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旅男! 作者:吉岡果音

第一章 旅男、キース。旅女、アーデルハイト

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湖の記憶

 空を飛んでいた。

「いやー! 爽快だねえ! いいねえ! 空を飛ぶって!」

 金髪美女のアーデルハイトと共に、キースはドラゴンに乗っていた。アーデルハイトが前に乗り、アーデルハイトにつかまるような状態でキースは乗っていた。

「なあ、アーデルハイトっち、このドラゴン、なんて名前なんだ?」

「『アーデルハイトっち』、って!」

「ごめん……。アーデルハイト様」

「……別に私の呼び方はなんでもいいけど。この子の名前はゲオルク」

「へえ! ゲオルクか。いい名前だねえ!」

 眼下に木々が見えてきた。川も湖もあるようだ。

「川! 湖も!」

「街までまだ遠いみたいだけど、ちょっと降りてみるわね」

 湖のほとりに降り立った。透明な水底にたくさんの魚が見える。綺麗な水のようだ。

「うわーっ! 久しぶりぃ!」

 キースは顔を洗った。久しぶりの豊かな水。

「ちょっと失礼。向こう向いててな」

「え?」

 キースはあっという間に全裸になっていた。

「ちょっとーーーーーっ!!」

 ざっぱーん。

 キースが湖に飛び込む。

「あんたなにやってんのよーっ!? 見ちゃったじゃないのよーっ!」

「ごめんごめん。向こう向いてって言ったんだけど」

「まさかいきなり裸になるなんて思わないわよーっ!」

「ははは。わりぃ。でも俺、脱ぐとちょっとすごいだろ?」

 肩の辺りまで水につかりながら笑いかける。さすがにキースもアーデルハイトの前で手を腰に当て仁王立ちするという暴挙に出ないだけの知性と配慮は持ち合わせていた。

「ヘンターイ!! ばかーっ!!」

「久々の風呂―! 気持ちいいーっ!」

 キースは湖を思いっきり泳いでいた。それから大きな魚を見つけ、捕まえた。捕まえた魚をアーデルハイトに見せようと岸辺を振り返ると、アーデルハイトの姿もゲオルクの姿も既に無かった。

 ――ありゃ。さすがに怒って立ち去っちゃったかな。

 キースは岸に上がる。凛々しい顔立ち、鍛えられた美しい肉体。キースは、もし森の妖精が出会ってしまったら、一目で恋をしてしまうのではないかと思われるような美男子だった――、黙っていれば、の話だが――。

 キースは服を着替えてたき火をし、捕まえた魚を焼いた。それからさっきまで着ていた服を洗濯した。

 ――悪いことしちゃったな。早く水に入りたくてつい……。こんなことなら、もっとちゃんとお礼を言っておけばよかったな。水も食料も分けてもらったのに――。

 本当に女神のような女性だった、とキースは思う。

 ――もう会うことはないかもしれない。一期一会。後で悔いることのないように、出会った人とは誠意と真心を込めて接するべきなんだ――。きっとアーデルハイトの記憶には、俺は恩知らずの大変態として残ってしまうんだろうなあ――。

