<第十章>荒れた村
老人と行動を共にするようにしてから一週間が経った。
幾度と繰り返された訓練と言う名の召喚獣討伐によって、大分黒霧の力は使いこなせるようになっている。一般常識についてもある程度の知識を得たカヲルは、食料の補給という名目で付近の村へと買出しに行くところだった。
生い茂る木々や草の合間を抜け、風のように突き進む。
「久しぶりの外だな」
この数日間はずっとあの洞窟の中に篭りっぱなしだった。涼しい外の風を全身に浴び、まるで空気のプールに入ったような心地よさを感じた。
帰ることが出来ないと聞いたときはショックだったが、過ぎたことをいつまで考えても意味はない。自分はとてつもない力を得た。この力があれば、この世界での生存競争に苦労することはないはずだ。何だか漫画の主人公になったような気がして、その力を得たという嬉しさがカヲルの持つ望郷の念を薄めていた。
「――ん?」
人間の走る三倍ほどの速度で、黒い霧の帯を纏いながら滑走していたカヲルは、前方に動く影を見つけた。オレンジ色に近い茶色の服を着ている、中学生ほどの女の子だ。薬草の採取でもしていたのか、その腕には木の実や見慣れない草が詰まった籠が抱えられていた。
――丁度いい。あの子に村の場所を聞くか。アベルじいさんの話じゃ曖昧すぎて詳しい位置が分かんなかったし。
半身を霧化させたままでは驚かせると、カヲルは纏っていた黒霧を消し、移動手段を徒歩に変更した。しかしそのまま近付こうとしたところで予期せぬ事態が起こった。
丁度彼女を挟んで自分と反対の位置に、ワニと猫を足したような魔物が出現したのだ。漆黒の老人、アベルの「授業」を思い出す。それはバウンファングと呼ばれている魔物だった。
このままでは彼女が危ない。カヲルは舌打ちすると、再び体の半分を霧状に変え、先ほどよりもさらに早い速度で彼女に向って高速で飛んだ。
「きゃあ!?」
魔物に気がついたのか、少女は肩を跳ね上がらせて叫び声を漏らす。勢い余ってそのまま尻を地面にぶつけた。
獲物の動きが止まったことを確認したバウンファングは、粘り気のある涎を撒き散らしながら血走った目で少女に襲い掛かる。あまりこの付近に魔物はいないのか、少女はありえないものを見るようにバウンファングを呆然と見上げ、叫び声を放つこともなく目を見開いた。
――危ない!
カヲルは滑空していた勢いのまま、今にも少女に歯をつき立てようとしている魔物の懐に飛び込んだ。接触する直前黒霧を消し、少女の視界に入らない範囲で硬化させた黒い霧の爪を相手の腹に叩き込む。
「ギュォオァアァアッ!?」
突然真横から内臓を貫かれたバウンファングは、完全に無防備のまま空中で逆方向へと押し返された。ゴロゴロと遠のくその亡骸を冷たい目で眺め、死を確認すると、カヲルは硬化させていた黒い霧の爪を拳から消し、少女のほうへ向き直った。
「大丈夫?」
震える彼女に向って微笑みかける。黒霧の力は視界に入らないようにした。きっとナイフか何かで殺したように見えたはずだ。アベルから力を使うと魔物だと勘違いされるのだとレクチャーされていたカヲルは、自分の行動に満足し、そっと手を差し伸べた。
「あ、ありがとうございます」
少女はこちらの手をつかむと、恐る恐るといった様子で立ち上がった。
「あまり一人で出歩かないほうがいいよ。最近は王国の近くにも魔物が出るようになっているから。君はこの近くの村の人?」
「は、はい。まさかこんな場所にまで魔物が出るなんて……今までは殆ど居なかったのに」
「とある事情で別の森に居た魔物が拡散しているんだ。今度から用心したほうがいい」
その原因が自分だとは言えず、カヲルはどこか他人事のような調子を作った。
「なあ、君ってこの近くの村の人? 俺ちょうど村を探してたんだ。よかったら案内してくれない?」
「え? 私の村ですか? でも……」
「別に怪しい者じゃない。ちょっと食料を買いたくて。用事が済んだらすぐに帰るよ」
