終わりに
天空城の決戦から二年後、剣豪サージはリーベの町に築かれたばかりの小さな教会に訪れていた。
横一列に並んだ子ども達を相手に、サーラが愉しげに文字を教えている風景が見受けられた。
「ぴあじーえーさ、えあでぃーしー」
魔法文字《アンドラハル・ピアジ》は、魔界の発達した魔術と共に人界に輸入され、魔法学を学ぶ上では欠かせない知識となっていた。
後に《正字体》と呼ばれる魔力を持たない簡潔な字体が考案され、アーディナル大陸の共通文字として広く一般に普及する事となる。
「よう」
「あっ、サージさん、お久しぶりです! ん? ……またなんか呪いのアイテムが増えてませんか?」
「あ、わかる? やっぱわかっちゃう!? すげーイカすだろこれ!」
サージは鳥のガイコツの飾りを自慢するように、首飾りを掲げて見せた。
「じゃーん、呪いの首飾りだ! アンドラハル半島を旅しまくって、ようやく手に入れたんだぜ! なんと、持って歩くだけでHPが削られていく呪いがかけられているんだ! しかーし、俺様はついこのあいだ自動HP回復というアビリティに開眼して……」
「ていっ」
サーラが杖をぶんっと振ると、ガイコツから清らかな光があぶくのように吹き出て、呪いの首飾りは石けんのようにぱきっと音を立てて割れてしまった。
「ぎゃーっ! まだ修行の途中だぞなんで呪いを解いちまうんだーっ!」
「ちゃんとお祓いしてあげなきゃアイテムが可哀想です! その諸刃の剣も、魔神の鎧もです! こっちに渡してください!」
「お前二年間で立派な神官に成長しすぎだろちくしょーっ!」
――勇者の仲間のひとり、尼僧サーラは、その後教会の総本山で高位神官の階級を与えられた。
――リーベの町に念願だったゼテン神の寺院を建立し、そこで信仰と回復魔法の普及に努めているという。
――剣豪サージはアーディナル大陸を旅し続け、勇者と並んで有名な剣豪として大陸中に名を知られるようになった。
――呪いのアイテムを手に入れてはその呪いを克服するようにあらたな剣術に開眼する。こうして彼が編み出した剣術を愛好する者は徐々に増えつつある。
***
「サーラ、買い出しっつってもあんまし買わなくていいぞ?」
「久しぶりに全員集まるんですから、なるべく賑やかにしたいじゃないですか?」
雑貨屋から出てきたサージは、パン籠に入ったパンやワインの本数を数えてみた。
「いや、一番食うアッカが来られないんだ。あいつはあの通りの風来坊だし、連絡しようにも捕まらなかった。オルフェウスは会議が重なって来られるかどうか分からないみたいだし、下手すると俺とお前の二人になるかもしれん」
「イーラさんはどうなさったの?」
「あいつは事情があって遅れてるよ。あれ? アッカ発見」
彼らの前方に、なにやら物々しい雰囲気の人だかりができていた。
広場に座り込んだ巨大な男を、数名の兵士が引きずっている。
「なんだよーっ! 今度はちゃんと『いす』にすわって『てーぶる』のうえで食べてたし、『ないふ』と『ふぉーく』は外側から順番に使ってっただろー!」
「うるさい、フルコースを堪能してんじゃねぇ!」
「ひえっひえっひえっ、いいか獣人、椅子もテーブルも、ナイフもフォークも人間様のもんだ! 汚らわしい魔族は地べたで食ってな!」
「えっ……いいの!? ……なんだよそれーっ、最初っからそう言えばいいだろー!? もーっ!」
戦勝国のイーサファルトでは、その後アンドラハルに光が射すようになってから流入するようになった魔族に対する弾圧や差別が激しくなっていった。
特にヘグニ公爵領ではそれを公認するような法律が敷かれており、特に天空城で戦えなかったヘグニ公爵派の兵士達は、魔族を見かけるごとに嫌がらせをしていたという。
「あらら、あいつら懲りてねぇなあ……どうしよう、ここは法律があれだし、いちいち相手にすると厄介なんだよな」
「あっ、イーラさん」
衆目を浴びながらイーラが姿を現した。
彼女は自分の身長の倍以上ある『黄金の家』を担いで平然と歩いてくる。
さしもの兵士達も『家』を装備している女を見るのははじめてだったらしく、唖然としてそちらを見やっていた。
