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旅男! 作者:吉岡果音

第二章 水晶の洞窟

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一つの星

「アーデルハイト。君は本当に美しい」

 クラウスは、緑の石の輝くネックレスをアーデルハイトのほっそりとした首元につけてあげた。きめ細やかな白い肌に、緑の輝きが映える。

「ありがとう……。クラウス」

 そのとき、アーデルハイトは幸せのただ中にいた。昨年の誕生日のことだった。
 アーデルハイトは、クラウスとこの先の人生を共に歩んでいくのだと信じていた。

「こんな高価な誕生日プレゼント……。本当にありがとう。クラウス」

 外はしんしんと雪が降り積もっていた。暖炉の火が優しく揺れる、あたたかな閉ざされた空間。二人きりの、完結した世界――。



 あの美しい世界は、いつから狂ってしまったのだろう、とアーデルハイトは振り返る。
 あの後、ではないのかもしれない。本当はもっと前だったのかもしれない。もしかしたら、幼い頃からすでになにかが違っていたのかもしれない――。クラウスが魔法の魅力にとりつかれてしまった頃から、運命の歯車が変わってしまったのかもしれない、それとも――、私が悪かったのだろうか――? もし隣にいたのが私ではない他の女性だったら、クラウスの人生はまた違うものだったのかもしれない――。そう考えると、アーデルハイトは涙が溢れそうになる。
 あの優しい眼差しはもう二度と戻らないのだろうか。あの耳に心地よい穏やかなささやきは、永遠に過去のものとなってしまったのだろうか――。何度も自分の中で繰り返してきた問い。もう一度会えたら、もしかしたらほんの少し彼の中でなにかが変わるのではないだろうか――。それは、幻想であるということをアーデルハイトはわかっていた。

 クラウスは、強い。堅牢に築き上げられた塔のようだ。彼を変えることは、少なくとも私にはできない――。

 アーデルハイトは、自分は無力だ、そう思った。
 それでも、じっとしていられなかった。

 クラウスを止めに行かなくては……! これ以上彼が罪を犯さないよう止めなければならない――!

 アーデルハイトは、そうして家を出た。



「みんなぁ! ご飯食べようーっ!」

 妖精のユリエの朗らかな声が水晶の洞窟に響き渡る。

「ユリエ、すごいご馳走だなあ! ありがとう!」

 ユリエが集めておいたたくさんの木の実。赤い実、黄色い実、青い実。本当にただひたすら木の実、木の実だらけだったが、ユリエが喜ぶようキースは大げさに驚いてあげた。

「アントン様のご子孫は現在どうされているのでしょう? ご無事でしょうか……?」

 カイがアーデルハイトに尋ねた。

「やはり青い杯の所有者が、アントンさんのご子孫ということなんでしょう?」

「はい。そうです」

「そうか。『知恵の杯』のラーシュ、カイの兄さんは、大魔法使いヴァルデマーの一番弟子のアントンが持っていったってことだもんな。最近までアントンの子孫が隠していたということか」

 キースが木の実を頬張りながら言う。

「盗まれた青い杯の持ち主は、クラウスを追って私より早くノースカンザーランドに向かったわ。その人の名前は――、フレデリク。フレデリク先生。実は魔法学校の先生なの」

「へえ! 魔法学校の先生か! じゃあ、大丈夫なんじゃないか? 先生なら連れ去られたカイの兄さんを取り戻せるんじゃないのか?」

 アーデルハイトの表情が曇った。

「それが……。そうとも思えないの。私の予想では、クラウスのほうが先生より魔法の腕は数段上だと思う――」

「そうなのっ!? 大魔法使いの一番弟子のアントンの子孫なのに!?」

「ええ、たぶん……。クラウスは、天才よ」

「なんといっても、北の巫女様の予言の魔法使いですからね……。それは一筋縄ではいかないでしょう」

 カイが唇を噛んだ。

「それに、先生はちょっと変わってるの……。よい先生だとは思うけど、なんというか……、風変りな人だった。まあ、町の人たちの噂では、先生の他にも数人がドラゴンに乗って空を駆けていったっていうから、クラウスを追っているのは先生と私だけじゃないみたいだけど」

