夜の訪れと共に来る一日の終焉を、私は心地いい程度に揺れる電車内で、流れ来る窓越しの景色を眺めながら過ごしていた。窓越しには、夜の世界を照らすはずの星々がまったく姿を現してはおらず、代わりにそのまま天地をひっくり返してしまったのではないかと思えるほど、人工的な輝きが街を燦然と輝かせている。
それは確かに美しい輝きで、もはや脆弱な星々の輝きなどは世界に必要ではないと言っているようでさえあった。不確かな天候、季節の変化などの状況で変わりゆく輝きなど、現在の忙しない世界では不必要なのかもしれない。そうとさえ思った。
今更ながらつまらない人生、つまらない時間を送っているな。その景色を眺めながらそんな事も考えていた。つまる所消えてしまった星々は私の夢で、それを消すかのよう輝く街の輝きは今の私そのものだ。
私は窓から少し視線を逸らし、興味の惹かない中刷り広告をしばし眺め、すぐにやめた。暇だったのだ。そして疲れのせいか無性に眠かった。今すぐまぶたを閉じたら、さぞ気持ちよく眠りにつけるだろうと思ったが、私は電車で寝ることをよく思わなかった。だらしが無いと考えていたのだ。だから周りを観察しようなどと思ったのだろう。私は眠気を誤魔化すように視線を走らせた。
*
私は何も考えず辺りを見た。電車内は静かなもので、私の他には近くに座る大きめのカバンを大事そうに抱えた少年が、ウトウトと寝息を立てているのと、ちょっと離れた所に何かの本を熱心に読んでいる老人が座っているくらいだった。
ちょうどその時、近くに座っていた少年が抱えていたカバンを手から落としてしまっていた。静かな車内に大きな音が響き、カバンの中身が同時に散乱した。少年はその音で目を覚まし、恥ずかしいのか赤面しながらあわててその散乱した品々を掻き集めようとしていた。
私はなんとなく席を立ち、その散乱した品々を拾った。親切で立ち上がった訳ではない。ただ、暇だったのだ。
「大丈夫?」
私は最も遠くへ飛ばされていた本や筆箱を手に取り、少年に語りかけた。すると少年はすまなそうにこちらへと歩み、
「あ、ありがとうございます。寝ていてしまったみたいで」
そう言って丁寧な仕草で品々を受け取った。私はそのまま近くの開いている椅子へと腰をおろし、また少年もその近くへと座った。カバンは床に置いている。
そして私が手渡した本をカバンにはしまわず、眠気を誤魔化しているのであろう、黙々と読み始めた。
「何を読んでるの?」
私は少年に話しかけてみた。すると少年は読んでいた本の表紙をこちらへと向け、
「銀河鉄道の夜だよ」
そう教えてくれた。
銀河鉄道の夜。昔よく読んでいた小説だった。まだ小学生くらいの時に読んでいて、よく仲のいい友達と天の川を銀河鉄道のレールに見立てたものだ。
「私も読んだことあるよその小説。それを読んで銀河鉄道に乗ってみたいと思ったんだ」
そう述べると少年は弾ける様にほほえみ、細かい仕草でうなずいた。
「僕も銀河鉄道に乗りたいと思ったんだ!」
純粋な少年だ、そう思った。そして私にもこんな時期があったんだという気持ちが沸いて来て、なぜか少しだけ悲しい気持ちになってしまった。
少年と話を続ける。
「もっと遠くの、そうだな街の明かりが一切届かないような丘に登ってごらんよ。きっと沢山の星が見えるから。その中に天の川があってね、それが銀河鉄道のレールなんだよ」
「うん、そうだね!」
少年は笑っていた。私もどこかうれしい気持ちになっていて、すこし純粋さを少年から貰っている気がした。
それから私と少年は銀河鉄道について、まるで夢物語のような話をした。きっと鳥たちは銀河鉄道を見ているだとか、星の間を通ると眩しさで目を開けてはいられないに違いないだとかを話した。
そうして夢中になって子供に戻ったような気分でいると、突然目の前にさっきまでやや遠くに座っていた老人が現れて、私と少年が座る席の近くへと座った。老人はしわの多い顔を緩やかにほほえませ、
「ほう、なにやら楽しそうなお話をしておるようだね?」