 キースは反省しながらも、大変態、というくだりで一人失笑してしまっていた。

「……なに一人で笑ってんのよ」

「えっ? あっ? 女神アーデルハイト!」

 木の実をたくさん抱えてアーデルハイトとゲオルクが戻ってきた。

「なんで女神……。この木の実はとても栄養があるのよ」

 そう言うと、赤い木の実をキースに放り投げた。片手でキースは受け取る。

「ありがとう! 木の実を採ってきてくれてたんだ……!」

 新鮮な魚と木の実を分け合って食べた。ドラゴンのゲオルクもおいしそうに食べる。

「洗濯までしてたの?」

「ああ。今晩はここで過ごそうかと思って」

「ふうん」

「アーデルハイト様はこれから街に行くのか?」

「……『様』はやめてよ」

「アーデルハイト姫」

「……『姫』もやめてよ。そうねえ。せっかく綺麗な湖も食べ物もあるし……。私も出発は明日にしようかな」

「マジでっ!? 一緒に夜を過ごしちゃう!?」

「や、やめてよ! 妙なことは考えないでよ! そういうつもりじゃないんだから!」

 ――そういうつもり、とはつまりああいうつもりか。つまり、ああいうつもりではないんだな。いいなあ。そういうつもり――。残念。

 キースは一瞬だけ妄想に浸った。怒られそうなので妄想でも一瞬でやめた。

「よし。じゃあ、俺もその辺を探検してみるか」

「え……?」

「アーデルハイトも暑いうちに水浴びしたら? 気持ちいいよ。俺はどっか行ってるから」

「……覗いたりしないでしょうね」

「まさか! 覗いてくれって言うなら喜んで覗くけど!」

「……覗くな」

「はい」

「覗いたりしたら、ゲオルクが許さないんだから!」

「頼もしい用心棒だね。ゲオルクはいい子だ」

 ゲオルクの頭をなでてあげると、キースは森の奥へ歩いていった。

「……変な男」

 アーデルハイトは呆れながらも、一人笑ってしまっていた。



 アーデルハイトは湖に入る。水をはじく白い肌、伸びやかな肢体。

「ほんと……気持ちいい」

 ふと、視線を感じたような気がした。

「キース!?」

 すぐに違うと分かった。

 ――違う、これは人間の視線じゃない――。もっと大きく、高次の―、まるで包み込むような優しい眼差し――。まるで、見守られているような――。

「この湖には、なにかいるのね――」



 パチパチパチ。

たき火のまきがはぜる。夕食の魚介類が焼かれていた。二人とドラゴン一匹の夕食。

「……キースは、どこに行くつもりなの?」

「ノースカンザーランド」

「ノースカンザーランド!?」

 アーデルハイトの表情が、一瞬固くなった。

「どうしたんだ? ノースカンザーランドがどうかしたのか?」

「い、いいえ。なんでもないわ……」

 アーデルハイトは顔を振り、金の髪をかき上げた。それから、魚介類に手を伸ばす。ちょうどよく焼きあがっていた。

「私も――。そこに行くところだったの」

「マジでっ!? 一緒かよ!? すげーな! 俺たち、なんか運命の糸で繋がってたりして! なーんてなっ!」

 アーデルハイトは黙っていた。手に取った魚介類を食べるわけでもなかった。ただ、静かにたき火の炎を見ていた。炎の明かりに照らされた美しいその顔は、どこか悲しそうに見えた。

 ――あれ。反応がない。俺に気がない、というのもあるだろうけど、それより――。

 なにか、深い事情があるのかもしれない、そうキースは感じた。

 ――普通だったらたぶん、俺にノースカンザーランドのどの辺に行くのかとか、なにをしに行くのかとか色々訊いてくると思うけど……。それを訊いたら自分のことも話さなくちゃいけなくなる、それを避けているようだ――。

 キースは、話題を変えよう、と思った。

「……月明かりの湖って、なんか幻想的だよな――」

 なにげなく湖を見た、そのとき――。

「うわっ!?」

 湖の上に、風景が広がっていた。
 遠く見える宮殿のような立派な建物、楽しそうに笑っているたくさんの人々、明るい青空――。夜空にまるで蜃気楼のように、巨大な映像が映っていた。

「な、なんだこりゃ!?」

「これは一体……」

 キースもアーデルハイトも不思議な現象に息をのむ。

「幻――」

 鮮やかな、幻影だった。
 湖から、声がした。

「私は、湖に住む精霊――」

「えっ!?」

 ――湖の……、精霊……!?

「私はずっと眠っていました。これは、遠い昔の――。私の記憶――」

「遠い昔の記憶……? これはもしかして……、かつてあなたが見ていた光景なんですか?」

 アーデルハイトが湖に向かって声をかけた。

「そうです。遠い遠い昔、ここには都があったのです」

 映像の中の人々は皆、幸せそうな笑顔だった。湖のほとりではしゃぐ子どもたち、弁当を広げてくつろぐ人たち、木陰で愛の告白をする若い恋人たち――。

「あなたがたを見ていて、なんだか懐かしくなってしまったのです。人々との思い出を、楽しかった日々を、振り返ってみたくなったのです――」

 慈しむような優しい声――。この精霊は人間が好きだったんだ、そうキースは感じた。

「もうしばらく、かつての時間を――。愛おしいかけがえのない日々を、こうして思い出していてもいいですか?」

「もちろん――!」

 キースもアーデルハイトも、ゲオルクも、黙って精霊の繰り広げる美しい思い出の数々を眺めていた。

 ――なんて素敵な記憶なんだろう――。

 キースは、なぜあのときアーデルハイトが呆れて去ってしまわずに、自分の隣にいてくれるのか分からなかった。ただ、まだアーデルハイトとの縁が繋がっていること、そして今この瞬間に隣にいてくれることを、とても嬉しいと感じていた。



 翌朝、湖を出発することにした。

「湖の精霊さん、おいしい魚介と素晴らしい思い出をありがとう!」

 ゲオルクに乗ってアーデルハイトと街へ向かう。
 湖が朝日にきらめいていた。

 ――俺のことも湖の精霊さんは記憶に残してくれるかな――。

 ゲオルクは青空をかけるように飛んでいく。

 ――精霊さんの心の中に、大変態として記憶に刻まれちゃったりして――。

 キースは大変態、と考えてまた笑ってしまっていた。
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