悪魔の石
天空城。オルフェウスが立ち上がった。
「冗談でしょう! あの魔法が、勇者の魔法じゃなかったなんて!」
兵糧のベーコンにかじりついていた一行が目を丸くした。
「えっ、今まで知らなかったの?」
「えーっ! 勇者の魔法だったのか! 俺は最初からあの薬師がやったんだと思ってたけど!」
「おいおい、常識的に考えてみろよ、あのお嬢ちゃんが大魔法なんか使えるわけないだろ?」
最初からゲールハーツ派に所属していた彼らは、みなその事実を知っていたらしい、オルフェウスは顔を真っ赤にして叫んだ。
「だって……だって、僕たち魔術師団は、あの魔法を使ったのが勇者だったと、確かに聞いたんですよ! 皆さんがそう言ったんでしょう!」
「言った……かな……」
「言いましたよ! 僕がゲールハーツ派に鞍替えしたのも、もう一度あの魔法が見られるかもしれないと思ったからだって、そうみなさんに言ったでしょう! けどみなさん、あの魔法がない事を知ってて僕らに黙ってたんですか!?」
「ああ、けどあの時はどうしても魔法使いが欲しかったし、仕方なかったんだ」
「何が仕方なかったんですか! 僕たち魔術師団に言わせれば、討伐軍は魔法使いの人数が圧倒的に足りない状況だったんですよ! つまり、敵の魔法に対して無防備だったんです! けど多くの魔法使いが勇者の実力を認めて魔界へ侵攻するのを認めたんです!」
一同は、気まずそうな顔を見合わせた。
「だから『あんな事』になったんですよ! もともと無謀な戦いだったんだ!」
オルフェウスは杖を投げ捨て、怒った様子で扉の前から遠ざかっていった。
「どこへ行くんだ」
「集中が途切れました! すこし頭を冷やしてきます!」
オルフェウスが去ったあと、一同は暗い面持ちをしてうつむいていた。
恐ろしい出来事を思い出すように、サーラは青ざめ、がくがくと震えている。
「アッカ、サーラ……二人ともオルフェウスについていてくれ……あいつ一人じゃ何が起こるか分からない」
「ああ……」
サーラは、こくこく、と頷くと、地面に落ちていた賢者の杖を拾って、オルフェウスの後を追いかけていった。
「まいったな……」
サージは両手で顔を拭って、深い息をついた。
その場に残ったのは超然とした態度のミユンと、超然とした態度のイーラだけとなった。
「ミユン、ここまで話を聞いてきて、俺はまだ納得できない……どうしてあんな事になった……魔界に戻ってきた途端、あいつは魔王として目覚めちまったのか? 一体ミュシャに何があったんだ?」
***
ミュシャは激しい痛みと共に目を覚ました。
生暖かい物が額から伝い落ち、毛足の長い絨毯に滴った。
傷を確かめたかったが、どうやら両手は後ろ手に縛られている。
床には本が散らばっていた。見覚えのある本だ。
どうやら彼は魔王城の彼の書斎に戻ってきたらしい、まったく意にそぐわない形で。
「貴様ら……!」
彼の目には、彼を迎えに来るはずだった魔術師達のローブの裾が見えていた。
アリハランの精霊は、そろって覆面で表情を隠していた。
「どういうつもりだ」
「我々はあなた様をお迎えに上がった次第にございます、魔王殿下」
ミュシャは歯を食いしばった。どう考えた所でこれは好意的な方法ではない、拉致だ。
竜は契約を重んじる種族だ、コッシュート一族が彼を裏切る筈はない。
考えられるのは、アリハランの裏切りだ。
「三大国ともあろう者達が、ゼブルのような異端者に屈したというのか……!」
「とんでもない、我々は彼の思想に共鳴したのです。シルト一族の末裔、彼こそは正統な魔王だと、三大国はすでに認めております」
「正統な魔王だと?」
またミュシャの聞いたことがない話だった。
いきなり大きな手がミュシャの襟首を掴みあげた。
レバーのように赤い鬼の手が、空中の何もない所から生えている。
「魔力が元に戻っていますね。おかしいですね、念のために、我々がもう一度封印させていただきましょうか」
精霊はふわりと浮かんでミュシャのすぐ目の前に移動すると、小さな瓶を取り出した。中には白い結晶が溜まっている。
赤い手がミュシャの顎を掴んで、無理矢理口をこじ開けた。
ミュシャは抵抗しようとするが、腕はびくともしない。精霊は小さな瓶の中身を残らず口の中に落とした。
「ぐ……うぅっ……!」
強い力で頬を殴られ、ミュシャは再び絨毯の上に倒された。
結晶をはき出そうとするが、すでにいくらか飲んでしまっている。
熱を放ち、結晶が徐々に熱くなっていく。体中から白い光があふれだし、蘇った力が再び失われていくのを感じる。
「なるほど、悪魔の力を借りていたわけですか」
精霊はいつの間にか邪悪な首飾りを手に提げていた。
ミュシャは強烈な目で彼をにらみつけたが、精霊の顔にはまったく感情というものが感じられない。
「これは我々がお預かりしておきましょう。さて、魔王城は確かにブルム一族にお返しいたしました。魔王殿下もそこにお連れいたしました。これで我々はお役放免ということですね。では、ごきげんよう」
精霊達の姿はぐにゃりと歪み、灰色の線を残して消えた。
「ぐあああああっ!」
