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人狼アッカ
 ドラゴンによって作られた障壁は、ほとんどが鐘楼で出来ていた。
 中心部に聖堂を有するリーベの町は、公爵領の中でもとりわけ教会の多い土地だった。
 鐘楼が地面に落とされるたびに、不気味なゆがんだ鐘の音が鳴り響いた。

 ゲールハーツは白馬を巧みに操って障壁を軽々と飛び越え、石で舗装された通りを風のように駆けていった。
 石造りの建物を見上げると、屋根の上には滑空を決め込んだドラゴンの伸びきった翼と、ノミの形をした顎がちらりと見えた。
 ドラゴンが遠ざかる隙をついて工作を進めていたのだが、徐々に姿が現れるまでの間隔が狭くなってきている。
 それはつまり、ゴールが間近だということだ。

 お前は一体何を見ている?
 ゲールハーツは心の中でドラゴンに問いかけた。
 そんなに愉しいのか?
 
 悲鳴、怒声、罵詈、どれともつかぬわめき声。中央の広場からは、収穫祭をしのぐほどの凄まじい熱気が立ち上っていた
 まるで鍋に閉じ込められたようである。今にも中にいる民衆が堰を切ってあふれ出しそうだ。

 堪えていたつもりだったが、ゲールハーツの憤怒もそろそろ限界に差し迫っていた。

「ゲールハーツ様!」
「くわしい状況を聞かせろ!」

 聖堂の裏手にあつまっていた兵士達は、青ざめた顔で口々に彼の名を呼んだ。

「その……それが、壊れません!」
「ありったけの魔石を使えと言ったはずだ!」
「使いました、火の魔石はすべて、ですがこの塀だけ、壁がとくべつ分厚く作られているようです! 一発や二発では穴を貫通させられません!」

 もう一度空を見上げて、ゲールハーツは対策を練った。
 別の退路を、いや、それより先に、罠の位置をもう一度調整しなくてはならない。
 だが、そのための会議を開いている余裕までは無い。

 罠は諦めるのか?
 ゲールハーツの脳裏には、過去の戦争の記憶がまざまざとよみがえっていた。
 ほんのわずかでも生き延びる可能性があるのなら、罠を作ることを諦め、別の退路だけを作るべきだろうか?
 それでも、もし数名が生き延びられたとしても、もう次の町はない。
 相手はドラゴンだ、二度は同じ手は食うまい。
 吐き気がしそうだった、ドラゴンを狩るために、町をひとつ諦めなくてはならない。

 不意に、ゲールハーツの視界の隅に異様なものがうつった。
 怪物のように大きな大男を、兵士達が数名がかりで引きずっていたのだ。

「隊長っ! 不審者を捕らえましたっ!」
「こいつ、この騒ぎに便乗して、そこの食堂で食料を漁っていました……ぎゃあっ!」
「がるるっ! メシくってただけだっ!」
「嘘をつけ、この騒ぎのなかで平然とメシを食っていたなど信じられるかっ!」
「いたの! 信じろ! バーリャじゃよくある事なんだから! ちゃんと『いす』って奴に座って、『てーぶる』って奴の上で食べてただろうがよ! なんか文句あっか!?」
「ナイフとフォークはどうした!」
「ナイフとフォーク!? なにそれ! オレなんか盲点があった?」

 毛糸の帽子を目深にかぶって頭部を隠していたが、口元は獰猛な野獣そのもの、のこぎりの様な牙をむいて唸っている。
 麻縄に何重にも巻かれて、身動き取れなくされているようすだった。

 士官の一人が、病気にでもなったかのように顔を真っ青にして、ゲールハーツに言い寄った。

「ゲールハーツ様、恐れながら、私にはこの壁の向こうに家族がおります。それに、いささか楽観的ですが、ドラゴンも罠の危険に気づけば深入りをせず、退却をするかもしれません。そう申している兵士もここには大勢います、どうか、わずかでも可能性があるのならば……」
「……お前、バーリャの魔法がどんなものか、聞いたことがあるか?」
「は? なん、ですと……バーリャの魔法は、治癒魔法でしょうか?」
「水魔法だ。再生と破壊を司る。治癒魔法に冷気魔法、そして、どんな物でも風化させる破壊魔法だ」

