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第1章:大学の魔術士(2)
「ただいま……」
 デ・ラ・ペーニャ北部に位置する、沿岸都市【ボルハ】。
 その場末にひっそりと佇む酒場【スコール】と言う場所が、アウロスの現住所だ。
 宿屋になっている2階の一室を間借りしているのだが、どうせ客は殆どいないと言う理由で、限りなくタダに近い宿泊費での生活が可能となっている。
 環境としては余り良くはないのだが、金銭的に然程余裕のないアウロスは、【ヴィオロー魔術大学】大学に勤める前日から今に到るまで、この場所を寝床としていた。
「やあ、お帰り。どうだった? その……お呼び出しの中身」
 アウロスの帰宅を心配そうに出迎えたのは、この酒場兼宿屋のマスターであるチャオ=フルーライド。
 頭皮を如何なく露出した頭と、口の周りを取り囲む髭がトレードマークの男性で、強面気味な外見とは裏腹に、中身は面倒見の良いオッサンだ。
 年齢は自称39歳。
 だが、アウロスが働き始めた時期から現在に至るまで、その数字は一向に変化していない。
 3と4の境界にそこまでこだわる価値があるのかどうか――――それは本人にしかわからない問題なので、アウロスもいちいち指摘しないようにしている。
 代わりに、質問に対して簡潔に答えた。
「魔術士資格剥奪」
「ま、まちゅちゅしちっかくはくだく!?」
 噛み倒しで驚愕を表現するマスターを尻目に、アウロスは樽の中に入っているサイドメニューのミルクを勝手に一杯分頂戴し、一気に飲み干す。
 特にミルクが好物と言う訳ではないのだが、何かを飲み干したい気分だった。
「大変じゃないか! それじゃ大学は……」
「クビ」
 他人事のようにしれっと述べるアウロスとは正反対に、マスターはまるで自分の不幸のように両手で顔を覆い、失望を露わにした。
「そ、そんな……それじゃこれからどうするんだい? 魔術士じゃなくなったのなら別の仕事探さないと。そうだ、町内会長のボンボーンさんに連絡して……」
「いいよ。取り敢えず今は一人になりたい気分だからもう寝る。それじゃオヤスミ」
「ちょっ、アウロス君!?」
 素っ気なく対応し、二階の自室に戻る。
「ふぅ……」
 ミルク臭い息を一つ吐き、扉を閉めた。
 アウロスの部屋には、ベッドと机椅子、そして数冊の書物くらいしかない。
 その質素な場所こそが、最も寛げる空間だからだ。
(心配されても嬉しくないってのは、不幸な事なんだろうか……)
 そんな癒しの空間で、ベッドに横たわり、心中で呟く。
 アウロスは、親の愛情に全く縁がないまま育ってしまった為、人の思いやりに対する処方が心に備わっていない。
 常識的な振る舞いで取り繕う事は幾らでも可能だが、本心から感謝の気持ちが芽生える事はない。
 人として最悪の欠陥だと自覚しているのだが、直す術もない。
 欠陥品として生きるしかない。
(さて。これからどうしたもんか……)
 新たに『無資格』と言う欠陥を背負った事は、かなりの痛手。
 意図的に奥歯を噛みつつ、瞼を閉じ、今後の行動――――夢の実現についての具体案を模索する。
 魔術に限らず、研究と言うものはやたらと金が掛かる。
 時間も掛かる。
 その双方を自力でどうにかするのは、物理的に不可能だ。
 よって、金銭的なゆとりのある人間が、知識や熱意のある人間を雇い、研究をさせると言うシステムが成立する。
 そのシステムが更に発展し、巨大な権力と財力を有する教会が、研究・教育・臨戦と言った魔術士の育成と魔術の発達を『効率的』且つ『効果的』に行える最高機関として運営するようになったのが、大学と言う組織だ。
 魔術を研究する環境としては、この大学と言う機関が最も優れている。
 しかし、魔術士の資格を失ったアウロスがその場所にいる事は許されない。
(それでも、研究出来る場所は必ずある筈だ。明日にでも欠員のある研究所を調査しに行って……)
「アウロス君、アウロス君?」
 思考が遮断される。
 扉越しにマスターの声がジャミングとなって、アウロスの聴覚をせっついた。
「た、大変だ! 返事がない! もしやただの屍に……!」
