メイドは今日も主人を全力でお守りする
『メイドは今日も主人を全力でお守りする』
名門貴族、ローランド家。
その子息、ルイス・ローランドを護るのが特殊護衛のメアリーの役目だ。
ルイスがなるべく普通の生活を送ることを希望したので、メアリーは黒ずくめスーツではなく、いつもそばでお仕えするメイドを装っている。
そしてこのメアリーはルイスにぞっこんだった。
「坊ちゃまー! 足元に水たまりがあります! お気をつけくださいませー!」
「……わかってる」
ルイスはまだ11歳と幼いが、美しく賢い少年だった。
メアリーがいなくても一人で十分やっていける器量をもっていたが、一応は名門の名を持つ身として、従者をつけないわけにもいかない。
「昨日はたくさん雨が降りましたものねぇ。あちこちに大きな水たまりがあって危ないです。わたくしがおんぶいたしましょうか?」
「いい」
はらはらしながらも、顔を赤らめて興奮しているメアリーをルイスはサラッと流す。
一番危ないのはコイツではないだろうか。
「坊ちゃま! 前方に猫がいます! お気をつけくださいませ」
「ただの猫だろ。首輪もつけてる」
「いけません! あの首輪に爆弾を仕込ませて、坊ちゃんに近づいてきた瞬間、ドカン! ということも考えられます!」
「考えすぎだろう」
「何を仰っているのですか! 坊ちゃまはいつでも狙われるご身分なんですよ! まあ、どんなことがありましても、わたくしがお守りしますけどね!」
そう言うと猫に向かって「うおぉぉぉ~」と突進して行った。
とち狂った人間が自分に向かってきて、猫は驚いて逃げて行った。いい迷惑である。
ルイスは、はあ、とため息をはいた。
その時、声をかけられた。
「すみません。道を聞きたいんだけど、君に聞いてもいいかな?」
訊ねてきたのはスーツ姿の青年だった。
手には地図らしき紙が握られている。
「ええ。僕にわかることなら。どこに行きたいのですか」
ルイスは差し出された地図を覗きこもうとした瞬間、ヒュッと小さな風の音を聞いた。
――――男の喉元には小型ナイフが当てがわれていた。
やったのは勿論メアリー。青年は恐怖で固まっていた。
「お静かに。この方にどのようなご用件で」
鋭い視線と低い声に、青年は歯をガチガチ鳴らす。
「あ、ああ、あの、道に迷って、それで教えてほしくて……」
「メアリー……」
ルイスが呆れた声をあげた。
「その人は、この辺のひとじゃない。アクセントが違うだろう。乱暴なことをするな」
「坊ちゃま! たった一言でそのようなことを見極められるなんて……っ! さすがですわ!」
咎められもなんのその、メアリーは感動しながら持っていたナイフをブンブンふった。危ない。青年が「ヒィ~」と悲鳴をあげた。
目的地の行きかたを説明すると、青年はお礼をいいながらも脱兎のごとく走って行ってしまった。
気の毒なことをしてしまった。
街の中を歩いていると、知り合いに遭遇する。
「ルイス!」
声をかけてきたのは、新人新聞記者のトーマスだった。
「おー、メアリーも一緒か」
「トーマス、仕事か?」
「まあね、ここの所、さっぱりネタがなくてね」
平和なことはいいけどな~でもなぁこのままだとクビだ~と、トーマスはぼやく。
ルイスは気さくに話しかけてくれるトーマスが好きだった。
だがいい顔をしないのが、メアリー。トーマスをキッと見据えている。
「トーマスさん、あまり気軽にルイス様にお話しかけないでください。どうぞ、ご身分をお考えくださいませ」
「なに言ってんだよ。ルイスはまだガキんちょだぞ。メアリーは気にしすぎなんだよ」
「礼節をわきまえなさい、と申し上げているのです」
「また、堅苦しいことを。メアリーはいっつも眉間に皺を寄せているな。美人なのにもったいないぜ」
「トーマスさん、わたくしのお話を聞いておりまして……?」
眉をピクピクつりあげるメアリー。今にもナイフを取り出しそうだ。
ルイスが声をかけた。
「トーマス。僕は全然気にしない。これからも楽に接してくれ」
「さすが、ルイス! おまえは話がわかる男だ」
そう言ってポン、とルイスの頭をなでると軽い足取りで去って行った。
カッとメアリーの瞳が開眼した。そしてワナワナと全身を震わせる。
「……あの、無礼クソ野郎ぅ~。身分の高い坊ちゃまの頭を薄汚い手で触るとは~。許さない。絶対に許さない。わたしだって、まだ触ったことないのにぃ~」
最後は主観丸出しだ。今度こそ本当にナイフが出そうだ。
メアリーはスカートをまくると、レッグ・ホルスターに仕込んだ小型銃をにぎる。そっちか。
「あいつ殺りましょう」
「やめろ」
ルイスは却下した。
たかだか街に歩きで来るだけで一苦労だ。
「ルイス様、本日はどうして馬車を使われないのですか」
「今日は散歩という名目で出てきている」
「なるほど。散歩意外に目的がおありなのですね」
鋭い。このシークレットサービスの感は悪くない。腕も。
「……父の、誕生日プレゼントを買いにいく」
「……坊ちゃま……」
もうすぐ、ローランド家当主、ルイスの父の誕生日だ。
こっそり用意して、父を喜ばせたいと思ったのだ。
「行くところは、高級洋酒店だ。でも僕は酒がまだ飲めない。……だから、頼む」
酒選びのエスコートをしろ、と。伏し目がちに照れたその表情に、メアリーの心は完全に持っていかれた。
「もちろんですっ。もちろんですっ! 例え戦場だろうと、地獄だろうと、このメアリー、どこまでもお供いたします!」
「行くのは洋酒店だ。それから鼻血でてるぞ」
騒々しいメイドにルイスはまた、ため息をはいた。
その時、大きな馬車馬が二人の横を勢いよく通りすぎた。
地面には水たまり。大きな水しぶきがあがる。
降りかかる水を想定してルイスは目をつむった。
だが、いつまでたっても冷たい感触はなかった。
ルイスは目を開ける。
目の間には全身ずぶ濡れのメアリー。
メアリーがルイスをかばったのだ。
「ルイス様、濡れていませんか?」
「……ああ、大丈夫」
「それはよかったです!」
そういってにっこり笑うメイド。
ルイスは目を見開いた。……このメイドは本当に……。
そして心の中でそっと思う。――――本当によくできたメイドだと。
「さあ、旦那様のプレゼント探しに参りましょう!」
水を滴らせながら、先を促すメアリーにルイスは小さく笑った。
「その前に、おまえの服だろう」
小さな主人の笑顔と言葉に、再びメアリーが鼻血を出したのは言うまでもない。