「サージさん、ひょっとして前の建材も、もとは何かの建物だったんじゃないですか……」
「西部の山で見つけた獣人達の神殿かなんかだったかな……あれも推定攻撃力が五〇〇〇ぐらいはあったんだけど……」
彼女はきょろきょろと辺りを見回し、すでに三人揃ったのを確認してサージに聞いた。
「ねぇ父さん、この辺に『家』建てていい?」
「ああ、建ててくれ。どっかーんと」
イーラは広場の真ん中に向かってひょいっと黄金の家を放り投げた。
「ぎゃあああーっ!」
まさかこっちに来るとは思っていなかった兵士達は、この世の終わりのような絶叫をあげながら逃げ惑った。
――大剣使いのイーラは剣豪サージに従い、その後もアーディナル大陸の各地を歩いていた。
――身の回りにある建物を武器にしてしまう彼女だが、今のところリノフで拾った黄金の家が壊れにくく、気に入っているらしい。
――人狼アッカは気ままに歩き続け、その行方は洋として知れない。
***
「すいません、遅れました!」
「遅いぞオルフェウス! 料理は本気を出したアッカ大公によってほぼ壊滅状態だ。ボトルは一本死守した!」
黄金の家でパーティが開催されてまもなく、オルフェウスは大魔導のローブを身につけて現れた。
テーブルに残されていたのは大きな皿と食べかすばかりで、仲間達の向こうには本気で食べることが出来て満足げなアッカの顔があった。
「し、信じられん、これがアッカの真の実力だというのか……!」
「大丈夫、オルフェウスが魔法で料理を出してくれるわ、ぽぽんとね」
「無茶いわないでくださいよ……あれ簡単に見えてめちゃくちゃ下準備しなきゃできないんですから……」
「動きが速くなる魔法あんだろ、あれで三倍速になって料理を作ってくれよ。ぐっふっふ」
「まだ食う気だ……」
五人のメンバーが出そろったところで、もう一度ドアが開かれ、さらにもう一人が加わった。
一同はしばし沈黙し、その男をじっと見つめていた。
はじめて会う人物ではないが、誰もが緊張を隠せなかった。
顔は仮面に隠れていて、表情が窺えない。
やがて仮面の奥から、くぐもった声が出された。
「二年ぶりだな、お前達」
「ええ」
「そうだな」
「も、もうそんなに経つのか」
「そうね」
「本当に早いですね」
サージが立ち上がって、ワインボトルを彼に差し出した。
「ま、とりあえず、一杯やろうぜ。お前の回復祝いなんだからな」
――賢者オルフェウスは大魔導に昇格し、魔術師部隊が解散してからは三大国の一つ、アリハランの魔法研究施設で働いている。
――アリハランはアンドラハル半島の最南端の国で、会う機会は滅多にないが、どうやら元気にやっているようだ。
***
魔界から略奪した金銀財宝がちりばめられ、贅沢の限りを尽くした玉座の間で、しかし不機嫌な顔をした灯鬼がほおづえをついていた。
隣には純白の絹のローブを着た大臣がおり、彼もまた宝石で全身を着飾っていた。
「なんと、二年連続で不作とは……魔王の呪いかなにかではないのか?」
「すでに入植者には餓死者が出ている模様です、如何いたしましょう、公」
日が射すようになった魔界に、人間の入植が試みられていた。
ヘグニ公爵はリノフに元あった水田をあらかた開墾し、本国に輸出するための小麦を生産させようと試みたが、もともと気候が適していないためか不作が続いていた。
「やはり、魔界の土は魔界の植物の生産に適しているのだと思われます。近年、貴族の間でタバコが流行りはじめましたので、大規模なタバコ農地を持つヘイルダームがこれで多くの利益を得ているそうです。これを機にリノフもタバコの生産にシフトした方がよろしいかと」
「仕方ない、ヘイルダームのタバコ農地をいったん召し上げ、それをリノフの農民に分配しよう。今年の農作はなんとかそれでやり過ごすしかあるまい」
大臣は、太い眉をぴくりと持ち上げた。
「しかし、それだとヘイルダームの魔族がまた暴動を起こしませんか?」
公爵は顔をほころばせ、にんまりと笑った。
「なあに、暴動など起こさせておけば良いのだよ。我々は偉大なる魔王討伐軍だぞ? 正義の軍隊を送り込んで、汚らわしい魔族どもを蹴散らせば済む話ではないか。人々の生活を脅かした魔族を退治して、私の軍はさらに名声を得る事うけあいだ、罰としてヘイルダームに賠償金を請求するというのも面白いぞ!」