そういうと、しばしの間のあとに少女はどこか遠慮気に答えた。
「大したものはありませんが、それでよければ」
「ああ、ありがとう。別に豪華なものなんかいらないから。パンや野菜がいくらかあればそれでいいんだ」
カヲルは明るく答えたが、それを聞いた少女の表情は何故か曇った。金髪と茶髪の中間のようん、短い髪の奥にその目が隠れる。
「と、取り合えず案内しますね。こっちです」
貧しい村なのだろうか。本当にもうしわけなさそうに作り笑いを浮かべると、少女はそのまま歩き出した。何だか変な感じがしたが、別に彼女に敵意は感じられない。カヲルは怪訝に思いながらもそのあとについていった。
何故少女の顔が暗かったのかは、村に踏み込んだ瞬間すぐに分かった。思わず息を呑む。
枯れた農作物。やせ細った家畜。あたり構わず散らばっている動物や人の死骸。
どう見ても、わけありな雰囲気が漂っている。
先へ進んでいく彼女の小さな背を視界の端で捕らえつつ、カヲルは「あれ? これって何か巻き込まれるパターン?」と嫌な予感がした。
「ここが私の家です。どうぞあがって下さい」
一軒の、いや、ひとつの木片の塊を前にして、少女はそう言い放った。
――え、家? これが? これってただの廃墟じゃないの? どう見ても人が住めそうにはないんだけど。
「すいません。こんな汚い場所には入りたくないですよね。ちょっと待っていてください」
その沈黙を悪い意味で捉えたらしい。少女は申し訳無さそうに謝ると、その廃墟の中へと入った。
「え、俺は別に――」
慌てて声をかけようとしたが、既にその姿は無い。カヲルは溜息を吐くと、周りを見渡した。どうやらこの惨状は彼女の家だけではないようだ。村の中にある殆どの家が、同じような有様だった。魔物にでも襲撃されたのだろうか。
外を歩いている村人の姿は殆ど無く、たまに目に入る人もまるで暴漢にあった直後のようにボロボロの服を着ていた。
暖簾のような玄関を潜り少女が戻って来る。先ほどは分からなかったが、彼女の服はオレンジに近い茶色の服ではなく、元々オレンジ色だったものが汚れに汚れて茶色に変色してしまっただけのようだ。彼女はおずおずと何かを両手で差し出した。
「すいません。お待たせしました。こんなものしかありませんが、宜しいでしょうか?」
それはカビ塗れの謎の物体だった。外観から辛うじて判断するに、もしかしたら元々は「パン」と呼ばれていた存在なのかもしれない。
「こ、これは何?」
もしかしたらこの世界にある独特な食べ物なのかと思い、カヲルは一応聞いてみた。すると、彼女は本当に申し訳なさそうに謝った。
「ご、ごめんなさい。今うちにある食べ物はこれだけなんです。あと渡せるものといったら……」
「ああっ!パ、パンね! いや、俺最近食べてなかったから気づけなかったよ。そうか、パンなんて久しぶりだな~。ありがとう」
物凄く暗い雰囲気になりそうだったので、咄嗟にカヲルは気を利かせて明るく笑った。だが、その笑みがあまりにも不自然だったため、すぐに少女に本心を見抜かれた。
「無理をしなくてもいいですよ。そうですよね。そんなの、どう見てもパンには見えないですもんね。私だって、いきなりそれを差し出されたら困りますもん」
カヲルの手からパンという名の物体を取り、腕の中に戻す。口とは裏腹にとても大事そうにそれを抱えた。
「……一体何があったんだ。何でこの村はこんなに荒れているんだ? どこの村もこんな感じなの?」
アベルから王都は裕福で食べ物や娯楽品に満ちた場所と聞いていた。もしかしたらその反動で高い納税でも強いられているのかと考えたのだ。
「他の村のことはよく分かりません。私、この一帯から出たことはないですし。でも、多分ここほど酷くは無いんでしょうね」
どこか諦めがちに顔を伏せると、少女は潤んだ目をこちらに向けた。
「今この村は『野風の一党』という集団に襲われているんです。奴らはみんな剛族ですから、私たちにはどうしようもなくて」
――剛族?
