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旅男! 作者:吉岡果音

第八章 実りの季節

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それぞれの、想い

「ビネイア様は地上に向かわれたのか?」

 魔界。ここはその辺境の森の屋敷。ギルダウスが、廊下にいたビネイアの侍女に話しかけた。侍女は、高く二つに結い上げた、とび色の巻き毛を揺らしながら、ギルダウスのほうを振り返る。

「はい。先ほどから――」

 ビネイアの侍女、名前はミミア。魔族ではあるが笑顔がとても愛らしい、若い女性だ。地上の人間との違いは、瞳孔が縦に細長いというだけである。魔族特有の冷たく恐ろしい雰囲気は感じられない。

「そうか……」

「ビネイア様に、お言付けいたしましょうか?」

「いや……。大丈夫だ」

 ギルダウスは踵を返し、廊下を歩き去る。ミミアは、ギルダウスの背中を見つめた。鍛え上げられたたくましい背中には、哀しみと、諦めの色が透けて見える。

 ギルダウス様――。

 総司令官、ギルダウス。ミミアは、王宮で仕えるようになってからずっと、王女ビネイアと総司令官であるギルダウス、その二人を近くで見ていた。ミミアは思う。

 国が滅ぼされてしまった今、もう身分など関係ない。ビネイア様は、ギルダウス様と結ばれればいいのに――。

 ミミアは、ギルダウスの気持ちを知っていた。ギルダウスの瞳は、いつもさりげなくビネイアの姿を追っていた。ギルダウスは、熱い想いを誰にも悟られぬよう必死で隠していたようだが、ミミアにはすっかりわかっていた。
 ミミアは、ギルダウスに恋をしていたのである。身分違いの実らぬ恋。だから、ギルダウスの気持ちは、ミミアに痛いほど伝わっていた。

 敬愛するビネイア様。恋しいギルダウス様――。でも、でもお二人が幸せなら、お二人が笑顔なら、私のことなどどうでもいいのです――。

 あの日――、隣国に攻め入られ城がとうとう陥落したあの悪夢のような最後の日、王は叫んでいた。

「ギルダウス! ビネイアを、頼む……! どうか……、娘を、頼んだぞ……!」

 王は、最後の力を振り絞り、一人娘のビネイアと、総司令官だったギルダウス、ビネイアの侍女ミミア、それから城に生き残っていた数人だけ、辺境の森へ逃がしてくれた。

 国王様も、きっとギルダウス様のお気持ちを知っていらしたのだわ――。きっと、国王様は、ビネイア様とギルダウス様が、新しい地で新しいお二人の生き方をされるのを望んでいらしたのだわ――。だから、ビネイア様に対して「娘」という言い方をされたのだわ――!

 ミミアは、そう信じていた。ビネイアとギルダウスは、国の再興を目標として生きているが、ミミアは、それよりもただ二人が幸せになれば、それでいいと思っていた。

 でも……。でも、ビネイア様のお心は――。

 ミミアは振り返る。

 あの日……。森の様子を見たいとおっしゃったビネイア様を、お止めすればよかった――。



 それは、ビネイアたちが辺境の森の屋敷に隠れて暮らし、しばらく過ぎたある日のことだった。

「私も、少し森の様子を見てこようと思う」

 唐突に、ビネイアはミミアに告げた。

「だめです! ビネイア様! 危険が潜んでいるかもしれないとギルダウス様もおっしゃっていたではないですか!」

 ギルダウスと何人かは、食料調達に森へ出ていた。

「屋敷の中で泣いてばかりでも仕方ない。私もしっかりしないとな」

 確かに、屋敷の中にこもってばかりでもいけない、ビネイア様の気分が少しでも晴れるのなら、そうミミアは考えた。

「それなら、私もお供します! それから、スコルドも!」

 スコルドとは、生き延びた者の一人である。城の若い兵士だった。女だけではさすがに不安なので、付いてきてもらうことにした。

「遠くまでは行かないから大丈夫だ」

 ビネイアはそう言って笑ったが、ミミアは少し胸騒ぎがした。
 三人は、明るい木漏れ日の差す森の中を歩く。わざわざ、昼に行動した。魔族は、闇の時間が活動時間だった。敵が襲ってくる可能性の低い、魔族にとっての活動時間と逆のときを選んでいた。もっとも、攻め入ってきた強国である隣国にとって、ビネイアたちはすでに取るに足らない存在だった。彼らがビネイアたちを探すことに力を入れてはいないと思うが、念のため、用心していた。

「あっ……! 誰かいますよ……!」

 スコルドが、小声で叫んだ。

 木々の向こう、目の前に、美しい青年が一人立っていた。

「あれは……!」

 ビネイアは、青年の姿に釘付けとなった。
 光を浴びて輝く金の長い髪。長身のすらりとした後姿。

「ここは……、いったい、どこだろう……?」

 青年が、独り呟いた。辺りを見回す青年。

「なんと美しい……、横顔……」

 ビネイアは、まるで引き寄せられるように青年のほうへ一歩踏み出す。

「ビネイア様! 危険です!」

 ミミアが思わず叫んだ。

「誰かいるのか!?」

 青年が、ビネイアたちのほうを見た。アイスブルーの冷たい輝きを持つ瞳――、クラウスだった。

「……! あなたは、魔族ではない、人間……、ですね?」

 ビネイアが、雰囲気からクラウスが地上の人間であることに気付く。人間が魔族を見て、その恐ろしい雰囲気から人間ではない魔族であると悟るように、魔族も雰囲気から異種族であると気付く。