大臣も口の端をにんまりとつり上げ、笑いが堪えきれない様子だった。
「公……おぬしも悪よのぉ……!」
「うぇあーっはっはっはっはぁ!」
権力を手に入れた公爵城は、まさに絶頂にあった。
しかし、どんな権力もいずれは滅びてしまうものである。
笑いの絶えなかった玉座の間に、仮面の男が颯爽と現れた。
ノックも挨拶もせず、ずかずかと深紅の絨毯を進んでいった。
人を呼ぶことも忘れてぽかんと見とれている公爵と大臣の前で、びたっと立ち止まると、彼は仮面を脱ぎ捨てた。
大きな傷のせいで顔は醜くゆがんでいたが、涼しい灰色の目の下には、忘れようもない船の形をした傷があった。
「はぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
公爵と大臣は天地がひっくり返ったような絶叫をあげた。
***
サーラが仲間に隠していた事がひとつだけあった、それはゲールハーツが生きていたということだ。
魔界に侵攻している間は忙しすぎて忘れがちだったが、彼女の目的はたったひとつ、『ゲールハーツに一言文句を言う事』だった。
魔王城の手前で待機させられている間、誰の治療をする事もなく暇を持て余しているときに、今度こそはと彼の後を追いかけていったらしい。
城の内部まで進んで、凶弾によって倒れたゲールハーツを二人の兵士が運んでいるところにばったり出くわしたのである。
弾丸は主要な神経を傷つける事なく貫通したらしく、彼女の治癒魔法で奇跡的に一命は取り留めたものの、意識不明の危ない状態が何日も続いていた。
それから二人の兵士たちとサーラは協力して、誰にも明かすことなく、今日まで魔王城の秘密の部屋でゲールハーツを匿っていたのだった。
こうしてヘグニ公爵と大臣は失脚し、アンドラハルを統括する役はゲールハーツに一任される事となった。
彼は魔族と人間の格差をなくすべく尽力し、後にイーサファルトの王位を継ぎ、アーディナルに真の平和をもたらした仮面の王として名を残すことになる。
彼はときおり北部にあるカルゼチバン山脈に足を運んだ。
そこには主を失った後も空を飛び続け、最後に山の頂に墜落した天空城があった。
彼はときおりその山に登っては、城に作られた小さな墓碑に花を添えるのだった。
コスモスの咲き誇るその墓碑には、「気高きイーサファルトの王女、ここに眠る」とだけ刻まれており、誰が作ったのか今となっては知るよしもないが、参拝客は現在も耐えない。
この天空城にはときおりエルフが現れるという。
遠くの様子を見るのに都合が良いのか、高い所からずっと遠くの地平を見ているのだそうだ。
彼女の見つめる先、遙か遠くのあぜ道を、馬にひかれて幌馬車が進んでいた。
幌馬車の後ろにワイシャツ姿の男と、鎧を着た少女が腰掛けている。
鎧を着た少女はうつらうつらしていて、ぼんやり来た道を見つめているワイシャツの男にもたれかかっていた。
――眠いか。
――はい。
――もうじき国境だ。
――大丈夫でありまする。
――辛くはないか。
――辛くなどありませぬ。たとえどこに逃げ落ちても、ミュシャさまは、それがしがお守りいたしまする。
妖精ミユンは長い耳を、ぴくぴく、と振ると、人間の不思議に思いを巡らせるような顔をして故郷の森に引き返していった。
――その後、様々な憶測や逸話が勇者の伝説を大きく変貌させ、赤い星が生み出した最後の勇者の伝説はアーディナル大陸に伝播していった。
――さまざまな話を聞いてきたが、どれも真相とはほど遠かった。唯一共通しているのは、仲間達が駆けつけたとき、魔王と決闘を果たした勇者はすでに消滅していたという事だけである。
――相討ちになったとも、世を儚んで心中したとも、あるいは二人で手を組んで逃げ延びたとも言われている。
――いずれにしろ、その後二人の行方は依然として不明のままである。
(イーサファルト王立図書館貯蔵〈ゲールハーツの手記〉より抜粋)
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