剛族といえば、肉体戦闘に特化した肉達磨のような種族のことだ。洞窟内に置かれている本でみた絵の知識から、それが普通の人間族では叶わないらしきことは何となく知っていた。
「王都の守備兵に救援の申し出を頼んだりもしたのですが、忙しいの一点張りで助けてもらえず、民間守護会の支部もここからは遠すぎます。だからもう奴らの言いなりになるしかなくて。最初のうちは村に住んでいた妖族の青年たちが頑張って退けたりしていたのですが、相手は多数です。たとえ魔法が使えようとも、数には勝てません。彼らもつい五日前に殺されてしまいました」
「妖族って……あの皮膚が赤っぽくて、体に蛇や蔓がのたくってるような模様がある種族? 魔法に強いんだっけ」
「はい……そうですけど?」
少女は何を当たり前なことを聞いているのと変な顔をした。白人って、皮膚が白っぽくて骨格がごっついんだっけ? と日本で聞いているのと同じだ。彼女に怪しまれるのは当たり前だろう。カヲルはゴホンと咳をして話を戻した。
「じゃあ今はその集団の襲撃をただ黙って耐えるしかないってこと? だから村が荒れてるのか」
「仕方が無いんです。戦える男たちは皆殺されましたし、歯向かった者も全員奴隷として連れて行かれました。隠れるしか、もう私たちに生き残る術はないでしょ?」
どうやらこの村に食料が無いのは、その野風の一党とやらが根こそぎ奪ってっているからのようだ。カヲルは困った。このままでは自分たちの食べ物がない。王都へ行けば手に入るだろうが、かといってこのままこの娘を見捨てるのも忍びない。その剛族は酷すぎる。自分たちの好き勝手に食料を奪い、村人や家畜を殺す。こんなボロ小屋に一人で済んでいるということは、きっと彼女の家族も既にこの世にはいないのだろう。まだ中学生ほどの歳なのに、可哀想だと思った。
大変不本意ながら、自分にはあらゆる物理攻撃を無効化する黒霧という力がある。自分ならばそんな野盗の集団など簡単に壊滅させられる。いつもならば同情するだけで終わっていたかもしれない。だが、今の自分には彼女たちを救える能力が、力があるのだ。カヲルはその剛族の集団に興味を持った。
――アベルじいさんの洞窟で戦いの基本はある程度学んだしな。この力があれば絶対に俺負けないし……。しょうがない。買い物のついでにいっちょその暴漢たちを懲らしめてやるか。
体に流れる魔の力を確かめる。それは獲物を求めるようにカヲルの感情と呼応して蠢いた。
「あのさ、君名前は?」
「え、シノンですけど」
「じゃあ、シノン。その野風の一党、だっけ? そいつらを俺がやっつけてやるよ。そしたら改めて奇麗なパンを貰うけど、それでいい?」
「やっつける? あなたが?」
カヲルはどうみてもそこら辺にいる普通の少年である。白い髪に見慣れない赤い瞳をしていたが、赤い瞳自体は別に物凄く珍しいものでもない。心配になったのか、シノンは声を荒げた。
「無茶です! 二十人以上の剛族が居るんですよ。あなたなんかが叶うわけがない」
「心配すんなよ。さっき君を助けたのは俺だろ。こう見えても腕には自信があるんだ。大丈夫。数時間後には奴らが奪ったもん全部取り返してきてやるさ」
屈託のない笑顔を彼女に向ける。だがそれでもシノンはカヲルを止めようとした。
「駄目です。私たちの所為であなたにもしものことがあったら――」
本当に心配そうに、まるでカヲルがただのか弱い少年だとでも言うように。
だがカヲルは何のためらいもなく、何の遠慮もなく、力強く言い放った。
「もしものことなんてないさ。俺は、『化物』だから」
敵を倒すにはまずその居場所が分からなければ始まらない。カヲルはまず村人に野風の一党について聞くことにした。手当たり次第に付近の家をあたる。
