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ワシリー公爵は、キャンバスの布をサーッと取り払うと、邪悪な微笑を浮かべた。その顔は、いつの間にか妖しい美形の男の顔に変わっている。
「さあエクリースよ! 明日、そなたを慕う若い女がここにやって来るぞ。見ものだな。コレットはお前も知っていよう。クレア・フォンテーンの孫娘で、リアムの義理の妹。そしてもう一つ付け加えるなら、クレアはエレーヌの嫁ぎ先の妹。
つまり、血は繋がっていないにせよ、コレットはエレーヌの身内なのだよ。ぶははははは。エレーヌはそなたにここに来て欲しかったのかも知れぬな……本心は」
― コレットをどうしようと言うのだ!?
「ははあ、そう来たか。つまりは、そなたもコレットの事が気になっていると見える。初恋に破れはしたが、新たなる恋に墜ちてしまったのかな。どうやらソフィアは、そなたを篭絡できなかったと見えるが、若い者達はいい。まだまだ先があるからな。
けれども、わたしはもう長い間現に居たものの、もう飽きた。わたしよりも美しく、華麗で、そして強い意志を持つ者が現れない限り、わたしは現から逃れられぬのだ。本当は、呪われているのはこのわたしだと言うのに。
そなたは間違っている。そなたは、ただの人間。人間に運命は操れぬ。そして又、人間には、呪われた者などこの世には居ない。全ての者達は、限りがある故に、けれども罪が無い存在なのだ……。分るか、このわたしの苦悩が? 恐らく分るまい。わたしは、昇天することができず、現をずっとさ迷っているのだ」
男の顔には、確かに明らかなる苦痛の表情が現れた。
「わたしは、この数千年、さ迷ってきたのだ。わたしを倒すものが現れない限り。
ああ、そうだ。コレットはアレクセイの生け贄にしよう。あれは最近、血を求めて苦しんでいる。鶏では満足しなくなったようだ。ホンモノの人の血を欲しがっている。ホンモノの、な。先の二人のお小姓達のように。うっふふふふ」
― うっ! あの無垢な娘を、アレクセイの犠牲者にするというのか! ああ、唇が動けるものならば、言葉の限りをもってしてお前を罵ってやるのに! 今のわたしは、何もできない。口惜しい……悔しいぃぃぃ……。
「そうそう、もう一つ言おう。あの娘の義理の兄リアムは、明日火炙りの刑に処されるそうだ。コレットが魔女として本人不在で裁かれ、その身代わりになって、兄が処刑されるのだ。はははははは、これも又見ものだな。あの兄妹には、不幸と言う字が付きまとう。それもこれも、祖先のエレーヌの時からだな。エレーヌはあの一族に、不運を運んで来たのだろうて」
この世ならぬ美しいワシリー公爵は、その綺麗な顔を歪めて嗤った。
「さぞ歯噛みしていようが、お前は何も出来ぬ。それもこれも……おや?」
途中でコンコンと扉を叩く音がして、ワシリーは慌ててエクリースのキャンバスに白い布を被せなおした。けれども、余程慌てていたとみえ、一部エクリースの肩の部分が露出しているのに気付かない。
「誰だ!? イワンか?」
そう問いかける重々しい声の人物は、もう既に気難しい老人のワシリー公爵に変化している。
「はい。実は、アレクセイ様が……」とくぐもったイワンの声がした。ワシリーは戸を開けた。目の前には、執事のイワンが戸惑いの表情を浮かべて、立ち尽くしている。
「どうした、イワン」
「暴れているのでございますよ! アレクセイ様は、突然唸るような声を発し、貴婦人の持つ仔犬に襲い掛かったのでございます! 我ら一同動転し、何とかしてアレクセイ様を押さえつけたのですが……」
「またか!」とワシリーは吠えた。「例の発作だな」
「のようでございます」
「直ぐ行く。全く、アレクセイには困ったものよ。あれでは、安心してロマネフスキー家を任せられぬ」
ワシリーは緋色のガウンを羽織ると、イワンと共に階下に降りて行った。バタンと閉じられた部屋には、三つの白布を掛けられたキャンバスが置かれてあるだけ。ワシリーの部屋には、言い知れない不気味さが漂う。
けれども、その内に灰色のスモークがその部屋全体を少しずつ覆い始めた。そのスモークは、少しだけ出たエクリースの肖像の肩辺りから出ているようだ。やがて、その肩の辺りに、黒い痣が現れ、スモークは煙となって益々部屋中漂い始める。
そしてあと残りの二つのキャンバスも覆い始めた。兄妹達の母二人の肖像画だ。
「閉じ込められているのです……」と微かに声がしたのは、右の方のキャンバス。
「そう。わたしもですわ」と左のキャンバス。
「王子! あなたもまた、生きながらにして、この白いキャンバスに塗り込められているのですね」と、鈴の鳴るような声がした。
「お気の毒に! あの男からは逃れられないのです。けれども、あなたから発するこの煙が、一部の魔法を解いてくれています」
「わたし達、何十年ぶりに声を発することが出来ましたわ! ありがとう、エクリース王子!」
やがて、二つの実体を伴わない幻が現れた。
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