「……あなたは、魔族……。ということは、ここはやはり、魔界か!」

 魔術の研究をしていたクラウス。偶然、魔界へ行く方法を見つけてしまったのだ。

「お美しいかた……。私の名はビネイア。あなた様のお名前は……?」

「僕の名は――、クラウス」

 木漏れ日が、二人を包んでいた。ビネイアの瞳はクラウスを見つめ、クラウスの瞳はビネイアを見つめていた――。



 どうしてあの日、森へ行ってしまったのだろう。あの日あのときでなければ、きっと二人は出会わなかった――。

 ミミアは悔やむ。

 人間などとは、きっと幸せになれない――。

 そう思っても、ミミアにはどうすることも出来なかった。自分の立場では、なにも言えない、なにも出来ることはない、そう思っていた。
 身分などもう関係ない――、ギルダウスとビネイアに関してはそう思えたが、自分に関しては絶対にそんなことは思えなかった。

 私は、ただの侍女。ビネイア様とギルダウス様のお幸せを、陰で祈ることしか出来ないのだわ……。

 ミミアはいつも、小さな胸を痛めながら、地上へ向かうビネイアの髪や衣服を美しく整え、そっと見送るのだった。



「ああー! 美味しかったー!」

 妖精のユリエが、大声で食事の感想を述べる。石造りの食堂から、皆笑顔で外へ出た。

「あっ! 綺麗なお月様!」

 綺麗な月が出ていた。星々も美しく輝いている。

「ほんとだ……。綺麗だな」

 キースは星空を感慨深く眺める。思わず、手を伸ばしてみる。

「掴めるわけ……、ないか」

 本物の星は、遠いな、とキースは思う。当たり前だが、そんなことを思っていた。

「ほんと、掴めそうなくらい近く見えるよね」

 すぐ隣でアーデルハイトが微笑んでいた。

「うん……」

 肩が触れそうな距離にアーデルハイトがいる。

「……ちょっと寒くなってきたね」

 夜風が冷たくなってきていた。

「うん」

「…………」

 前を歩く、カイもミハイルも宗徳も、黙っていた。

 コツコツコツ。

 石畳を、歩く一同の足音だけが響いていた。
 妖精のユリエは、キースとアーデルハイトの様子をそっと見守っていた。

 んー。じれったいなあ! もう!

「アーデルハイト、手、冷たいの?」

 ユリエがアーデルハイトに尋ねる。

「うん……?」

 ユリエは、アーデルハイトの左手を取った。

「キースも寒いんじゃない?」

 ユリエは、今度はキースの右手を取る。

「じゃあ、こうすればいいんじゃない?」

 ぎゅっ!

 ユリエはアーデルハイトの左手とキースの右手を繋いであげた。

「えっ!」

「もう、寒くないよね!」

 顔を真っ赤にし、立ち止まるキースとアーデルハイトを残し、ユリエはさっさと飛んで行き、カイの肩にちょこんと座った。

 えええええ!?

 キースとアーデルハイトを残し、他の面々は振り向きもせず宿屋へとまっすぐ歩いていく。

 ――えーと……。

「…………」

「…………」

「な、なんだろうなあ、ユリエ。イタズラしてー!」

 キースが呟く。

「な、なんだろうね……」

 アーデルハイトも呟く。

「…………」

「…………」

 お互いに、手を離そうとはしなかった。

「…………」

 ぎゅっ!

 キースは、アーデルハイトを握った手に、少し力を込めた。

「ほんと、あったかいな!」

 キースは、照れくさそうに笑う。

「うん……! そうだね……!」

 アーデルハイトは、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
 そのまま、手を繋いで歩いた。

 遠いあの日、クラウスと手を繋いで帰ったっけ――。

 一瞬、アーデルハイトは幼い頃の日々を思い出した。

 それから、ずっと空っぽの手。あれから私は、なにも掴めずにいた――。

 ぎゅっ。

 アーデルハイトも、キースの手を握り返していた。

 私はもう、空っぽなんかじゃない……! 本当に大切な人を、見つけた……!

 キースは、少し驚いた顔でアーデルハイトを見つめた。
 上目づかいで見つめる、アーデルハイトの少し潤んだ瞳。

「……だんだん、冬になるんだな」

 キースは動揺を隠して、当たり障りのないことを言う。

「うん」

 アーデルハイトは、ただうなづく。

「でも、きっと寒くはないよ」

「うん」

 手を繋いだまま、歩く。

「……隣に、アーデルハイトがいてくれるからな!」

「……うん! いるよ! ずっと一緒に……!」

 宿屋まではあと少しの距離。でも二人にはとても長く感じられた。
 明るい月と、星が二人を見守っていた。
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