「なるか」
 アウロスは必要最低限の言語で否定し、錯乱気味なマスターをジト目で睨む。
「何なの一体」
「何なのって……職を失ったんだろう? 一大事じゃないか。相談してくれよ。頼ってくれよ」
「心配してくれるのは有り難くないんで放っておいてくれ。一人でなんとかするから」
「何て言い草!? ボクは君の為を思って言ってるんだよッ! 本当に君は社交性に欠けていると言うか、協調性がないというか……心配だよボクは」
 ハンカチーフで目尻を覆う。
 本当に泣いているらしい。
 さすがに邪険にはできない空気が漂い、アウロスは頭を掻きつつ、申し訳のなさそうな、そうでもないような微妙な表情を作り、マスターの肩に手を置いた。
「……悪かったよ。こう言う性格で申し訳ないと思ってる。でも今は一人にしてくれ」
「一人じゃ何もできないよ! さあ相談! 相談! さっさと相談!」
「やかましい! 一人にしてくれって言葉の意味がわからないのか! ボケ老人かあんたは!」
「ボクはまだ30代だよ! まだ中年階段に足を掛けたばかりだよ!」
「まだそんな事言ってるのか。いつか言おう言おうと思ってたが、今日こそ言わせて貰う。あんたはな……」
 明らかな年齢詐称に対し、アウロスがとうとう鋭いメスを入れようとした、まさにその時――――
「随分と荒れてますね」
 二人の言い争いをなだめる様に、低音の声が狭い廊下に響く。
 つい先程と同じような構図だ。
 そして、その声も全く同じだった。
「あ、そう言えば。お客さん来てるよアウロス君」
「そう言えば、じゃないだろ……」
 呆れつつ部屋を出る。
 廊下に立っていたのは、ついさっき出会って別れたばかりの男だった。
「先程はどうも」
「ああ」
 マスターは少し疲れた感じの双方の顔を見比べ、アウロスの方で視線を止めた。
「知り合いかい?」
「さっき知り合ったばっかだけどな。確か【ウェンブリー魔術学院大学】の助教授だったか」
「え? そんなお偉いさんがどうしてまた、こんな辺鄙な所に……」
 マスターの問い掛けに対し、ミストは薄い笑みを浮かべる。
 そして、自己の薄い眉をなぞる様に触れ、指の隙間からアウロスに視線を注いだ。
 その一連の仕草に意味があるのかどうかは判断しかねたが、アウロスは何となく今後の展開を予感し、口元を引き締める。
「まさか、あの時の君が目的の少年だったとはな。運命は信じない性質なのだが、一時的に撤廃しても良い気分だ」
 独り言のように呟き、笑みを漏らす。
 その顔のまま、目だけ真剣になり、寝転がったままのアウロスを見下ろした。
「本題を述べよう。アウロス=エルガーデン、君をスカウトに来た。私の研究室に来て欲しい」
「ええっ!?」
 驚愕の声を上げる。
 マスターが。
 一方、当の本人であるアウロスは、無表情でミストの言葉を聞いていた。
「立場は特別研究員。生活に困らないだけの給与を約束しよう。住まいも提供する。君が以前いた研究室よりも優れた環境で研究をできる。どうかね?」
「……」
「破格の条件じゃない! 迷う必要ないよアウロス君、ホラ、早く二つ返事で受けなきゃ! 媚びた笑みを浮かべなきゃ!」
「マスター」
「何だい?」
「退場」
「……はい」
 居候の命令にマスターは渋々従い、1階に消えた。
 その背中を苦笑交じりに見送ったミストは、アウロスの部屋に一つだけある椅子に腰掛け、スカウト対象の少年の目をじっと眺める。
「随分と心配してくれているようだね、君の事を」
「物好きな人だからな。ロクに感謝もできないようなダメ人間を、何かと気に掛けてる」
「その恩を返さず、ここを離れたくない……という訳ではなさそうだが、二つ返事と言う訳でもなさそうだな」
 ミストは微笑みながら、品定めと言うより威嚇に近い視線でアウロスを射抜いた。
 駆け引きは既に始まっている。
「生憎、俺は魔術士の資格を剥奪されてる。大学の研究室には入れない」
「知っているよ」
 その言葉は、アウロスにとって想定内だった。
 しかし礼儀として、眉を顰め訝しがる表情を作る。
「当然だろう。スカウトするに当たって、君の事はそれなりに調査している。君が先程まで所属していた【ヴィオロー魔術大学】を解雇された事も、その理由も、ね」
