闇の眼 光の手(12/55)PDFで表示縦書き表示RDF


スピカの視点になります。がらりとイメージが変わるかもしれませんが、お楽しみいただけると嬉しいです。
闇の眼 光の手
作:碧檎



第2章 第1話 潜入


 あたしは、戸惑っていた。

 この間、シリウスに抱きしめられたとき、本当は彼の気持ちが見えたのだ。
 それはあまりにも小さくて、吹けば消えそうな想いではあったけど、確実にそこにあった。
 しかし、彼はそのことに全く気づいていないような表情をしていたので、あたしはとてもそれを言い出せなかった。

 なんてやっかいな力なんだろう……。
 彼の気持ちを知っていて、それでもそれを知らない振りをしなければならないなんて。
 あたしの心なんて5歳のあの時から少しも変わっていないというのに。

 だから、シリウスがそばにいて欲しいと言ってくれた時、飛び上がるほど嬉しかった。
 でも、それはあたしが本当に望んでいる形とは違っていた。
 なんて残酷なことをこの人は言うんだろう。
 なんでそんなきれいな眼をしてそんなひどいことを言えるんだろう。
 それでも、仕方なかった。彼は皇太子なのだ。
 これから、宮に戻って、きれいなお姫様をお妃に迎えて立派な帝になるのだ。あたしがいる場所はその妃の座では決して無かった。
 それでも、彼の側にいたかった。側で彼を見ていたかった。だから、たとえ側近としてでも、その道を選んだのだ。


 あたしたちは、ツクルトゥルスに来る時とは違い、今度は3頭の馬で、皇都シープシャンクスへと向かった。
 出来ればまたシリウスと相乗りをしたかったのだが、馬が用意できる以上、そんな必要は無かった。
 あたしは多少がっかりして、一人、馬の上で、考え事をしていたのだった。

「なんだか浮かない顔してるけど、具合でも悪い?」

 シリウスが、馬を寄せてあたしに話しかけてくる。
 本当に、きれいな顔をしている。この顔をしているだけで人が寄ってくるだろうに、それ以上にあんな力を持っているなんて、確かに不運としか言いようが無い。
 あたしのこの属性が無ければ、こんなに冷静に顔を眺めることも出来ないのだろう。
 このごろは、冷静とはとても言いがたいが。

「大丈夫よ。……もうすぐね。都」
「そうだな」
「作戦、うまく行くといいわね」

 あたしがそう言うと、シリウスはその口角を少しあげてかすかに微笑んだ。
 ああ、きれいだ……。
 思わず見とれてしまう。

 このごろシリウスはようやく笑うようになった。
 都から出て、初めて笑ったのは、つい最近のこと。
 父と何か内緒話をした後に、何かをごまかすようにあたしに向かって微笑んだのだ。
 あまりにきれいな笑顔だったので、あたしは見とれてしまって、内緒話の追求をしそびれてしまった。
 昔から表情は無い方だったが、まだ幼い頃はよく笑っていたと思う。
 なにがこんなに彼を無表情にさせたのか。あたしはその原因である、「彼ら」に腹が立って仕方なかった。
 詳しくは見えなかった。多分恐ろしくて見たくなかったのだ。
 それでも、見えた顔には覚えがあった。当然である。この国で一番尊いとされる人、とその妻なのだから。


 シープシャンクスに着くと、あたしたちはひとまず例の倉庫へと向かった。
 着替えのためである。
 父が密かに取り寄せたかつらと女物の服をあたしたちはそれぞれ手に取り、着替えた。
 先に着替えて、シリウスを手伝ったが、彼の方はあたしが隣に並ぶのが嫌になるような出来だった。
 つまり美しすぎて。
 褐色の鬘とベージュ色のドレス、それに白いエプロンをつけたシリウスは、まるで人形のようだ。
 それでも眼だけが何かを吸い込むかのような力を湛えていて、その人形のような容貌に生気を与えていた。
 お互いに鬘がずれていないか、服装がおかしくないかなど確かめ合う。
 シリウスが鬘を慎重に抑えながら、あたしをじっと観察していたかと思うと、ふと口を開いた。

「……当たり前だけど、そっちの方が似合ってる」
「ありがと」

 あたしは自分の髪とほぼ同色の金色の鬘を着け、やはりベージュのドレスを着ていた。
 彼の隣に並べば、あたしがいくら着飾ろうと、霞んでしまうことが分かっていたので、褒められようとあたしはそんなに嬉しくなかった。
 そんな思いが顔に出たのか、シリウスは怪訝そうにしていた。

