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ワシリー公爵の部屋が、どこか奇妙なことに、エクリースは気付いた。そこには“時”の概念が無いような錯覚に陥る、装飾品の数々が置かれ、時空が歪んでいるような不可思議な眩暈を覚えるのだ。
そこでは、エクリースの持つ銀の時計も、何の効力を発することが出来ないような気がする。事実、時計は押し黙ったままだ。
ワシリーは例によって、布で隠された二つの肖像画の前に座り、直ぐ横にはイワンが居た。
「よく来たな、エリス。わたしに用があるとか」
「はい、そうです」とエクリースは恭しく頭を下げた。ワシリーの鷹のような鋭い視線が、エクリースの心を見透かしたように射抜く。
「単刀直入に言って宜しいでしょうか、ワシリー様」
「何なりと申せ」
「あなたのお二人のお子様ですが……一人はバンパイアの片割れ、もう一人はフェアリーの片割れ。そしてお二人とも、その事に苦しんでおります。そしてあなたを憎んでおられる」
「それはそうかも知れぬ」
「けれども、そうではないのです!」と一際高い声でエクリースは言う。
「そうではないと?」
「はい。彼らは誤解しております」
「ん?」
「……あなたが真の父だと信じ込んでいたようですね、けれども今のあなたはワシリーであって、ワシリーではない!」
この言葉を聞くと、ワシリーの瞼がピクリと動いた。
「何を言っておるのじゃ、お小姓の分際で!?」
「あなたは……別の人間なのです。いや、人間ではない人外かも知れない!」
ワシリーは暫く黙り込み、じっとエクリースを見つめていた。
「何を根拠にそう申すのじゃ」
「この二つの肖像画のことです。あなたは、実はこの奥方達を知らないのです。だから、間違えた! 多分本物のワシリーから聞いたのでしょうが、どちらがどちらなのか、それだけは聞き間違えたか、聞いていなかったのかもしれない。
なぜなら!」
そこで、エクリースは暫し口元をきつく閉じた。ワシリーは黙ったまま、待っている。
「バンパイアの血を持つ物は、アレクセイでありソフィアではなく、ソフィアこそフェアリーだったということ。それをあなたは間違った。実の父なら、絶対に間違わないはず! 毒殺された本物のワシリーに成りすまし、人々を騙してきたあなたとは、一体何物なのです!?」
すると、ワシリーの白っぽい瞳が、段々赤く変わっていくのが分った。ワシリーは歪んだ微笑を浮かべていたが、その微笑もいつの間にかおぞましい嗤いへと変わっていくではないか。
「やはり、そなたは賢い者であったの……エクリース王子!」
「え!? では……」
「王子よ、もちろんわたしはワシリーではない」
「な、なぜわたしの事を王子だと……?」
今度はエクリースの方が驚く番だった。
「わたしに叶う者は何も居ないのだ。時間までも、わたしは自由に動かすことが出来る。事実、お前にはもう分かっているはずだ」
エクリースの目の前に居るのは、老いさらばえた一人の老人ではなく、輝くばかりの美貌の若者だった。けれども、その人物には生き生きとした若さのオーラが感じられない。外見は若者だが、内面はかなり老成したものだった。それは人知では推し量る事のではない、気の遠くなるような長さを示している。
「お前は、デ……」
「言うな!! この白いカンバスを見よ! そこにお前は入るのだ! これからは肖像画として生きよ! わたしごときが、お前を見くびっていたとは!
おお、光の子よ! わたしの存在を邪魔する者よ! この中に入れ!」
― わたしが、光の子? 呪いの王子ではなかったのか!?
そう思ったのは一瞬だった。エクリースは、その白いカンバスに吸い取られていき、遂には一枚の肖像画と化したのだ。それは美しい若者の肖像画へと。手に銀の時計を持ち、哀しみに満ちた表情が痛々しい若者の絵姿。
「愚かな王子よ! 永遠にそこに留まっているがいい! そしてわたしは……お前の王国を潰すのだ!」
ワシリーは高々と哄笑した。そしてその肖像画に、白い布を被せた。
そしてエクリースがその館から居なくなって以来、一年経ったのだった……
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