「……」
 アウロスは表情を変えなかった――――が、それはある意味過剰反応でもある。
「とは言え、大学側の説明を鵜呑みにする気などサラサラないがな。その辺りの事情は嫌と言う程知っている」
 組織には、自浄作用というものが自然に備わる。
 誰が何も言わずとも、組織に不利益な発言をする者はいない。
「規則は規則だ。仕方がない」
「君はそれで納得したのか?」
 アウロスは、沈黙をもって返答とした。
 それはつまり、解釈を預けると言う事だ。
 ミストは否定と判断し、言葉を繋げた。
「では、私がその規則を変える事になる……そう言ったら、君は信じるか?」
 部屋の扉が微かに開いた。
 人の気配はないし、風が吹く条件もない。
 しかし、確かに開いた。
「……それがあんたの目的なのか?」
「否。私の目的は、魔術士の台頭だ」
 アウロスは目を細める。
 個人ではなく包括的なその願望は、一個の助教授の野望としては、余りに広大だった。
「アウロス=エルガーデン。君は世界の人々から魔術士がどう呼ばれているか、知っているか」
「戦乱の時代は『騎士の助手』、今は『学者の助手』」
「良く勉強しているな。その通りだ」
 涼しげな物言いとは裏腹に、表情に微かな憤りが混じる。
 それは、魔術士としての矜持。
「私はその蔑称にどうしても我慢ができない。魔術士は決して、騎士や学者の下僕ではないのだからな」
「後方支援と言う魔術士のイメージを根本から覆したい、って訳か」
「そう言う事だ。私の前衛術科では、魔術士が先頭に立って闘う為の魔術を研究している。剣を携え、鎧をまとった騎士に対し、一対一で勝つ……そう言う魔術をな」
 ミストは拳を握り締め、力説した。
 演説の口調に近いそれは、これまで彼が見せてきた佇まいとは対極にあるものだ。
 その緩急を駆使したパフォーマンスは、彼がアウロスを本気で欲しがっている事の表れでもあった。
「君をスカウトしたい理由を単刀直入に述べよう」
 そして、畳み掛けるように宣言する。
「君と君の論文を、私の野心の為に利用したい」
 口説き文句としては、余りにエゴに満ちた不適切な発言。
 しかしこれは、アウロスの性格を見抜いた、実に的確な誘い文句だった。
 利害関係こそが最純の信頼――――少年が決して短くない年月の果てに見つけた、一つの結論である。
「あんた、相当なやり手だね」
 猜疑心の充足を得たアウロスは、その発言を境に、継続していた警戒心を取り除いた。
「それだけ君を欲しいと言う事だ。その理由がわかるか?」
「……俺の抱える論文が、あんたの研究テーマに極めて重大な影響をもたらす事」
「影響どころではない。君の研究が実戦に適用できると証明されれば、魔術の世界に革命を起こす事になるだろう」
「殆どのお偉いさんは鼻で笑ってたけどね」
 過去の上司の顔を思い返し、アウロスは思わず口の端を吊り上げる。
「君の論文概要を見るだけでは、それも仕方がないだろうな。基本とするところの理論がこれまでの規定観念から余りに逸脱している。しかし私はそこに惹かれた」
 野心が先行した荒削りなものなのか、画期的でありながら確信に満ちたものなのか――――ある程度魔術の知識に富んでいる人間であれば、殆どの論文は概要を見るだけで判断出来る。
 そして、【ヴィオロー魔術大学】でアウロスの研究に下されていた評価は、総じて前者だった。
 それ故に、彼は大学の殆どの教授・助教授から疎んじられ、他の研究員からは影で笑われていた。
「加えて、君の立場や過去の生い立ちは、私にとっていずれ優位に働くと言う算段もある……と言っておこう」
 この言葉には、そう言った背景も含まれている。
 しかし、アウロスはそれ以上のものを感じ取り、思わず苦笑した。
「成程。良く調べてるな」
 どの世界においても情報は重視されるが、研究所のような専門的かつ閉鎖的、加えて権威主義な機関においては、特に大きな力となる。
 よって、助教授クラスであれば、大抵は優良な情報網を所有している。
 ミストはその中にあっても、特に情報を重要と見る人間だった。
「君が得るメリットは多い。今のままでは論文の完成はおろか。実験すらままならないだろう。何より……」