「ほんとに可愛いのに……」

 ……その顔で、どういうつもりで言ってるのかサッパリだわ……。
 あたしはそう思いつつも顔が赤らむのを抑えられなかった。


 メリディオナリスという男は、聞いていた通り、好色をそのまま体現したような男だった。
 少し薄い頭、テカった顔、小さな眼に丸い鼻、のばした口ひげだけ妙に整えられていて、なんだかアンバランスな感じがした。
 体は丸まると太っていて、きっと自分では靴が履けないだろうというくらいに腹が出ていた。
 侍女姿のシリウスとあたしを舐めるような視線で観察している。
 こいつに仕えるのか……と思うと吐き気さえ感じたが、これもシリウスのため。頑張らないとと自分を励ました。
 シリウスは相変わらず無表情で、丁寧におじぎをすると、あたしに挨拶を促した。
 あ、そうだった、喉を痛めてることになってるのだった。

「短い間ですが、よろしくお願いいたします」

 あたしが挨拶をすると、今までシリウスをにやにやしながら見ていたその視線がこちらに向けられた。

「ほう、きれいな声をしているね、お嬢ちゃん」

 そうしてあたしの体を上から下までじろじろと見ると、言った。

「うむ、こっちの娘の方が……」

 な、何よっ。
 はにやにやしながら嬉しそうに顎を撫でると、あたしの後ろに廻った。
 次の瞬間シリウスがさっと動いたかと思うと、メリディオナリスの腕を掴んでいた。
 そうして、その眼を彼にしっかりと向けると、妖しく微笑んだのだ。
 うわっ!!それ反則……
 案の定、メリディオナリスは魂を抜かれたような表情になり、がっくりと体の力を抜いてその場にしゃがみ込んでしまった。
 シリウスはあたしの耳に口を寄せると、小声でささやく。

「こいつ、君のお尻触ろうとしてた」
「かばってくれたの?でも……あれじゃあ、あなたが標的になっちゃうわ」
「いいんだよ。その方が」
「よくない」
「いいの。君何も知らないから、危険なんだ」
「何を知らないって言うの」

 シリウスは言葉につまり、しばらく考えたが、結局笑ってごまかした。
 あたしは、やはりその顔に釘付けになってしまい、それ以上追求できなくなってしまったのだった。

 メリディオナリスの家は、下級貴族とはいえ、何で儲けているのかひどく広かった。
 ひたすらに掃除を行い、邸の隅々までを磨き上げる。
 その後、あたしたちは、騎士団の時と同じように、細々とした雑用をこなし、ようやくあてがわれた自室へと戻った。

「……やっぱり同室なんだな……」

 シリウスが迷惑そうにつぶやく。

「……そんなに嫌なの?」
「……嫌というか……困る」

 無表情のまま、シリウスはそう言って、自分に宛てがわれたベッドの上にどさりと腰を下ろした。

「仕方ないじゃない。侍女の身で贅沢は言えないわ」
「分かってる」
「あの……今日も手をつないでもらってもいいかしら……」

 あたしがおそるおそる尋ねると、シリウスは少し考え込んで、そして言った。

「いや、今日は僕は君から力を貰わない方がいい。その方がうまく行くはずだ」
「何考えてるの……」
「あいつは、多分、今日ここに来るよ」

 あたしはぎょっとした。

「今日?そんなに早く?」
「さっきのヤツの様子見なかったの?」

 見たけど……。
 その様子からどうこう推測は出来なかった。

「鈍いなあ……。やっぱり付いてきてよかった。
 ……一応確認しとくけど、聞かないといけないことは、誰が指示したかなんだが、それを直接言ってしまうと怪しまれる。だから、皇子のことを連想させるように誘導するんだ。
 出来そう?」
「んと……」

 思いつかない……。
 考え込んでしまったあたしを見て、シリウスはため息をつくと、言った。

「……分かった。僕に任せろよ」
「え?でも」
「大丈夫。僕にだってスピカとは違うけど、力があるんだよ?うまくいくよ」

 このとき、あたしは何が何でも止めれば良かったのだ。
 ――そう後悔するなんて、あたしはこの時は思いもしなかった。







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