び皆に会えたのは、夢なんかじゃないとわかる。

 ――でも、エースじーさんにビンタされたときも痛かったよなあ? やっぱ、魂も痛みを感じるんだなあ。

 魂も、触れるとぬくもりや痛みを感じる。心の痛みっていうけど、それは魂自体の感覚なのかなあ、などとぼんやりキースは思った。

「ああ……。まだ俺は動けないみたいだな……。カイ、お前は? お前は大丈夫か!? 痛いところや苦しいところはないか?」

「はい! 俺は大丈夫です!」

「よかったあ……!」

 キースは心底ほっとした。全身の力が抜けるようだった。嬉しくて涙が溢れ、それから笑顔がこぼれた。

「私も、すっごい心配してたんだからあ……!」

 ユリエは泣きじゃくっていた。キースの笑顔を見て初めて、安堵の笑みを浮かべた。
 ここは、病院だった。あの、幼い女の子を連れて来た病院だった。キースの胸には、白い包帯が厳重に巻かれてあった。

「あれっ!? ミハイルは!? 宗徳は……!?」

 ――ミハイルの幻影を見た気がする。それとも実際に魔界に来てくれたのだろうか? ミハイルが、魔界から俺とカイを連れ戻してくれたのか……?

「……ミハイルさんと宗徳さんは、今、それぞれ別々に山へ行ってます」

 カイが答えた。

「山……?」

「ええ。ギルダウスを間近にして、なにも出来なかった自分が悔しいと、自らの鍛錬のために雪山に頻繁に行っているようです。もちろん、いつキースの意識が戻るかと、毎日病院で長い時間過ごしていますけど」

「そんな――! ミハイルも宗徳も、悔しがることなんか――!」

「なにかしていないと落ち着かないのでしょう」

 ミハイルと宗徳の気持ちはキースにもよくわかっていた。強くなりたい。もっと強くなりたい。そのためには、じっとしてはいられない。キースも、可能ならば今からでも雪山でもどこでも行って、厳しい修行に励みたい衝動に駆られていた。

「……カイ。俺とお前を魔界から連れ戻してくれたのは、ミハイルとオレグだったのか? なにか、ミハイルとオレグが来てくれたような気が――」

「そうです! ミハイルさんたちが来てくれて、それで戻れたのです。ミハイルさんは、魔界に行くのは退魔の術の中でもっとも高度な難しい技法で、遅れてしまって本当にすみません、と何度も繰り返し俺と意識を失った状態のキースに謝っていました」

「やはりそうだったのか……! そうだ! ギルダウスは!? ギルダウスはどうなったんだ!? ミハイルやオレグは無事だったのか!?」

 ギルダウスの胸に深い傷を負わせた。その手ごたえはあった。おそらくしばらく攻撃を仕掛けられる状態ではないだろうとキースは思ったが、それでもミハイルたちが心配だった。

「ミミアと呼んでいた女性に支えられ、どこかへ去って行きました。傷はキースと同程度のはずです。魔族とはいえ、かなりの重傷でしょう」

「そうか……」

「キース。安心して体を休めて? 今は、あなたが元気になることに専念して」

 アーデルハイトはキースの黒髪をそっと撫でた。心地よい感覚――。

「うん……」

 キースは、まぶたを閉じた。体力が著しく低下しているので、起きていられなかったのだ。

 ――ギルダウスは、また会おうと言っていたな……! ギルダウスは、俺の魂の炎が消えていないことを見抜いていたんだ……! また会おう! ギルダウス……! あんたの見立て通り、俺は確かにまだ生きてるよ……!

 恐ろしい強敵だ、と思う。もっと自分は強くならねば、と思う。「死」への恐怖、皆と本当に会えなくなる喪失の恐怖もある。でも、不思議とキースの心はギルダウスとの再会を夢見ていた。

 ――待ってろよ! ギルダウス……!

 キースは胸の奥底に、魂の奥底に、熱くたぎる炎を感じていた。
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