ミュシャは堪えきれずに叫んだ、体の中で結晶はますます熱くなっていった。まるで生命力まで搾り取ろうとするかのような勢いだ。
わからない。ミュシャには分からないことだらけだ。
コッシュート一族の話と実際の魔界の情勢が大きくずれているのはなぜだ。
シルト一族が正統な魔王だというのはどういうことだ。
ゼブルは一体どこに行った。《新天地》という場所か。《新天地》とは一体何なのだ。
あるとき、ミュシャはうずくまったまま、じっと耳を傾けた。
浅い呼吸を繰り返しながら、なにかの音を聞いていた。
銅鑼の音だった。銅鑼が同じ間隔で鳴らされている。
やがてその間隔が、次第に早くなっていく。
ミュシャも何度か聞いたことはあったが、それは魔界の物ではなかった。
イーサファルトが出陣の時に、兵士達を鼓舞するために打ち鳴らす楽器だ。
「まさか……」
人間の怒号が押し寄せてくる。そしてそれに応戦する魔物の声も聞こえてきた。
魔王討伐軍だ。
到着があまりに早すぎる。三大国を素通りしたとしても、出立から一ヶ月やそこらでたどり着けるような距離ではない。
時空魔法を使って送り込まれたというのなら話は別だが、そんな高度な魔法を討伐軍が使えるはずはない。
ここにきて、ミュシャはようやく自分が城に連れ戻された理由を察した。
ゼブルが恐れているのは、ミュシャそのものではない、ミュシャと同じ血を引くブルム一族、そしてゼブルの抵抗勢力である竜の一族だ。
魔王城を取り返し、ミュシャをそこに連れ戻した。アリハランがそう報告すれば、もはやコッシュート一族がゼブルから隠れている意味がなくなる。
さらに魔王城が人間に攻められているとなれば、ゼブルに与えられた守場を離れてでも駆けつけるに違いない。
反乱の意のある者は魔王城で戦い、ゼブルにつくものは《新天地》へと逃げる。
ゼブルは反乱の意志がある者達をここでふるいにかけるつもりだ。
「ちくしょう!」
ミュシャは仰向けになって、怒号の響き渡る空に向かって吠えた。天窓の向こうには、いまや月ほどの大きさになった不気味な赤い星が輝いていた。
「これで勝ったと思うなよ、大佐ァ!」
戦闘の音はますます激しくなっていった。
魔法が放たれる音、剣で物を叩く音、次第にミュシャのいる書斎に近づいて来ている。
魔法の使えない状況は、かつて毒を飲まされたときと一緒だったが、両手を縛られた状態では天窓から逃げることすらできない。
いや、それ以前に彼はもう逃げてはならなかった。
首飾りは精霊達に奪われてしまった、だが、首飾りだけだ。
ミュシャは足を振り上げると、ズボンの裾から琥珀色の石を放り投げた。
万が一のために一つだけ首飾りから取り外しておいたのだ。
机に体当たりし、山と積んであった本を床にばらまいた。
ばらまかれた本の上にひざまずくと、顎をくっつけ、紙の上に頬を伝う血を塗りつけていった。
魔力で線を書けない今は血で直接書くしかない。
琥珀色の魔石を中心に血で魔法陣を描ききると、ミュシャはばったりとその真ん中に倒れた。
出血多量で意識がもうろうとしている。
ついに討伐軍は書斎の前まで到達していた。
テンプテーションの魔法にでもかかっているのか、その怒号はまるで狂気にに満ちていた。
どうやら兵士達は城を攻め落とすことに夢中で我を忘れている。
外のことを一切意識から追い出すように、ミュシャは呪文を口ずさんだ。
書斎の扉に破城杭か何かがたたきつけられ、扉が大きく軋んだ。
今にも打ち破られようとしている扉のすぐ側で、ミュシャは呪文を唱え続けていた。
ミュシャは絨毯の上に額を打ち付けた。
「……くそっ! 出ろ! どうしたはやく出てこい!」
だが、琥珀色の石は一向に動き出す気配がない。もはや彼の血液からも魔力が失われてしまったというのか。
もう一度破城杭がたたきつけられ、扉が大きく歪み、蝶つがいが弾ける音がした。
ミュシャはばたりと顔を横たえた。
そしてもう一度、静かにゆっくりと呪文を呟いた。
「汝、石に閉ざされし、大いなる力よ、求める声に、耳を傾けよ、さすらば石は開かん、大いなる力を持って、汝」
兵士達が声をそろえ、破城杭がたたきつけられた、その瞬間、扉の打ち破られる音が引き延ばされ、ミュシャの耳に波のように響き続けた。
見渡すと、書斎のあちこちに、紫色の炎が灯っている。
はじけ飛んだ扉の破片や、風圧で浮かび上がった本が、そのまま宙に留まり、ゆらゆらと前後に揺れていた。
ぼんやりと体を起こしたミュシャは、目の前に黒い要塞のような怪物がうずくまっているのを見た。
刃で武装されたような鱗が胴体をくまなく覆っている。そこから長い首と、コウモリのような翼、短い手足が生えていた。
酸っぱい果実のように赤い目、宙に浮かんでいる尻尾は、麦穂の形に酷似していた。
石に閉じ込められていた悪魔、《黒竜》は、ワニのような口を開いてミュシャに問いかけた。
「汝れ、魔王の子かよ?」
ふらふらしながら、ミュシャはようやく体を起こすと、黒竜を苦々しげににらみつけた。
「……俺が呼んだら、三秒で出てこい!」
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