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旅男! 作者:吉岡果音

第八章 実りの季節

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どこかで懸命に生きる誰かへ

 宗徳は、一人森の中に佇んでいた。
 静寂。
 澄み切った空気。木漏れ日が、ゆっくりとあたたかさを運んでくる。

 はらはら……。

 風に揺れた枝から、黄金色の三枚の葉が落ちる。

 シュッ! シュッ! シュッ!

 光が走り、空を斬る音。落ちた葉は、すべて綺麗に半分になっていた。宗徳の刀が、宙を舞う葉をすべて真ん中から切り裂いたのだ。

「お見事です!」

 後ろからやって来たミハイルが感嘆の声を上げた。

「ミハイル殿」

 宗徳は、振り返る。声をかけられなくとも、ミハイルが近くに来ていることに気付いていた。足音から、そして気配から。

「さすがですね。宗徳さん。見事な剣技です。さあ、朝ごはんが出来ましたよ。一緒に食べましょう」

 ミハイルは、屈託のない笑顔で宗徳に話しかける。

「……ありがとう。呼びに来てくれたのか……」

 朝ごはんが出来たと、誰かに笑顔で呼びかけられる――。久しぶりだな、と宗徳は思う。

「……昔を、思い出すな」

 宗徳は、ふっと微笑んだ。施設にいた、子どものころを思い出す――。

「……そういえば、皆、元気でいるだろうか……」

 宗徳は、ふと施設の大人たちや、自分と一緒に育った様々な境遇の仲間たちのことを思い出した。
 宗徳は、いつも一人でいた。自分から、一人を選んでいた。口数の少ない子どもだった。問題も起こさず、施設の大人たちを困らせることも他の子どもたちに嫌な思いをさせることもなかった。施設の大人たちも、自分のことはあまり印象に残っていないかもしれない、と思う。
 施設にいた人たちは、今、どうしているのだろうか。幸せでいるだろうか。笑っているだろうか。生活に困ったり、病気で苦しんだりしていないだろうか。あたたかい家族や仲間と一緒にいるのだろうか――、そんなことを宗徳は考えていた。

 初めてだ……!

 宗徳は、そこでハッとした。昔関わった人たちが、現在どうしているのかと考えるのは初めてだった。今までずっと宗徳は、自分の家族を奪った犯人のこと、そして殺された両親やノースカンザーランドのどこかで暮らしているという姉のことばかりを考えて生きていた。施設で共に暮らした人々に向け、思いを巡らせたのは初めてだということに、気が付いた。

「……俺は、冷酷な人間なのだろうか……」

 宗徳は呟く。あんなに世話になったのに、長い間一緒に育ってきたのに、社会に出てから彼らのことを振り返って思うことがなかった。

「……宗徳さん。どうしてそんなことを言うのです……?」

 ミハイルが尋ねる。ミハイルのハシバミ色の瞳は、まっすぐ宗徳を見つめていた。

「……俺は、今まで他人のことなど、まったく考えていなかったんだ――」

 宗徳は、静かに呟く。言葉は、冷たい響きをまとったまま、落ち葉の下へと落ちていく、そんな気がした。柔らかな落ち葉を切り裂き、固い地面へと突き刺さる――。

「そんなことないですよ。宗徳さんは、みんなのことをいつも考えてくださっています」

 ミハイルは、微笑む。宗徳は思わずミハイルを見つめた。どうして、どうしてそんなあたたかな微笑みを自分に向けてくれるのだろう――。

「俺が、みんなのことを……?」

 宗徳は、気付いた。今、他人のことに思いを馳せることが出来たのは、キースやミハイル、カイやアーデルハイト、妖精のユリエとの旅のおかげなのではないか、と――。

「宗徳さんは、優しい人です」

 ミハイルは、はっきりとした口調で言い切った。

「キースもそう言ってたじゃないですか。『お前は優しい男だ』って」

 ミハイルは、笑って言う。当たり前のことを言ってるんだよ、とでもいうような自然な笑顔。

 どうして――? どうしてそんなことを言うのだろう。俺は――。

「……俺は……。ずっと、ある人物を殺そうと思っていた」

 宗徳は、吐き出すように呟く。

「そんな人間が、優しいと言えるだろうか――」

 宗徳は、ミハイルから瞳を逸らした。自分の手で切り裂いた落ち葉に目を落とす。無残に、半分の姿となりただ地面に落ちている葉、そこにもう命は感じられない――。

「でも、宗徳さんは、殺さなかったのでしょう……?」

「いや……。見つけたときに、相手はすでに死んでいたんだ。殺さなかったのではない、殺せなかったのだ」

 もし、生きているその男に出会ったら、迷わず殺していた――、と宗徳は思う。

「……よほどの事情があったのですね……。でも、僕の目の前には、僕の知ってる宗徳さんしかいませんよ」

 そう言って、ミハイルは、優しい微笑みを浮かべた。ハシバミ色の瞳は、少し悲しい色をたたえたように見えたが、宗徳の告白にまったく動じることはなかった。宗徳を、ただ優しく包み込むように見つめる。ただまっすぐに。

「ミハイル殿の、知ってる俺……?」

 宗徳は、戸惑っていた。ミハイルは、笑う。

「俺のなにを知ってるんだ、なんて言わないでくださいよ! 今更! 僕たちは、一緒に過ごしてきたじゃないですか! 同じものを見て笑い、同じものを見て驚き、同じものを見て意見を交し合ってきたじゃないですか!」

