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本編 (完結済)
2. 侯爵様のいつもと違う朝



 エステルは、とある侯爵家の嫡男と婚約していた。
 しかしその侯爵家は、彼女が女中として勤める侯爵家とは別だ。むしろ、エステルを雇うことになったそこは、彼女の元婚約者にとって宿敵のような存在であり、好敵手ライバル視していた相手である。

 現侯爵は二十三歳だという。ちなみにエステルの元婚約者と年齢も同じだ。それだけではなく、彼女の元婚約者と共に、三年前まで王宮で騎士見習いをしていたらしい。
 これだけ条件が揃って同じならば、比べられることも多かったことだろう。
 さて、そんなかの男の名は、セシル・ラフェーエル・キング。
 騎士きし叙任式じょにんしき直後、侯爵に就任したと風の噂で聞いた。
 容姿についてもなにやら聞いた気もするが、当時、元婚約者しか目に入っていなかったエステルはほとんど覚えていない。唯一覚えているセシルの私生活にまつわる話といえば――華々しいということくらいだ。話術やらなにやらを駆使し、美しい花を次々と摘んでいくらしい。
 それも与太話かもしれないが、注意するに越した事はないだろう。

 以上が、エステルが掴んだセシルの情報である。



***   ***   ***



 キング侯爵邸では、かれこれ半刻近く侯爵の、侯爵による、――ある意味――侯爵のための、謝罪と自己弁護および自白の声が響く。
 床に座りこみ、うんざりした表情で「はぁ、そうですか。もういいですから」と適当に相槌を打つ女中メイドはエステルである。そして彼女と対面し、土下座をしているのは、この邸の主、セシル・ラフェーエル・キングその人だ。
「いや、よくないだろう!? まったくもってよくない! ……あなたは許せるというのか?」
 首を振って淡い金髪を左右に揺らし、睫毛を伏せるセシルは実に麗しいご尊顔。エステルはそんな彼に見惚れつつも嘆息した。
「……やってしまったものは仕方がないのですから、とりあえずは朝の支度だけ終えてほしいと申しているのです」
 謝罪を始めてからどれくらいの時間が経っただろう、と考えたエステルは、まだ残る職務を想像して溜息を呑み込む。――仕事に不慣れなため、余計なことに時間をとられたくなかった。
 だが、そんな思いに反し、なぜか侯爵は頬を染めた。
「っっ!? やってしまったものは仕方がない!?」
 怪訝に思い、エステルが顔を窺いみた瞬間。彼は急に彼女の肩を掴み、見据えた。
「結婚前の淑女の貞操観念がそんなことでどうするんだっ。いや、そうではなく……そのだな、つまり、もっと自分を大切にしてほしいんだ」
「…………はあ?」
 実に真摯な表情であることは読みとれたが、どうにも言動がちんぷんかんぷんで理解するのが難しい。
(なんでこんなことになってるのかしら……)
 迫り上がってくる溜息を再度呑み込み、エステルは皺が深く刻まれた眉間を指でおさえた。そうして、ことの発端を思い返して遠い目をするのだった。


 時は遡ること一刻前。
 それは侯爵家へ来てからの、初めての仕事だった。
 職務は、セシルが顔を洗うための湯を運ぶこと、寝台を整えること。
 ゆえに湯が入った洗面器を抱え、恐れながらも侯爵の部屋へお邪魔したわけだが……。

