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見上げた星空
作:灯夜


 最後の上り坂、ペダルをこぐ足に力を込めた。額を流れる汗、Yシャツが背中に張り付く。その丘を越えれば、夏の日差しの下で、輝く向日葵並木が続いている。
 熱い風の中、ただ駆け抜けていく。
「いたいた」
 結った長い髪、この日差しの中でも背筋を伸ばしてきっかりと着こなしたセーラー服。こんな凛とした後姿を、僕は他に知らない。
「部長! 時間には正確ですね」
 背中から回り込んで、自転車を急停車させた。
 少しだけ風に舞うスカート、目を大きく瞬かせる先輩。
「もう……、馬鹿!」
 呆れ顔で溜息を吐いてから、いつものクールな顔でそう言った。
(やりすぎたかな?)
 ちょっと生真面目な先輩には、お気に召さなかったらしい。
「荷物、かごに入れてよ」
 僕は自転車から降りて言った。そして二人は学校に向かって歩き出す。

 二人っきりの天文部の夏休み合宿。男女でしかも二人きり、普通中止かなと思ったけど、特に誰にも反対されずに当日を迎えていた。屋上に一泊だけだし、僕が気にしすぎなのかもしれない。
 でも――、一方的にドキドキしているのは、不公平だと思う。その涼しげな横顔で、隣を歩く僕の事を、どう思っているのだろう?


 たどり着いた昼の学校では、運動部の掛け声が聞こえて来る。時計はもう四時を指しているのに、屋上から見下ろす肯定には、白いユニフォームの野球部が所狭しと動き回っていた。
 資料室から持ってきた、大型の望遠鏡を調整している先輩。整った顔は少し冷たい印象を与えているけど、綺麗……だと思う。
 ただ、それなりの時間を共に過ごして来たけど、先輩が誰かと親しくしている所を見た事が無いのが少し気になる。クールではあるけれど、取っつき難いって程じゃないと思うんだけどな。

 ――この高校には、転校で来た僕。元々転校経験は豊富だったし、群れなくても平気だったから人付き合いなんて煩わしさとは無縁の日々を過ごしていた。
 ちょっと強引な先輩に天文部に勧誘され、そのまま入部するまでは……。いつもクールな先輩が見せた強引な所と、入部届けを書いた時の嬉しそうな表情がいつまでも瞳に焼き付いている。

 でも、その後は何も無かった。先輩を知ろうにも隔たりは意外と広く、友人無しで生来の話下手でもあった僕には、知る術は無い。
(この合宿で二人の仲が進展するといいな)
 そんな事を考えながら、けれどあまり会話も無く準備は進んでいった。


「スイフト・タットル周期彗星?」
「そう、知らないの?」
 まだ星は出ていないけれど、良い夕焼けが広がっている。準備を終えて、訪れたのは少しだけ手持ち無沙汰な時間。
「……知らないですよ」
「ペルセウス座流星群は知ってるのに?」
 顔はいつもと変わらないのに、少し悪戯っ子な感じで楽しそう。
「いや、そっちは夏休み中だし、メジャーな」
「その流星の元になってる彗星」
 僕の言葉を遮って、したり顔で講義を始める先輩。
「いい? 流星群ってのは、彗星とかの尻尾の部分に地球が入った時や、小惑星帯を移動するときに見られるの。ナントカ座とか名前に付いているのは、あくまで見える位置の星座からとっただけなのよ」
「その星座の方から、星が地球に向かって星が来てるのかと思ってた」
「バカ、卒業出来なくなるわよ」
「酷いですよ」
 ゆっくりと流れる幸せな時間、その中でどこか二人の距離も、いつもより近く感じていた。
「先輩の事、教えてくれませんか?」
 考えるとか、言葉を選ぶより先に、口をついて出た言葉。
 真実が聞けるかもって期待しなかったと言えば嘘になる、でも、いつもみたいにかわされると思っていた。
「家族はいないのよ。円満とはお世辞にも言えない家庭で、生まれてしまった子供なんてやっかまれるだけ」
 特に表情を変えずに、先輩は語り始めた。
「一番昔の私の記憶の中、その時からすでに両親はケンカしていたの。誰も何も教えてくれないから、いまだにはっきりした理由はわからないけどね。でも、もうそれも関係ないもうすぐあの人たちは離婚する」
 こんなにあっさりと話してくれた事が意外すぎてまだ理解が追いつかない。
 ただ、言葉よりも、そこにある空気が鈍い痛みを伴っていた。
「皆とはお互いに育ってきた環境が違いすぎるから……だから私は、一人で強くあろうとしているの。知らないのは、数年前にこちらに来たあなたぐらいよ」
「僕は、特別?」
「そう……かも、しれないね」
 言葉を租借する僕の顔は、よほど強張っていたのか、先輩は僕の頬に触れて顎のラインを指でなぞった。
「時々は弱くなってしまう事もあるんだ、普段話さないって事は何かあるって事なのだから、不用意に聞いちゃ駄目よ」
 最後にその指で、ツンと頬を押して離れていく。
「迷惑だったかな?」
 優しいけど寂しい笑顔で、先輩はそう問いかけてきた。
「違います、すごく嬉しかったんです。でも今の話で……先輩の気持ちを誤解して捉えているかもしれなくて……」
「一人で過ごすのはとても辛い事なんだ、君は私の事なんにも知らなくて、だからこそ自然にすごせた事は初めてで、楽しかった」
 話終えた先輩は一滴だけ涙を落とした。
「綺麗」
 先輩の言葉で空を見上げる。
「天の川」
 星達で彩られた夜空、光の道が横切っている。
 何か言いたかった。
 でも何も思いつかなくて、そっと抱き寄せた。
「雰囲気に流されると、きっと後悔するよ」
 なぜ、なんて聞かれれば困る。
 ただ、気が付けば自然と体が動いていた。
 同情とか、哀れみとか、そういったものはゼロじゃないと思うけど、ただそれだけによって抱きしめた訳でも無かった。
 いつも一人でまっすぐに歩いていた先輩、その凛とした強さ、近くに居なければ気付けなかった事、内に秘められた孤独。
 理由はわからない。
 でも、彼女を抱きしめている事が暖かで、切ないようないろんな気持ちを呼び起こす。

 ただ――、離したくなかった。

 自分とは違う早鐘を打つ鼓動に後押しされ、僕は抱きしめた腕に力を込めた。
「意地悪、いたいけな後輩にこんな事言わせるかなぁ」
 胸に押し付けた彼女の顔は見えないけど……。
「好きだよ、真理子」
 上目遣いに見上げてきた真理子は、とびっきりの笑顔だった。


「今年は当たり年だったみたいね」
「はい?」
 夜の帳が下りて、空に輝くのは、消えそうに細った月と流星雨。
 残っている、通じた心の余韻。
「流星群、光も強いし、数も例年より多いみたい」
「そっち、ね」
「?」
「いや、そこで、僕と出会えたから、とか言ってくれるのかと……」
 クスリと笑った真理子に、眉間を押されて少し仰け反った僕。
「好きだけど……ませた事言うなんて、十年早い」
 夜空を走る無数の流れ星。
 でも、唱えるべき願いなんて、持ち合わせていなかった。
 僕達はこれから、二人のペースで時を刻んで行くのだから。














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