 小隊長が大男の対応に手間取っているところに、ゲールハーツは駆けつけた。
 帷幕にいなかった小隊の兵士達は、ゲールハーツの事をまだなにも知らない様子でぽかんとしていた。
 だが、縛られている大男だけは違った。
 彼は鼻をひくひくさせて、ゲールハーツが何か言う前に、こうもらしたのだった。

「へっへっへ……おまえ、ドラゴンと同じにおいがするな?」

 ゲールハーツは心臓を射抜かれたように立ち止まった。
 ドラゴンライダーの血を引くイーサファルトの王家には、ドラゴンの魂と英雄の魂が半分ずつ受け継がれているという。

 ――その言葉を聞くまで、私は自分が王族だったということを忘れていた、むしろ忘れようとさえしていた。
 ――私の中にドラゴンの存在を嗅ぎ取った男のその一言が決定的だった。
 ――その瞬間、私は騎士の身分に閉じこもったままでいることを完全に捨て、彼を仲間にする事に決めていた。
(イーサファルト王立図書館貯蔵〈ゲールハーツの手記〉より抜粋) 

「お前、名は」
「そんなもんあっかよ」
「『激昂アッカ』か、なかなか洒落た名前だ」
「えっ、どういうこと? ひょっとして今オレの名前が誕生しなかった?」
「なるほど、さぞ力自慢なのだろうな。どの程度の力を持っているか、見てみたい。……お前ならあの壁を壊せるか?」

 ゲールハーツの指差す先では、すでに大勢の兵士たちが壁を打ち壊す作業に取り掛かっていた。
 向こうにいる人の声が聞こえるのか、みな死に物狂いだった。今にも泣きそうな顔をして槌を振るう者もいる。

 アッカと名乗る大男は、太い首をぐいっとめぐらせて、へらへらと笑った。

「高くつくぜ?」
「三回で壊せたら見逃してやる、二回で壊せたら望むものをやる、もし一回で壊せたら……私の友になれ」
「くくく、言うことまでドラゴンくさいな、おまえ。さては王様かなにかか?」

 縄が解かれると、アッカはおもむろに立ち上がった。
 身に着けているのはボロボロのチョッキに、丈の短いズボン、よく見ると、足の付け根にぶらーんと獣の尻尾が垂れ下がっていた。
 後で適当に見繕ってやらねば、とゲールハーツは考えた。

 聖堂の壁にその影が落ちて、壁にかじりついていた兵士たちが、ようやくその気配に気づき、振り返った。

 アッカは兵士の一人から金槌をもぎとって、壁に向かって歩いていった。
 左上から右下に、右上から左下に、ぶんぶんと金槌を振る。
 分厚い壁にぴたりと鼻面を付き合わせると、アッカの身長と塀の高さは頭ひとつ分くらいの差しかなかった。すさまじい長身だった。

「さーて、一回にするか、二回にするか、そこが問題だよな……」

 アッカはポケットから一握りの赤い土を取り出した。
 その上にぺっと唾を吐くと、指で掬い取って壁に赤い線を書き始めた。
 赤い六角形の図形である。

「『産みと苦痛の母ハルテルの血において命ずる、そは六である、再生と破壊をつかさどる水のことわりを以って、すべての六は砂に帰すべし』」

 西部の魔法に造詣のあるゲールハーツも、おそらくここにいる誰も見たことの無い呪術だった。
 ひととおり赤い線を書くと、準備は終わったらしい。
 おもむろに大腿から後ろに向かって金槌を振り上げ、今から殴りつける部分に真っ赤な手のひらを向け、金槌を振り下ろした。

「うおおおおおぉぉぉぉーっ!」

 がごぉぉぉんっ!