 エステルはまず、カーテンを開けて日の光を室内に満たした。
 続いて、主を起こさなければならない。
 女主人である前侯爵夫人や家政婦には目通りしていたが、彼に会うのはこれが初めてだった。
 男爵令嬢であるエステルは、元婚約者と共に貴族の社交会などに何度か行った事はあるが、暗黙の了解で好敵手同士のどちらかの家が参加すればもう片方は欠席する、という形がとられていたために、貴族としてセシルに会った事はまだない筈なのだ。
(……まさか、使用人として会うなんて)
 ――世の中は不思議なものだ、と思わず自嘲した。決して、今の身分を卑下してではない。自分がここにいる理由とそれまでの経緯を思ってである。
 白く、フカフカの枕に頭を沈めるセシルを見下ろす。
 彼の容姿を捉えたエステルは、目を大きく見開いた。
 淡い金髪はサラサラと柔らかそうな質感。そして整った顔立ちは男性的というよりも、わずかに繊細さを持ち合わせ、貴公子然としている。白めだが、貧弱に見えるわけではない肌色も彼の美貌を際立たせる。
 なんとなく、劣等感を持つ。纏められた自分の髪を一撫でし、溜息をこぼした。
 銅色の髪と紫色の瞳を持つ自分と比べ、彼が美しい金の髪を持っているだけでも劣等感を抱かせるというのに。端整な顔とは――『天は二物を与えず』と言ったのは一体どこのどいつだ。容姿・地位・権力・財まであれば充分ではないか。
(二物じゃなくて四物だから、あながち嘘じゃないってやつかしら?)
 腕を組んで考えてみたが、不愉快だったので考えるのをやめた。
 すぐに仕事のことを思い出し、そのあどけない寝顔の主を起こすという使命にとりかかる。
「セシル様、朝です。起きてください」
 三拍数える。……応答なし、反応なし。
 今度は少し身体を揺さぶってみることにする。
「セシル様、ご起床してくださいませ。朝でございますよ!」
 語尾も若干強くした。
 すると、主は身じろぎし、のたまった。
「ん……私は低血圧なんだ」
(そんなこといわれても)とエステルは思う。
「セシル様、それでも起きてください。低血圧なのなら、血圧があがるように食事をちゃんととらなければ」
 しかし、あろうことかセシルはいやいやと首をふった。
「……低血圧は美形の理論セオリーなんだ」
「………」
 なんとか無言を貫いたエステルであったが、(なんだそれは)と顔が盛大に引き攣る。美形だと自覚していることに文句はなかったが、彼の理論セオリーには文句をつけたい。
 少し考える。
(へこたれちゃダメだわ。こんなことで初任務を失敗に終わらせてなるものですか)
 任務完遂を心に決め、再度セシルを揺さぶった。大きめに揺さぶれば起きる筈だ。
「起ーきーてーくーだーさーいーっ」
 しかしながら、いくら貴公子然とした容姿であっても、体重は一人前の男。揺さぶるにもエステルの体力は大幅に消耗していった。ぜぇはぁ、と呼吸を肩ですると、ついで布団をはぐ作戦にでる。
 ――結果。
 エステルは手首を掴まれた。
「……なんですか?」
「寒い……」
 いまだ眠っているような声音だった。会話をすれば目が覚めると思ったエステルは、そのまま促す。
「起きればあたたかくなりますよ。暖炉に火もくべてあります」
「……あなたが温めてよ」
 突如、エステルの視界は反転した。
 状況が呑み込めない。が、なぜか主の顔が目前にあることだけはわかる。
(う、動けない)
 背中になにかが巻きつき、身動きがうまくとれなかった。目を数度瞬き、冷静になると――エステルの顔は真っ赤に染まる。
(ななななな!?)
 混乱したため、言葉にならなかった。
 現在、エステルがいるのはセシルの腕の中。
 そのセシルは寝台のシーツと羽根布団の間で再び夢の中。
(寝台の上に男女でいるなんてっ)
 元婚約者ともしたことがない。
 頭に血がのぼり、動悸がする。考えがまとまらない自分を叱咤しながら、状況の改善をはかろうと思考する。
 けれど、エステルの正常ではない頭ではうまい策が浮かぶはずもない。
 首にかかる彼の吐息にくすぐったさを感じ、唇を噛むことでやり過ごす。
 身を強張らせたまま――どれくらいそうしていただろうか。
 ようやくエステルは解放される機会を得る。
「ん……」と目を覚ます気配を見せたセシル。いつもと違う感覚に気づいたのか、首をわずかに傾げて眠気眼を違和感へと向けた。
「…………。――――っっ!?」
 瞠目し、硬直する主。
 その真正面でエステルは耳まで赤くし、涙を浮かべた上目づかいで恨みがましく睨めつけた。彼は仮にもこの邸の主。間違っても怒鳴ったりしてはいけない。……いけない、筈。
(これくらいで、クビになるわけにはいかないもの)
 もとより、華々しいという噂を聞いてなお、決めたことなのだ。
 だから、主にむける言葉は恨み辛みを込めながらも、この場にふさわしいものを選ぶ。
「お、おはようございます! セシル様っっ」
 表情は朝の爽やかな挨拶に反しているだろうが、よくがんばった、と自画自賛してみる。