「一緒に――」

 ミハイルは、うなづいた。一緒に同じ時間を過ごす大切な友だちなんだ、というように。

「僕だって、感情があります。感覚があります。その感情、感覚をもとに物事を理解します。人は主観でしか生きられないのかもしれません。僕の感じる宗徳さんは、ただ一人、目の前にいる、悩み、戸惑い、他人を思いやり、自らを成長させようと頑張っている宗徳さんしかいません! 宗徳さんは、本当の俺は違う、とおっしゃるかもしれませんが、僕は僕の主観でしか判断出来ませんから! そして、僕の主観はこう思います。人には様々な側面がある、複雑で難解で、とても奥深く――。でも、そうかと思えばとても単純で、明快で……! そして、人間とは常に変化の可能性を秘めた生き物である、と……!」

「ミハイル殿――」

「宗徳さんの思う自分自身が、僕の思う宗徳さんと違っていても仕方のないことだと思います。僕の狭い主観の判断ですから。同じように、宗徳さんの感じる僕が、僕の思う僕と違っていても構いません。互いに感じる人物像と実像が違っていても、わかり合おうとする、その気持ちがあれば近づけるのではないでしょうか。過去は過去です。僕の感じる宗徳さんは、現在の宗徳さんだけなんですよ。宗徳さんが、過去の僕に会えないように、僕も現在の宗徳さんにしか接することは出来ません。そして、当然ですが、『現在』は過去を過ごしてきた結果の『現在』です。お互いに現在の感覚を信じる、それでいいのではないでしょうか」

「現在の感覚を……、信じる……?」

 はらはら。

 舞い降りる、黄金色の葉。きらきらと――。

「僕は、宗徳さんが好きです。一緒にいたいです。出会えた奇跡に感謝しています――。これが、現在の僕の感覚です」

「俺は……」

 そんなことを言ってもらえるほど、価値のある人間じゃない、と宗徳は言いたかった。

「みんなもきっと、同じ気持ちだと思いますよ」

 ミハイルは、にっこりと笑った。

「俺は……」

 宗徳は、自分を否定する言葉を言おうと思った。でも、なぜか言えなかった。ミハイルのあたたかい微笑みの前には、暗く重い感情すら小さくなって消えてなくなってしまう、そんな気がした。

「ふふふ。なんだか言葉にすると照れくさいですね! さあ! 戻ってごはんにしましょう!」

 日の光に、ミハイルのふわふわとした淡い栗色の髪が輝く。ミハイルは、もう歩き始めていた。宗徳は、姿勢よく歩くミハイルの後ろ姿をぼんやりと眺めた。

 光ある、正しい道を、歩む者なのだな――。

 そこに、反発はなかった。素直に、そう思った。まっすぐに話し、まっすぐに笑顔を見せる、きっと、ミハイルは自分とは違い、ある程度安定した境遇を生きてきたのだろう、と宗徳は思う。だが宗徳の心に、ミハイルに対する羨望も嫉妬もなかった。

 俺も、光ある道を歩めるのだろうか――。

 宗徳は、刀を納めていないことに気付く。刀は、冷たく鋭い光を放っていた。そっと、刀をさやに納める。

 常に変化の可能性を秘めた生き物、か……。

 現在の自分がどうなのか、どのように見えているのか、本当の自分とはどういう人間なのか、宗徳はわからない。ただ――、皆が傍にいてくれる、自分に心からの笑顔を向けてくれる、それだけは真実なのだ、と思った。

 施設の皆も、俺を思い出してくれる瞬間があるのだろうか――。

 宗徳も姿勢を正していた。
 過去の自分を知っていた人が、現在の自分を見てあたたかく微笑んでくれる、そんな自分になりたいと思った。

「宗徳さん! ぼうっとしてると、みんなにごはん食べられちゃいますよー!」

 ミハイルが宗徳のほうを振り返って笑う。

「それは困るな――!」

 宗徳も、笑う。そして、歩き出した。その視線は、まっすぐ前を見つめていた。



「ミハイルの特製スープ、美味しいねえ!」

 妖精のユリエが三杯目のおかわりをおねだりする。

「ほんとだ。ぼんやりしてると、たちまち食べられてしまうな」

 宗徳は笑った。

「おいおい。ユリエ、美味しいからって飲みすぎだぞ! 飛べなくなったらどうするんだ」

 キースがからかう。

「そしたら、キースの肩に乗るから大丈夫!」

 ユリエが笑顔で答える。

「もう相当重くなってるんじゃないのかー?」

 皆、笑った。笑顔だった。

 俺は――、本当にかけがえのないものを見つけたのだな――。

 宗徳は思う。

 俺も、好きだ――! 皆が好きだ――! ミハイル殿が、キースが、カイ殿が、アーデルハイト殿が、ユリエ殿が、好きだ!

 朝日が輝き、空は高く澄み渡っていた。
 自分を明るいほうへ導いてくれる今の縁を大切にすることが、過去出会った人々から受けた恩義に報いることなのではないか、宗徳はそう感じていた。

 俺は今、元気で幸せにやってます――!

 想いは風に乗り、遠くどこかへ運ばれていくような気がした。
 自分を想ってくれる誰かへ。どこかで懸命に生きる誰かへ。
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