 常人の何倍もの量の筋力がすべて加わった、渾身の一撃だ。

 周囲の地面にまで強烈な振動が伝わり、立っているものは体勢を崩した。
 壁に不気味なひびが生じ、ひびから赤い砂が吹き上がった。
 聖堂の壁は朽ちはじめるようにみるみる崩落してゆき、人一人分の大きさはあろうかという破片がぼろぼろと落ち、兵士たちはぶつからないように距離を置いた。

「一回ということにしよう」

 などと言って振り返ったアッカの真上を、ドラゴンの白い影が砲弾のように通り過ぎていった。
 ぎゅあうううんっという耳をつんざく響きを残して、その影は瞬間的に通りの反対側まで飛んでいった。
 こちらが体勢を立て直すころには、ドラゴンは翼を一度はためかせ、旗のように華麗に向きを変えてこちらに飛んでこようとしている。
 どうやら聖堂の異変に気づいて急接近したらしい、とてつもない移動速度に士官たちは戦慄を覚えた。

「……速いっ!」
「ひるむな、魔術師部隊に合図を送れ!」

 巨大なドラゴンは自然本来の力では空を飛ぶことができない、翼は補助的な力を得るために使い、多くは魔法の力に頼って空を飛んでいる。
 この尋常でない高速飛行も魔法が可能にするものだ。
 だが、相手が魔法を使っているのならば、同じ魔法の力を使う魔法使いならそれに対処できるはずだ。

 聖堂の裏手には鐘楼が複数あり、それらにすでに魔術師部隊が潜伏していた。
 鐘楼からいくつもの紫色の光が漏れ出すと、空中にあるドラゴンの巨体は、急に支えを失ったように高度を下げた。
 ドラゴンがほえ声をあげるよりも先に、アッカが吼えた。

「す、すげーっ、本物のドラゴンだーっ!」
「効いている……! 落ちてくるぞ!」
「ゲールハーツ様、下がってください、ここは危険です……!」

 同時に、広場にあふれかえっていた人々が、塀の向こうから奔流となって押し出されてきた。
 ドラゴンが目の前にいるのにも関わらず、誰も留まる事さえできない様子だった。
 混乱して他人を押し倒し、踏みつけ、ひたすら道のある方に駆けていった。
 誰しも服が血に染まっていて、服装で身分を見分けるのさえ困難だった。

 獲物を逃がされていることに気づいたらしい、上空のドラゴンがすさまじいほえ声を上げ、群衆が一瞬だが身をかがめた。
 アッカがそれに負けないほえ声を上げた。

「おーい! でっかい穴が開いたぜーっ! あとで弁償してくれって言っても無理だからなーっ!」
「高度が屋根まで落ちました!」
「……弓矢隊に合図を送れ!」

 通りの向こうを低速で飛んでくるドラゴンに向かって、鉤のついたロープが投げ放たれた。
 さらに左右の建物の窓から弓矢部隊が狙い撃ちをする。
 矢ごときではドラゴンの堅い鱗に傷をつけられるはずはない、まともに当てる為に放った矢はない。動きをさらに抑えるのが目的だ。
 それでも目や翼の薄い膜に何本かが突き刺さり、ドラゴンは凄まじい咆吼をあげた。

「うおおっ、危ない、こっちに落ちてくるぞあのドラゴン!」
「怯むな! 撃ち続けろ!」

 ドラゴンは数十本のロープに引っ張られて、船のように進行方向を変え、そのまま脇にあった建物に頭から衝突した。
 建物は屋根から崩落し、ドラゴンは建物の一番下の階にうずくまる形で墜落した。

 巨大な怪物が目の前に落ちている。

「やった」

 彼らが落としたのだ。その事実が兵士たちの間に実感されるまで、しばらく時間がかかった。

「落とした、ドラゴンを落としたぞーっ!」

 兵士たちは歓声をあげて、我先にとその巨大な怪物に群がっていった。

 それは怪物と呼ぶにははばかられる、兵士たちが息を呑むほどの美しさだった。
 鱗は淡い青色で、中に宝石でも入っているかのようにきらきらと輝いている。
 馬よりも長くたくましい首を丸め、まるで貴婦人のように翼の中に顔を隠していた。