「そうか……」

 キースはカイの様子を横目でうかがう。そして、明るい口調で叫んだ。

「なあに! それじゃあ安心だな! 先生と、何人かの魔法使いたち、そしてこの俺たちが向かうんだ! 大丈夫、大丈夫だって! ほら、カイ、カイもなんか食え!」

「だから俺は剣だから食わないって……」

「あ! そうだったな! じゃ、じゃあアーデルハイト、アーデルハイトも食え! 食えば自然と力が湧くから!」

「そうよう! この木の実はほんと美味しいし、栄養たっぷりあるんだからあ!」

 ユリエも元気な声を上げる。

「そうね……。元気にならなくっちゃね……」

「私、嬉しいなあ!」

 ユリエが顔を輝かした。

「え……?」

「だって、私もルークも、エースの子孫さんとカイだけがここに来るんだって思ってたんだもん。アーデルハイトとゲオルクまで来てくれて、賑やかになってなんだか嬉しい!」

「……ユリエちゃん。ありがとう」

「そう! アーデルハイトは笑顔のほうがいいよ! 美人なんだもん!」

 私のことを、純粋に歓迎してくれた――、アーデルハイトは胸の辺りがあたたかくなった。恐ろしい魔法使いの元恋人、そして彼のことを止められなかった自分のことを、無条件の笑顔で迎えてくれた――。アーデルハイトは心から嬉しかったのと同時に、いかに自分が罪悪感で自分を縛ってしまっていたかがわかった。恋人だったとはいえ過去の恋、そしてアーデルハイトではない別の人間の所業である、アーデルハイトに非はないのだが、知らず知らずのうちに罪の意識に苛まれていた。

「アーデルハイトさん。俺もとても嬉しいです。あなたに会えてよかったです」

 アーデルハイトの心を見透かすようにカイが声をかけた。

「カイ……」

「兄さんのこと、兄さんを連れ去ったクラウスのことを教えてくれてありがとうございました。それに……、キースさんのこと助けてくださってありがとうございました。まだ俺からはお礼を言ってなかったですね。失礼しました。本当にありがとうございました」

「カイ……! そんな……! こちらこそ、本当にごめんなさい……。そしてありがとう!」

「それから、道中楽しかったです」

「楽しかった……?」

「キースさんに対する的確なツッコミ、ナイスでした!」

「カイ! なんだよ、それ!」

 キースが思わず食べていた木の実を吹き出す。

「あはは。そんなわけで、俺もアーデルハイトさんに会えて嬉しいです! これからもよろしくお願いします! キースさんのこと、適度にツッコミ入れてあげてください! 俺のためにも!」

「カイ! どういう意味だよ!? 『俺のためにも』って!」

 キースがちょっと不満な顔をする。

「だって、キースさんの暴走で被害を被りたくないですから」

「カイ! お前―っ! 涼しい顔して結構言うなあ!」

 キースがカイにヘッドロックをかける。アーデルハイトは思わず笑ってしまった。

 ありがとう、カイ……!

 アーデルハイトは、心の中で凝り固まっていたしこりが、少しずつ春の氷のように溶けていくような気がしていた。



「キース」

「ん?」

 いつの間にか空は満天の星。キースたちはそのまま水晶の洞窟で一晩休むことにした。

「……思い出に縛られることを口実にして、自分の人生生きてないって、キースは前に食堂の女主人に言ってたわよね」

「ああ。俺そんなこと言ったっけ」

「あれ、どきっとしちゃった」

「なぜ?」

「……私、自分がクラウスと結婚すると思ってたの」

「そうか……」

 キースは一瞬固まった。

 ――そうだよな、恋人だもんな――。

「それが彼に振られることで、私の未来は白紙になった」

「うん……?」

「彼を追いかけて止めたいっていうのは、もしかしたら自分の新しい未来を考えることから逃げるためだったのかもしれない」

「…………」

「彼を追いかけることを、今、自分の人生を考えられない口実にしてるのかも……」

 彼に追いついても、自分はなにもできないだろう、とアーデルハイトは思った。ならば、自分はなんのために追いかけようとしているのだろう。ただ追いかけること自体が目的だったのではないか――。

「そんなこと考えることねーんじゃね?」

 キースはアーデルハイトのエメラルドグリーンの瞳を見つめた。

「え……」

「追いかけて止めたいって思ってんだろ? その気持ちはほんとなんだから、口実でもなんでもない」

「キース……」

「アーデルハイトは、自分の人生をちゃんと生きてるよ」

「そう……かしら?」

「うん! かっこいいよ!」

「かっこいい……?」

「俺たちが、世界を救うんだ!」

「……なんか、真顔ですごいこと言うのね……」

「……なんか、声に出して言ってみると恥ずかしいな……」

 洞窟の中で星はよく見えない。でも、キースの心の中に、曇りのない光を放つ一つの星が見えていた。

 ――俺は進む! 運命に導かれるままに――!

「……俺って、かっこいいよな」

「自分でよく言うわ……」

「誰も言わないから自分で言うんだああ!」

 アーデルハイトは寝たふりをすることにした。
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