 僅かに開いた扉の隙間から、風の音が漏れ聞こえて来る。
 吹き荒ぶでもなく、押し潰すでもなく、ただ軽やかに、そして滑らかに。
「君を魔術士に出来るのは私だけだ」
「……」
「私は魔力量による規制など、百害あって一利なしと考える。いずれ完全撤廃する事になるだろう。それまで君は基準値スレスレの魔術士として私の元にいれば良い」
 魔力量測定は、厳格な審査を必要とはしない。
 アカデミー入学時に証明書を一枚出せば、それ以降に再検査をするケースなど殆どない。
 そこに悪意や奸智がない限り。
「無論、すぐに返事しろとは言わない。熟考の後……」
「いや、今返答する。10秒くれ」
「……ほう」
 感嘆の声は、自分のスカウト能力に対するものではなく、相手の決断力に対する評価だった。
 暫時の後、アウロスは視線を上げる。
 決意は、静かに。
「……条件が3つある。一つでも呑めなければノー、全て呑めるならイエスだ」
「聞こう」
「一つ。俺の研究の方針に関しては一切、口を挟むな。その代わり、論文の中身は常にオープンにしておく。見切りを付けるのは何時でも構わない」
「あくまで外様として扱えと言う事か。身の振り方を心得ているな。いいだろう」
「……一つ。あんたの所持してる情報網を使用させろ。制限付きで結構だ」
 情報収集は、情報の取り扱いを専門にしている情報屋を介して行う。
 ある程度の身分にある人間は、分野毎に特化された専属の情報屋を独自のネットワークで囲い、常に内外の動きに対して精査を行っている。
 一般人は決して見る事のできない世界を閲覧する事が出来れば、見聞は途方もなく広がって行く。
 研究に関しても、それ以外に関しても。
「乱用しない程度なら許可しよう」
「それで構わない。最後の一つは……」
 アウロスは意図的に間を空けつつ、少々声の音量を落とし、言葉を紡いだ。
「俺を魔術士にしない事」
「……」
 勤めて朗らかにしていたミストの表情に変化は――――ない。
 まるで鉄仮面のように微動だにしない顔は、その意外性を通り越して『あり得ない』要求に対し、余りに奇妙な反応と言える。
「冗談……ではないようだな」
「当然」
 魔術士でなければ、魔術に関する論文になど何の意味もない。
 そこには、それなりに先を見越した意図が潜んでいた。
 だが、理由は述べない。
 これから主従関係を結ぶ人間に対し、肝心の初対面時に底を見せる訳にはいかなかった。
 一方、ミストもその理由について追求はしなかった。
 アウロスの意図を測りかねている現状では、ミストには不利な闘いである。
 ここで深追いして失敗した場合、アウロスの中のミストの心象に影が落ちる。
 利用する側の人間が嘗められるのは、最悪の事態。
 それは避けなければならない。
 ミストはそう心中で納得してみるが、最大の殺し文句を封じられた格好になった事実に変わりはなく、結果的には痛手を負う格好となった。
 恩人としての度合いが半減するだけでなく、警戒心すら引き出されている。
 ミストは、たった一言で立場が逆転しているこの現状に、微かな不安を覚えた。
 自分の野心を扶助すべき存在が、果たして正常に機能するのか――――
「……良いだろう。その条件を全て呑む。私の元へ来い」
 それでも尚、答えは一つだった。
「判断が早いな」
「お前ほどではないがな」
 緊張が緩和する。
 そんな二人の表情とは裏腹に、心の内でかいた汗の量は、双方中々のものだった。
「では、私も幾つか要求しよう。重要事項は正式な手続きを踏まえた後に文章にでもして渡すとして、まずは一つ。最低限のケジメは付けて貰おう」
「心得ています、ミスト助教授」
「……フッ」
 恭しく一礼するアウロスに、ミストは満足気に微笑む。
 それと同時に、半開きだった扉がゆっくりと外の景色を招き入れた。

 ――――斯くして。

 ここに、【ウェンブリー魔術学院大学】の研究員アウロス=エルガーデンが誕生した。



 第1章 " Speller in Cage "


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