「はっはーっはっ、すばらしい、なんと、最高の獲物ではないか!」

 遅れて馬を走らせてきた貴族が、どや顔で周囲に宣言し始めた。

「みなの者! このドラゴンはわが侯爵家の石弓部隊が仕留めた獲物だ! さっそくヘグニ公への土産としようではないか……あぅっ」

 名乗りを上げようとした部隊長が、なんの前触れも無く落馬した。
 周りには失笑が漏れたが、ゲールハーツはドラゴンをじっと見つめたまま、笑うことができなかった。

 ……抵抗しないのか? なぜ火を噴かない?
 ……あるいは、わざと捕まった?

「ひ、ひいっ!」

 悲鳴のした方を見ると、落馬した部隊長のそばにいた兵士だった。

「し、死んでるっ! 矢だ、弓兵部隊の矢で射抜かれているぞっ……!」

 兵士たちは一斉に上を見上げた。
 通りをはさむ左右の建物には、ずらりと弓兵たちが並んでいる。

「一体なんのつもりだ!」

 とつぜん敵意を向けられ、弓兵の部隊長らしき男が窓から顔を出した。

「まて、一体なにがあった、こちらからは何も……!」

 その弓兵の部隊長の胸に、一本の矢が根元まで突き刺さった。
 後ろから突き出た先端と矢羽を交互に見せながら、彼は三階ほどの高さから落ちていった。

「なんだ、一体どうなっている……!」
「手柄を独り占めするつもりか……?」
「ふざけやがって……!」

 兵士たちの間に怒号が沸き起こった。だが弓兵たちも当惑している、どうすればいいのか分からずにただ青ざめている様子だった。
 徐々に統制が崩れつつあったとき、歩兵部隊のリーダーと思われる人物が声を上げた。

「待て、双方、冷静になれ! 弓兵部隊、こちらの声が聞こえているのならば、弓矢の装備をはずし、窓の見える位置におけ! 自分たちが犯人ではないという証拠を示せ! 早く!」

 リーダーの野太い声はよく聞こえたらしい、あわてて武装解除した弓兵たちの矢筒と弓、それにタガーが、見渡す限りの窓辺に並んだ。

 頭のいい男だ、とゲールハーツは内心思いながら様子を見守っていた。
 弓兵の中に犯人がいても、自分も武装解除をせざるを得ない。
 この状態ならむやみに狙撃されることは無い。
 狙撃を恐れていた歩兵たちも敵愾心を和らげ、落ち着きを取り戻しはじめた。

 歩兵部隊のリーダーはふうむ、と唸って腕を組んだ。
 どうやら弓矢部隊は全員が武装解除をしてしまったらしい。

 だが、ゲールハーツは見てしまった。
 家の中にうずくまっているドラゴンが、不気味な動きをしているのを。
 翼に隠されたその目は、はっとするほど美しい緑色をしていた。
 まるで自分が捕まっているという感覚すら持ち合わせていないような、とてつもなく冷静で、動揺のかけらすら見えない目だった。

 抵抗をしない。火を噴かない。
 どうやらこれはドラゴンにとって、まだゲームの範疇だったようだ。

 ドラゴンは翼の皮膜に突き刺さった矢をぷちっと抜き取り、口の中で転がしはじめた。

 まずい、と思ったときには、その矢はドラゴンの口から音も無く放たれて、リーダーの首を貫いていた。

 兵士たちは一瞬にして押し黙った。押し黙った瞬間、ドラゴンが立ち上がった。
 ぶるぶる体を震わせてロープを簡単に解き、口の端から青白い炎を吹いた。

「まずい、まずいぞ、退却しろーっ!」

 各々のリーダーを失った兵士たちは恐慌に陥り、あっという間に壊走しはじめた。
 解放されたドラゴンは翼をはためかせ、難なく空に浮き上がった。


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