私が唖然として老人を眺めている中、少年はまったく動じずその老人に答えた。
「僕たち銀河鉄道について話してたんです」
老人はほほえみ、
「君は銀河鉄道は存在すると思うかい?」
そう少年に問いかけた。
「もちろんあると思うよ」
その答えに満足したのか、老人は深くうなづいた。そして今度は私へと視線を向け、
「貴方はどうお考えですかな?」
そう問いかけてきた。しかし私は、
「いや……」
その問いにうまく答えることが出来なかった。普段ならそれは夢物語だと言えたかも知れないが、どうしても少年の前でそう言えなかった。
「なんで信じられなくなったの? 昔は信じていたじゃないか」
突然少年が私に対してそう言った。私はその問いかけに驚き、ただただ黙っているしか出来なかった。そして老人が言う。
「わしも忘れとったんだよ。でも最後に思い出せた。銀河鉄道を信じていたことをね。だが貴方はこのままだと完全に忘れてしまう。それは悲しいことだよ」
私には少年の言葉も、老人の言葉もまったく理解できなかった。ただ少年も老人も悲しい目で私を見つめていたのが、とても怖く、とてもつらかった。
「悲しいことだ。だがわしには教えることが出来る。さあ窓の外をごらん」
老人はそう私に促した。私は視線を窓の外へと向けた。街の明かりのみが輝きを見せているはずの景色へ。
だがそこに広がっていたのは、決して人工では生み出せない、圧倒的な星々の輝きだった。まるでシャワーから噴出した雫のように光が溢れ、それら一つ一つがまったく別々の色で輝いていた。電車の速度により、緩やかにも雄大に星々が流れていた。
私はその光景にただただ圧倒され、星の流れに吸い込まれてしまうのではないかとさえ感じた。そんな状況で老人は言った。
「いいかね? 信じることが道なんだよ。貴方にはまだまだ時間がある。だが決して確かではない。貴方が何もしなければ、それはすぐに消えてしまうんだ。貴方にはそれは長いのかな? それとも短いかな?」
私はもうその言葉がうまく理解できないほど、本当に吸い込まれそうな、それでいて沈んでいくような、そんな感覚に襲われていた。そして完全にその感覚に支配されそうになったときに、少年がこういったのが聞こえた。
「大丈夫、だって僕が信じていたんだから……」
*
私がその感覚からようやく解放されたのは、車内で駅への到着を告げるアナウンスが流れ、そして自動で重そうに鉄の扉が開く音を耳にした時だった。
私はあわてて席を立ち、扉が閉まる前に駆け足でプラットホームへと飛び出した。同時に私の背後で扉はしまり、ゆっくりと電車が走り出して、そして大きな轟音と共にプラットホームを去っていった。
プラットホームには人気がなく、深夜ともあって澄んだ空気と、体を芯まで凍えさせるような冷気に満ちていた。
そんな中私はまだ頭がぼうっとしていて、さっきの出来事が何だったのかさえわからずに、ただ足を改札口のある階段へと向かわせた。
そして改札口を出て、私は大きく深呼吸をする事で、ようやく落ち着いて物事を考えれるようになった。私は最終のバスがもうとっくの昔に発車してしまっているであろうバス停まで行き、そこに設置されてある長いすへ腰掛けた。
あれは何だったのであろうか。私にはそんな言葉しか頭に浮かばず、どう考えても夢であったという結論しか思い浮かばなかった。
私は深夜の冷気にあてられて凍えきった体を震わせながら、燦然と輝く街の明かりに目をやり、そして何も輝いてはいない夜空へと視線を向けた。その何もない闇は私の心を酷く悲しい気持ちにさせ、また惨めな気持ちにさせた。
思えばいつから私は空を見なくなったのだろう。そしてその空を銀河鉄道が走らなくなったのだろう。そんな考えがふと流れた。
私は長いすを立ち、燦然と輝く街に向かって歩き出した。そしてこの時にこう考えていた。
――そうだ銀河鉄道を見にゆこう――
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