 その直後だった。
 寝台からおりたエステルに続き、床に足をつけた侯爵。そして彼は突然、床に正座した。
 エステルが蹲ったのかと思い、わずかに心配して同じように腰をおろす。――手を差し出そうとした時。
 彼は土下座した。床に手をつき、額が床につくのではないかと思うくらい深く、それはそれは見事な土下座を。
 呆気にとられたのも束の間、セシルは謝罪と自己弁護および自白をはじめたのである。


 そうして現在に至るわけだが――。
「本気でやろうと思ったわけではないんだ」
 セシルの謎の告白に、エステルは一瞬言葉を失う。
(やろう、ってなにを!?)
 思わず、心中で侯爵の発言を突っ込んだ。けれど言葉では平静を装う。
「別に、気にしておりませんので」
 彼女の言葉に、今度はセシルが不満そうに小さな声で呟く。
「少しくらい、気にしてくれても……」
 落ち込むような、やさぐれたような素振りを見せるが、自分のしてしまったことを後悔しているのか、もう一度謝った。
「本当に、すまないことをしたと……」
 まるで捨てられた仔犬のような主の姿に、絆されるように怒りを忘れたエステルは、手を伸ばして彼の両頬をひっぱった。
「…………」
 眉を寄せながら顔をあげるセシルに、苦笑を向ける。
「これで許しましょう」
「……ほんひょうに、いいのひゃ?」
 頬をひっぱられているため、美形なのに阿呆面なセシルを見て、エステルは笑ってしまった。
 それに安堵したのか、セシルも笑った。
 空気が和やかになった頃、セシルは自分の両頬を優しくつねる手に自分のものを重ねた。
 エステルはわずかに動揺し、息を詰める。
 大きな手に包み込まれた手は、彼の頬からはずされ、握られていた。
「最後にもう一回、謝らせてほしい。寝台にひっぱりこんで、ごめん」
 今までとは違う甘い微笑に、エステルは口をひき結んで頬を染めた。真摯に見つめてくる翠の瞳に、鼓動は早鐘を打つ。
(華々しい生活とやらの秘訣はこれね……)
 妙に納得して困惑しながら、精一杯「……どういたしまして」と返す。なにもないように笑えていたらいいと、思った。
 セシルは朝の支度をはじめようと腰をあげ、エステルの手をひく。
 その時だった。
「……あ」
 セシルは間の抜けた声を発する。そんな彼は、なぜか扉の方を見て、引き攣った顔をしていた。
「……? どうかなさいまし……あ」
 エステルが扉へと視線をむけると、そこには先輩女中が口を開けて立っていたのだ。
 嫌な予感がした。
 手に手を取り合った主と女中、つまりは男女。先ほどの言葉のやりとりを思い出し、余計に嫌な汗が背筋を伝う。
「あの……誤解です」
 なにか言われたわけでもないが、エステルは先輩女中の思考を予想し、否定する。
 だが、彼女は目を細め、生あたたかい視線を向けたまま静かに扉を閉じた。
 再度の嫌な予感。
「あの……セシル様、どうしましょう」
「そ、そうだな――多分、大丈夫だと思うが。……多分、多分、な?」
 一体なにが大丈夫なのか。しかも彼は確信が持てない、と遠まわしに言っている。
 エステルは頭が痛くなった。
(が、がんばれ、私)
 黄昏たくなった自分に、気合をいれてやり過ごす。

 ――決めたことが、ある。
 だから、ここから追い出されるわけにはいかないのだ。


 そして、その予感があたったと知るのは、侯爵の部屋を出てすぐのことだった。




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