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闇の眼 光の手
作:碧檎



第6章 第6話 感覚と記憶


「――記憶を壊したくない時。注意するべきは、『自分の心をしっかり持つこと』だ。
 おぬしは幼い頃から人の気持ちが流れ込むことに慣れているだろう?その流れ込むものに流されないようにすること。
 何でもよい。自分が自分である事を忘れないような何かを、強く心の中に思い浮かべればいい。それがコツだ。
 最初からうまくは行かないだろうが、自分を見失いさえしなければ、もうおぬしは力の量をうまく調節できるはずだ。
 ルティなら、昔からそう訓練されているから記憶がなくなる心配はほとんどない。少々の事では動揺しなくなるように、せいぜい励め」

 カーラは淡々と説明を始めていた。
 しかし、あたしの耳には半分以上届いて来ない。
 ルティや、カーラに対する怒りで、今までの無気力が吹き飛んだ気がした。

 あたしはもう何が何でも逃げることを心に決めていた。
 だけど、その前にどうしても聞いておきたいことがあった。
 あたしはカーラの言葉を遮って聞いた。

「……あの。壊れた記憶を元に戻す方法は?」

「うむ?……そんなものは無いぞ」

 今初めて聞いたというような表情でカーラは答えた。

「え?」

 あたしは思わずルティを見上げた。

「……記憶を戻せるというのは嘘だ」
「どうして、そんな嘘!」

 あたしはかっと頭に血が上って、ルティに詰め寄る。

「知ってたら、君はシリウスと寝なかったろう?だいたい、恋敵にそんなに親切にしてやる謂れは無い。……手段を選んでいるほど余裕も無かったしね」

 ルティは平然と答え、あたしが愕然としていると、カーラがぼそぼそと補足してくれた。

「記憶は消えはせんのだよ。ただ心の奥深くに潜り込んで、思い出せなくなるだけだ。きっかけさえあれば、思い出すこともある。
 ……ラサラス王がラナを思い出さないのは、彼が思い出すきっかけを全部封じ込めたからだ」
「きっかけ……」
「感覚と記憶というのはかなり密接に繋がっておる。記憶から感覚が浮かび上がることがあれば、その逆もあるんだ。
 我らの力が消せるのは思考に関する記憶――我らは『頭の記憶』と呼んでおる――つまり何かを見たり聞いたりして感じたことだが、実際にそのとき感覚器から流れ込んだ情報――『体の記憶』――までは消せぬからな。何かの拍子に感覚から記憶がよみがえることはあり得る。
 だからラサラス王にはそれをいっさい与えなかったんだよ。…… 彼がラナを抱いて眠っている時に、我らはラナを盗み出し、隠した。ラナに関するすべてのものを排除して、そして極めつけは、そっくりの従姉妹をあてがった。……もしラナのことを思い出そうとしても、目の前のおなごのことと勘違いさせるようにな。
 ……おぬしの場合も同じだ。皇子が記憶を失った直後にお前を攫えば、追いかけてこない限りはおぬしを思い出すことも無かろう」

 カーラは得意そうに話していた。その計画に酔っているようだった。

 本当に……この家の人間は人の気持ちなんて考えないんだわ……。人を駒としか見ていないんだ。
 ……父さんが、この家と縁を切った気持ち、よく分かる。

 知りたいことはもう聞いた。
 ……それが、もう、なんの役に立たなかったとしても。
 こんな所には居られない。もう逃げるしかなかった。
 ――でも、どこに、どうやって?

 *

 部屋に戻るとあたしは作戦を立てだした。

 ――明日、簡単に結婚式をする。
 カーラの部屋を出る間際に、そう宣告されたのだ。
 冗談じゃない。
 もう一刻の猶予も無かった。
 
 とにかく、ジョイアへ帰ろう。
 ハリスまで行けば、騎士団の皆にとりあえず匿ってもらえるはずだ。
 ……ふとそう考えたが、自分の今の姿を思い出し、駄目だと思った。
 騎士団に居たときは少年姿だったんだ……。今の姿だと分かってもらえないかもしれない。
 髪を掴んで握り締める。
 ……また髪を切る?
 そう思ったが、あたしは、それが出来そうにないことに気が付いた。
 髪を切ったら…今度こそ妃には戻れない……。
 あたしは大きくため息をつく。
 ……未練たらたらだわ。もう髪が長かろうが短かろうが、何の意味も無いのに。

 それでもあたしは行き先を即座に変えた。ツクルトゥルスに帰ろうと。
 あたしの故郷だ。あの土地なら、少しは心安らかに過ごしていけるかもしれない。

 あたしは結局髪をまとめると、部屋の中を物色して動きやすそうな服と、厚手の上着を取り出した。
 急いで着替えると、硝子の小さな窓を空け、外に顔を出す。
 冷たい空気が頬に刺さるようだったが、あたしはあるものを見つけてホッとした。
 ……やっぱり。
 窓の横には細い柱が付いていて、ハシゴのようにところどころ足がかりになりそうな突起があった。
 おそらくラサラス王はここを使ってよくこの部屋に忍んできていたのだろう。

 ツクルトゥルスまでは、馬の足で2日。
 となると、人の足ではどのくらいかかるのだろう。
 厩を襲うのも手だが、見つかる可能性を考えると、避けた方がいいと思った。
 ……途中で手に入れられるといいけれど。
 あたしはとっさに部屋の中を物色して、換金できそうな宝石類をポケットに詰め込んだ。
 ……いいの。あたしの母さんのものなんだし!
 もうどんな手段でも使ってやる、あたしはそう思っていた。







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