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その場を解散になり、それぞれが元の場所へ帰るためにその場から離れようとする中、ホーフェンは、突然腕を引かれ、茂みに引っ張り込まれた。
崩れた体制を整え、背後にいたその人物に向き直ると、そこには憮然とした表情の元黒狼がたたずんでいた。
「……ユーリ?」
ユーリは、困惑したような、思い詰めたような表情をして、しばらくそのまま口を噤んでいたが、意を決したように、口を開いた。
「なあ、ほんとうにあれは、姫なのか?」
「ああ、間違いないぞ」
「ほんとにほんとか?」
「なんだ? 本人じゃなければなんだと思うんだ?」
「……あれと同じ声を、つい数ヶ月前、聞いたばっかりなんだ」
どちらかと言えば、勢いよく話すユーリにしては、妙に口籠もる。ようやくといった感じに口を開いたユーリから告げられた話に、ホーフェンは思わず笑顔も固まった。
「……カセルアの王太子の声に、似すぎじゃないか?」
「……あー。えーと……」
「エイミーが聞いていればあいつに確認できたんだけど、あいつ、階級としては一番下っ端だから、たぶん姫の声は届いてないし」
舌打ちでもしそうな様子のユーリに、なんと答えたものかとホーフェンは思案していた。
「……まあ、ご兄妹だし、似てても当然だろう。なにより、ノエルがあれを姫だと認めている。それ以上に、何か必要か?」
ホーフェンの言葉に、ユーリはしばらく胡散臭そうに首を傾げていたが、そのうちに大きなため息と共に、体の力を抜いた。
「わかった。聞くならノエルに聞けってことなんだな?」
「ま、そういうことだ」
肩をすくめたホーフェンに、ユーリは再びため息を吐き、頭をがしがしと掻いた。
「……この荷物、なんかやけに重くないか」
「量は少ないのに、おかしいな」
使用人達が、荷物用の馬車から、姫の衣装箱などの荷物を降ろしながら首を傾げる。
普通、衣装箱の中身は、服である。
確かに服はかさばるし重さもあるものだが、これはその想像以上に重いのだ。
何が入っているのかはわからないが、まさか中を検めることもできないので、二人見つめ合ってどうするかを考え込んでいた。
その様子を見て、騎士たちも手伝うために集まってくる。
集まった三人の騎士たちは、さっさと馬車の中に入り、それぞれ、手近にあった荷物を手にした。
そのうちの一人が、小さな箱だと思って手に取ったものを見て、ぽかんと口を開けた。
「……なあ、これ、衣装箱というより……武器用の保管箱じゃないか?」
一人が呟いた言葉に、全員がそこに視線を集中した。
その手元にあるのは、長さも幅も、まさに槍などの長物をしまうための箱である。
言われて、改めて姫の荷物をじっくりと見てみれば、どれもこれも、形といい大きさといい、騎士である自分達にはなんとなくしっくり来るような、なじみのある物ばかりのような気がする。
その中に、蓋もされないまま、無造作に木箱に入れられた馬具を見つけ、さらに首を傾げた。
「……なんで病気の姫の持ち物が、武具や馬具なんだ」
「姫はずっと寝てるから、荷物は少ないんだろ、きっと。これは、誰か別人の荷物なんじゃないか?」
「……姫じゃなければ、誰の持ち物だって言うんだ。カセルアから来てるのは、姫と女官の二人きりなんだぞ?」
騎士たちの中に、拭い去れない疑問がわき上がる。先程見た、威風堂々という言葉の似合うあの女性が、病気持ちだというのが、やはりどうしても信じられないのである。
「なあ、そもそもあれ、ほんとに姫なのかな」
「ノエルがあれを姫だと言って迎え入れた。もし違うなら、あんなに笑いながらしかも自分が抱えて城に入れるか?」
「じゃあ、この武具を使うのは、誰なんだ。姫の持ち物が、他に見あたらないんだぞ? これはあの女官さん一人の荷物で、姫のはまた別便でも来るのか?」
全員が、肯定も否定もできず、使用人達だけでなく騎士たちまで手を止めて思案しはじめる。
その場の重くなり始めた空気を破ったのは、想定外のモノだった。
にょきっと、馬車の扉から、芦毛の馬が顔を入れてきたのだ。
つぶらな瞳を、馬車の中にいた騎士たちに向けながら、くりっと首を傾げる。
その馬は、しばらく馬車の中を見つめていたのだが、何を思ったのか、突然騎士たちの間に顔を割り込ませ、ぐりぐりと鼻を押しつける。
「な、なんだ?」
「どこから来たんだ、この馬!」
驚き、入り口付近にいた二人が、慌てて馬車から降りる。
改めて、首だけ見せていたその馬を見ると、カセルアの紋章が入った、緑色の馬着を身につけていた。緑は、カセルア王家の旗の色であり、それはこの馬が、王家の所有する馬であることを表している。つまりこの馬は、輿入れの荷物の内に入っているのだろう。
「カセルアの馬?」
「なんだってわざわざ、ここに馬なんか引っ張ってきたんだ?」
あきらかに、馬車を引かせていたわけではないその馬を、カセルアからつれてきた理由がよく分からず首を傾げる。
「もしかして、黒騎士に贈り物ってか?」