疲れきった顔の中年女性や――
「あの、野風の一党について聞きたいんですけど……」
「の、野風!? 何? また来たの!? どこ、どこなのよ!?」
今にも死にそうな老人。
「野風の一党のアジトって……」
「あん? 何だって? 野グソ? さっきしたわい。たらふく草くったからな。もうお腹の中がたっぷたっぷでな」
あらん方向を見て独り言を呟いている若者など――
「の、野風の一党について聞きたいんですけど……」
「みんな死ぬんだ……もう俺たちはお終いなんだ。いひひひ、お前も一緒に行くかぁあ? いひひひひ! 天国の扉が僕たちを待っている!」
ありとあらゆる人に根気良く尋ねたが、全く有益な情報は手に入らなかった。シノンの家の前に戻り、大きな溜息を吐く。
「駄目だこりゃ。みんな恐怖が先走ってまともに奴らのことを知ろうとしてない。もう、こうなりゃ自分で探すしかねえのかな」
声が聞こえたのか、暖簾の下からシノンが出てきた。
「それだけあいつらが恐ろしいってことなんですよ。あなたも馬鹿な真似はしないで逃げたほうがいいです。元々何の関係もないんですから」
「そういうわけにもいかないだろ。一応俺の住んでいる場所の近所問題なんだし。これからのことを考えると、俺にとってもそいつらは邪魔なんだ。シノンはあいつらについて何か知らないの?」
「森に住んでいるってことしか……襲撃が行われているときはいっつも家の奥に隠れてますし。あ、でも毎回北の方から雄叫びが聞こえてくるから向こうにアジトがあるのかも」
「北か」
この村の北には小さな山がある。確かにあそこならば大勢の人間が潜むには最適だろう。カヲルはとりあえずその山を探索してみようと思った。
武器を持ちもせず、そのまま北の方へ体の向きを変える。
「あ、あの……」
「ん? 何?」
「お名前を教えてもらってもいいですか?」
シノンについては色々と聞いたものの、カヲルは自分のことを何一つ話してはいない。もしカヲルが野風の一党に殺されれば、その正体も存在も何一つ分からないままで終わる。何だかもう遭えないかのように、シノンは尋ねた。
――名前……カヲルって名前じゃこの世界では不自然なんだよな。何だかいまいち良く分からないけど、アベルじいさんは王国に俺の存在が知られると不味い事になるっていってたし。
既に一度、自分はあの実験のときに死んだようなものだ。元の世界の思い出を失わないために、またあの世界でその名を使うときのために、カヲルはこの世界における自分の呼び名をカウルという呼称に変えることを決意した。元々はアベルがただ聞き間違えただけの呼び名だったが、何だかかっこいい感じがして気に入っていたのだ。
まるで神埼カヲルと自分は別人だとでも認識するかのごとく、『カウル』は己の名前を名乗った。
「――……カウルだ。苗字はないから、普通にカウルって呼べばいいよ」
「カウルさん。気をつけて下さい。私も一度しか見たことがありませんが、やつらの頭領は剛族にもかかわらず魔法が使えます。もし、出会ったらすぐに逃げて下さいね。絶対に無理をしないで下さい」
「分かってる。危なかったらすぐに帰るさ。別におれは聖人君子でも何でもないんだ。自分の命が一番大事なのは、当然だからな」
そう、野風の一党を倒そうと考えたのも、自分が絶対に負けないと知っていたからだ。この力がなければ決して立ち向かおうとはしていない。
楽勝さ! とシノンに声をかけ、カウルは山へと向って歩き出した。
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