ドラキュラが笑ってる・1
目の前には、ナイフ。
刃先は鋭く尖って、月明かりに反射した光が、やけに神々しい。
深夜3時。暗い部屋。あたしは、何度となく見たそれを、手首に押し当てて、思いとどまった。
あたしの手首には、無数の傷跡。
もう、何度、こんなことをしてきたのか、自分でもわからないくらいの、おびただしい傷跡。
これを見ると、本当に、こんなこと、やってもしょうがない、って気分にはなる。
でも、止まらない。あたしの衝動が、止まらない。
もう嫌、だった。
生きてるのが嫌。いろいろ悩むのが嫌。学校に行くのが嫌。建前ばっかり言う親が嫌。先生が嫌。アイツラが嫌。
何もかもが、嫌なの。
「おい、どうせなら、その血、俺にくれ」
唐突すぎの、少年の声。
えっ、っと思って窓を見た。
ガラガラガラ。ベランダの窓を開いて、その少年は、あたしの部屋に入ってきた。
「な・・・え・・・?」
事態が理解できない。
「っていうか、どうせ死ぬなら、俺に首、噛ませてくれない?」
その少年は、あどけなさが残っているけど、あたしと同い年くらいに見えた。
叫びたいという思いを、ぎりぎりで食い止めた。
こんな夜中に大声をあげたら、また親がずかずかとあたしの部屋に入ってくる。
そして、また死にたくなるくらいの「説得」が始まる。
それくらいなら、これくらいの驚きくらい、どうってことはないように、瞬間的に思えたのだ。
「あ・・・あんた、誰?」
あたしは、恐怖心とか、そういうのをぐっとこらえて、尋ねた。
それでも、やっぱり、身構えはする。
「何だよ・・・今から死のうとしてたくせに、俺が怖いワケ?」
少年は余裕たっぷりに、あたしの前にあぐらをかいて座った。
「こ、怖くなんか、ないわよ。でも、いきなり部屋に窓から入ってこられたら、びっくりぐらいするわ」
「ああ・・・まあ、そうか。俺、マサキ。おねーさんは?」
マサキと名乗るその少年。見たところは、別に変なところはない。
けど、さっきの首をかませてくれっていうのは、何なのよ?
「・・・フミカ」
簡単に、名前だけ、言ってみた。
「ふうん、で、フミカ、今から死ぬんだろ?でも、どうせなら、俺に首、噛ませてよ。ラクに逝けるよ〜」
またも、同じことを言う。しかも、楽に死ねるって、どういうこと?
「な、なんで、あんたに首をかまれたらラクに死ねるのよ?」
マサキは、その質問を聞くと、嬉しそうに笑った。
「だって、俺、ドラキュラだもん。俺に血吸われたら、フミカもドラキュラになれるから、人間的には死ぬことになるよ」
あっさりと、マサキは、ファンタジックなことを言ってのけた。
さすがに、ちょっと引いた。
マサキの言うことは、非現実すぎて、あたしは笑ってしまった。
「あんたねぇ、冗談はいいから、さっさと出てってくれない?不法侵入で訴えるよ?」
ちょっと、おねーさんと言われたことで、威張ってみた。
「お?フミカ、今から死ぬくせに訴えるの?」
しかし、マサキはニヤニヤ笑う。まるで意に介さない。
「そんなのどうだっていいじゃん。早く、早く、俺に噛ませてよ〜」
そう言って無造作に近づいてくるものだから、あたしは手に持っていたナイフをかざした。
「ちょ、ちょっと!それ以上近づかないで!」
「あれ?何だよ、死ぬのが嫌になった?」
全くナイフを怖がることなく、余裕の笑みを浮かべたままだ。
そんな余裕ヅラが、うっとうしくなってくる。
「そ、そーよ。やっぱり今日は死ぬのやめたの!だから、さっさと出て行って!」
「何だよ・・・そんな怖がるなって」
マサキはちょっとマジメな表情になった。
いきなり態度が変わって、少しドキッっとなる。
意外と、コイツ、美少年だ。
ちょっと、うっとり、なんて程でもないけど、ポカンとしたのが、ミスだった。
マサキはあたしの持っていたナイフの刃を、右手で握った。
「な・・・!」
あたしはビクッっとなってしまって、思わずナイフを引っ込めようとした。
スパッ!
という音は実際に聞こえた訳じゃないけど、もし擬音化するとしたら、これしかないと思う。
マサキの右の手のひらから、赤い血が・・・滴り落ちた。
「あ・・・」
「これくらいでびびるな。こんなのじゃ」
マサキは手のひらをかざした。
あたしが傷つけたはずの手のひらは、ふわりと煙があがると。
あたしの目の前で、何事もなかったかのように、傷が消えてしまった。
「・・・な?こんなのじゃあ、俺に傷なんてつかないって」
ニヤリ。とマサキは笑う。笑うと、小学生にも見えてしまうくらい、幼い少年だ。
なんとまあ、ファンタジー。まさに、ファンタジーの世界。
あたしは、目の前の現実が信じられずに、ただただ呆然と、マサキを見ていた。
「お?フミカ、やっと信じた?」
そんなあたしを見て、何故かこいつは、嬉しそうなのだ。
そんな生意気な態度が、妙にむかついてしまったので。
「う・・・うるさい!とにかく、今日はもう死なないんだから、あんたなんかに用はないの!」
「なんだよー。人がせっかく、楽に逝かせてやろうと思って来てやったのに」
なんて言って、ふくれる表情が、実にかわいいものだから、余計にむかつく。
だから、これだけは言いたくなった。
「あんたは人じゃないでしょ!」
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