「馬なら、さすがにカセルアよりうちの方が産地は多いぞ?」
なぜか少し機嫌の悪い芦毛の馬は、落ち着かない様子のまま、騎士たちに鼻を押しつけ、足を踏みならす。
しばらく二人がかりで宥めてやると、なぜか首をうなだれ、目を潤ませた。
「なんなんだ? あ、もしかして、水か餌でもほしいのか?」
「しょうがないなあ」
騎士たちは、愛嬌のあるこの馬を放っておく事もできず、体を撫でてやり、馬房に連れて行こうと方向を変えた。
「あ、馬鹿。その馬に触るな!」
その時になって、茂みから出てきたホーフェンが、騎士たちを慌てて止めようと一歩踏み出したが、遅かった。
蹄の音が地響きと共に聞こえはじめ、あっという間にそれが姿を現した。
ものすごい勢いで走ってきたディモンは、そのまま馬車と、芦毛の馬の周囲をぐるぐる回り始める。
「あああ……来ちまった。お前ら、いいから馬車の中に逃げとけ!」
「なんなんだよ! 了解っ!」
慌てて馬車に向かおうとすると、ディモンが勢いづいて走ってきて、大きく前足を上げるのが見えた。
ディモンが、その騎士に大きく足を振り下ろす寸前に、二人は馬車に転がり込む。
「いったい、なんだ?」
恐る恐る馬車から顔を出してみると、芦毛の馬はディモンを見て、嬉しそうにトコトコと近寄っていた。迎えるディモンの方も、先程とは打って変わって大人しくそれを待ち構え、首元をお互い擦りつけ合う。
その様子は、先程のクラウスと姫以上に仲睦まじく、あきらかにこの二頭が、お互いの面識以上のものがある事が伺える。
それを、馬車の中から見た騎士たちは、みな同じような、唖然とした表情でそれを見守っていた。
「……どういう、ことだ?」
「それは、ディモンの番だ。ほっとけ。ディモン、フューリーの馬房は、ノエルがお前の所に作ってあっただろう。そこに入れてやれ」
ホーフェンの言葉に、ディモンはフンとひとつ鼻息を出すと、フューリーを促し、元来た道を帰っていく。
それに、フューリーまで大人しくついて行ってしまったのだが、それを疑問に思うよりもまず、ディモンがホーフェンの言葉を普通に聞き分けていることに驚いていた。
「いつの間に、ディモンはお前の言うこと聞くようになったんだ?」
「言うことを聞いてるわけじゃなくて、あいつがわかってることを再確認しただけだ。あの芦毛は、フューリーと言って、ディモンがカセルアで見つけた嫁だ。姫の輿入れと一緒に連れてくる約束になっていたんだよ」
二人の騎士は、それを聞き、馬車の中でぐったりとくずおれた。
「そういうことは、先に教えといてくれよ……」
「フューリーは、主人を呼んでほしかったんだろうが、ディモンはどうやって嫁が来たのに気が付いたんだろうな」
首を傾げていたのだが、その疑問は、自分の馬を厩舎に戻してきたグレイが、ディモンとすれ違いに帰ってきた姿を見て納得した。
「……ディモンが突然出て来たのは、お前のせいか」
「……俺の顔を見た瞬間、柵を跳び越えたのは間違いないが、移動自体は歩いていた。突然走り出したのは、俺のせいじゃない」
この場所の、騒然とした雰囲気を見たグレイは、何か納得したように頷いた。
「なにも説明しないままだと、こうなるとは思っていた」
「ああ、まあな……。あー、お前ら、その荷物は、とにかく姫の衣装部屋に運び込め。いいか、間違っても、衣装部屋以外の場所には入るなよ。どんなことになっても、助けには行かないからな! 箱も開けるな。女の荷物を漁るような真似をやらかしたら、その隊全員に責任を取らせるからな!」
「了解です!」
ホーフェンの一声で、その場に残っていた騎士たちは、めいめいの作業に戻っていった。
その様子を見ながら、重いため息を吐いたホーフェンは、隣にいた仏頂面の同僚に、たったひとつ疑問に思っていたことを訊ねた。
「……なあ、お前の部下、なんであんな青い顔になってたんだ?」
「……サーレスは、どうやらブレストアに足を踏み入れたのが初めてだったらしい」
突然、疑問とは別の返答が成されて、ホーフェンは首を傾げた。珍しくもその顔に苦笑を浮かべたグレイは、呆れたように肩をすくめた。
「旅自体は、ユリアさんを姫の身代わりにして、サーレスの姿で行っていた。あの人は嬉しそうに、毎晩、宿の酒場で、ブレストアの銘柄の酒を飲んでいたんだ。あいつらは、さんざん呑み負かされた相手が花嫁本人だったことに、今日の朝、初めて気が付いたんだ」
「……なるほど」
とても納得できる話だった。
「ほどほどにしておけと言ったんだが、昨夜は、ノルドの酒場に一緒に行く約束もしていた。あの人が奢ってくれるそうだぞ。その時の様子が、目に見えるようだと思わないか」
とてもとてもよくわかる。
ホーフェンなら、絶対行きたくない。
笑顔のサーレスの背後で、機嫌がどん底まで落ち込んだクラウスが、その場を睨み付けているのが、容易に想像できる。
そんなまずそうな酒、誰が好き好んで呑むものか。
「……あいつらの勇気が試されるな」
「それでまともに呑めるほど肝が据わっているなら、たいしたものなんだがな」
二人の隊長は、揃って肩をすくめていた。