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闇の眼 光の手
作:碧檎



第2章 第2話 過去


 夜中、あたしは布団の中で眠れずにいた。
 それも当然で、シリウスの手を握れなかったからだ。
 ベッドが離れている以上、シリウスのベッドに潜り込まない限り、そんなことは出来なかった。
 あの冷たい手に触りたい……。
 このままウトウトしてしまうときっとシリウスのところに寝ぼけていってしまうだろう。そうしたら彼はすごく怒るに決まっている。
 そんなことを延々と考えながら、あたしは何度も寝返りを打った。
 ふと物音にはっとすると、ドアが静かに開き、大きな丸い影が部屋の中に入ってきた。
 うわ、ほんとに来た!
 あたしは思わず体を固くして、息をひそめた。
 シリウスのベッドの方から衣擦れの音がして、あたしはそっとそちらを見ると、彼はベッドから起き上がっていた。
 男はシリウスの方へと寄っていったかと思うと、ベッドに腰を下ろして、シリウスの手を握っていた。
 シリウスは男を見て妖しく微笑むと言った。

「あなたの望みはなに?」

 男はもうシリウスの声のことなど少しも気にならない様子で、じっとシリウスを凝視していた。
 そしてうわごとのように言う。

「おまえさんが、欲しい」

 シリウスは黙って頷くと、男の眼を覗き込んだまま、さらに言った。

「……あなたが探しているという者。誰から頼まれた?教えてくれたら、いいものをあげるよ」
「……メサルチム」

 シリウスはその瞬間固まった。
 そして男は理性を飛ばしたように、シリウスをベッドに押し倒していた。
 あたしは仰天して、ベッドから跳ね上がると、荷物に隠しておいた剣を手に取る。
 そしてシリウスのベッドに近づくと、鞘の付いたままの剣で、男の首を殴った。
 男はそのままシリウスの上に倒れ込み、シリウスはその巨体の下に下敷きになってしまった。
 あたしは必死で男の体を転がすと、シリウスを男の体の下から引っ張り出した。
 シリウスはろうそくの光でも分かるくらいに真っ青になっていて、ガタガタと震えていた。

「シリウス?……大丈夫!?」

 あたしは思わず彼の手首を掴んだ。
 次の瞬間、怒濤のように流れてくる記憶にあたしは今自分がどこにいるのさえ分からなくなった。


 あたしはいつの間にか、知らないところにいた。
 シリウスがあたしの隣にいて、あたしには彼の心が透けて見えていた。

 ここ、皇宮、のぼくの部屋……。
 いやだ。ここは嫌いだ。
 ここにいると嫌なことばかりだ。
 母上も、父上も……先生も、侍女も側近も……。
 なんで普通に接してくれないんだ。
 なんでぼくをそんな変な眼で見るんだ。


 母上……僕をどうしようというの……。僕はあなたの子供じゃなかったの。
 いやだ、そんなことしないで。困る。困るよ。父上になんて言えばいいんだ―――――


 父上、助けて!
 ……父上?なんでそんな眼で僕を見るの。僕が知らない人のような……。
 父上?な、なにを。リゲル?それは母さんだ。僕じゃない!僕じゃないよ!!!止めてくれ。 僕は僕だ。シリウスだよ!!


 ―――――やめて!!!


 あたしは手に熱いものが触れるのを感じて、はっと我に返った。
 あたしは泣いていた。
 どうすればいいか分からなかった。
 シリウスは、ただ呆然と涙を流してそこに座り込み、その眼には何も映っていなかった。
 これが、シリウスが恐れていた闇。
 なんてひどい。なんてひどいの……。
 これではシリウスが壊れてしまう……。
 あたしは、彼をベッドに寝かせたかったが、先ほどのことで、男がベッドを占領していることを思い出し、ここを出ることが先だと思った。
 おそらく父は外に待機しているはず。
 あたしは窓を開けると、自分の荷物を外に放り投げた。
 案の定、木の陰から父が姿を見せ、こちらに寄って来た。

「何かあったのか!?」

 あたしの顔から察したのか、父は急いで窓から部屋に入ってきた。

「シリウスが……こいつに襲われかけて……」

 あたしはそれ以上口に出来ずに、ただただ泣いた。

「泣くな、泣くのは脱出してからだ」

 父はシリウスを担ぐようにすると、窓から逃げ出した。
 あたしも荷物を持つと、急いで外に出た。


 ようやく倉庫までたどり着くと、眠ってしまったシリウスを横にならせて、あたしはその側に座り込んだ。

「……父さん、あたし、決めた。シリウスのこと助けてあげる。彼の記憶、消してあげる」

 父は、悲しそうにあたしを見ると黙って首を振った。

「なんで?こんなに苦しんでるのよ?」
「分かっている。でもな。シリウスの方が……無理なんだ」
「どういうことよ」
「……さっき見たんだろう?彼の記憶を。……彼がされていたことを。……俺がいない時だったんだ。俺がいればあんなことには……」
「父さん知っていたの……?」
「…… 薄々な。宮に戻ってみたら、雰囲気ががらりと変わっていた。そして俺を怖がるようになって。
 ……お前がなんとかしてやりたいって気持ちは分かる。でもな、それはシリウスが望まないと無理なんだ。
 ……さっきお前が見た記憶。あれをシリウスはやらなければならないんだ――お前と。そうすれば記憶も何とかなるんだろう。
 それは……無理だと思わないか?」

 父は苦しそうに顔を歪めたまま、さらに続けた。

「それにな……そういうことをするのは、普通、夫婦の間だけなんだ。……お前が、貴族の娘だったら……俺だって止めない。
 だけどな、お前は単なる平民出の成り上がり騎士団長の娘でしかないんだ。お前は妃にはなれない。なれたとしてもせいぜい側室か愛妾どまりだ。
 シリウスはこれから何人も妃を娶るだろう。お前はそれが我慢できるのか」

 あたしは少しの間悩んだ。
 でも答えは一つしか無かった。

「つまりシリウスが望めばいいのよね?」
「おまえ、俺の話聞いてたか?」

 父は心底あきれたような顔をした。

「聞いていたわよ。だって、後の部分は、あたしが我慢すればいいことでしょう?」

 あたしがそう言うと、父は一転して慌て出した。

「何を言っているか分かってるのか……?お前、幸せになりたいって思わないのか?」
「あたし……もうシリウスを守るって決めたのよ。そのためなら何だってする。報われなくたっていいわ。
 ……だいたいこの髪じゃ、妃どころか誰のお嫁さんにもなれないのなんて分かってるし」
「なんでそこまで……」
「分かってるんでしょう、父さんも。……あたし、シリウスが好きなのよ。ずっと前から」

 あたしは父の顔をじっと見た。父はあたしの眼を見て何かを思い出しているようだった。

「……まったく、誰に似たんだか。くそっ、こうならないようにってどれだけ気をつけたと思ってるんだ……」
「あら。10年前から気をつけてたの?」
「……名前を教えてもらった時か……。10年……俺に似てしつこいな。……分かった。好きにしろ。
 ――ただし、あくまでシリウスが望んだらだぞ?壊れちまうからな」

 あたしはそれを聞いて、問題が解決したと思い込んでしまったのだが、問題はそんなに簡単なものではなかった。
 ――――シリウスがそれを望まないことを、おそらく父は分かっていたのだと思う。







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