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皇女と招獣
作:ばいばるす



第九話 無能 (3)


 僕を殺しますか?

  そういったナリタカの声音に普通でないものを感じたのか、イリューシャは少し驚いたように眉を上げ、次いで探るように潜めた。
 「殺されたいのか?」
 「……なんで、そうなるんですか?」
 「そういっている風に聞こえた」
 心中をおしはかるような視線を受けて、ナリタカは反射的に目を伏せる。
 「別に。あなたの意図を確認しておこうと思っただけです。もっとも、僕に対して殺す殺さないの脅迫が無意味なのは確かですが」
 気配と足音で皇女が近づいてくるのが分かった。やがて伏せられたナリタカの視界の中に、皇女の足が止まる。
 「死ぬのが怖くないとでも言うのか?」
 至近距離に相手の気配を感じる。顔を上げれば、目線の位置に皇女の顔があるだろう。それでますます顔を上げられなくなった。
 「だったらどうだって言うんですか?」
 声が上ずって、悲鳴のように響いた。
「いや、うらやましいと思ってな」イリューシャは息をついた。「……私は怖い」
 「……」
 「私は死ぬのが怖い」
 自嘲気味に皇女は続けた。
 「怖くて怖くて、たまらない。何もなさぬまま……何者でもないまま、死ぬのが怖い。誰にも価値を認められぬまま、認めさせることが出来ぬまま死んでいくのが」

 怖い?
 ナリタカは拳を握り締める。
  ―――誰にも価値を認められぬまま
 目の前の傲岸不遜な皇女には、およそ似合わない言葉だと思った。
 それは、そんな言葉は、仮にも皇女という大仰な肩書きを持つ人間のものなどではない。
 忠実な部下と広大な屋敷とを所有し、辺りを払うような存在感と容姿と、自信に満ち溢れた皇女の…およそ劣等感とは無縁な人生を送ってきただろう人間のものであってはならない。
 それはナリタカのものだ。

 「私が死んで喝采を上げるだろう連中を喜ばせてやる義理もないしな」
 皮肉のつもりだったのかもしれないが、その声は皮肉というには少々余裕を欠いていたかもしれない。
 「侮られ、かえりみられないまま死んだら、それは相手が正しかったと肯定するようなものだ。年少だった私を軽んじた人間、私を手駒として扱い、しかも下手をうって何もかもを台無しにした人間、私を無視しうとんじ、遠ざけようとした人間……」
 平坦な声の底に小さな亀裂がいくつも生じ、そこから何かが沁み出していく。 
 痛みと熱をともなったそれは、ぽつぽつと落ちては心の底に溜まっていき、いつしか向かう場所を求めて流れ出す。
 いまはまだ、かぼそい細流であっても、いつか、それは一つの大きな流れに育っていくだろう。そして、いつかきっと、そのうねりは―――
 ナリタカには分かる。それはかつて、ナリタカの感じた流れでもあったから。感じて、そして身をゆだねることが出来なかった流れだったから。

 不公平だと思った。こんなのはとても不公平だ。
 なぜ自分と同じものをこの女が持っている? そしてなぜ、彼女と同じものを自分は持っていない?
 流れの先にあるものが何であれ、それは少なくとも停滞の淀みではない。救済であれ、破滅であれ、それはきっと何かを変える力だ。今の自分ではない自分をつくっていく力だ。

 「見返してやりたい」
 皇女は言う。ナリタカの羨望に気付きもせずに。
 「一人残らず、見返してやる。後悔させてやる」
 そんな風に思えたなら、何かが変わっていただろうか? 屋上から飛び降りずに生きていけただろうか? 自分自身を嫌いにならずに済んだだろうか?
 「振り向かせてやる。私を見させてやる、あの目に。もう二度と背中など向けさせない。視線をそらさせたりなどしない……」

 ナリタカは顔を上げた。
 きりもむような碧の眼差しが、ナリタカを通し、その先にいる誰かを見つめていた。おそらくは振り向かせたい誰かの背中を。
 壊れんばかりに張り詰めた瞳に浮かぶ光を、強さと呼ぶべきか弱さと呼ぶべきか、ナリタカには判断できない。
 ただその碧の瞳に胸をつかれ、目を奪われて離せなかった。
その眼差しは、立ち止まり座り込み、よどんでいく事しか出来なかった自分とは、あまりにも対照的だった。

 皇女の瞳がふっと緩み、紅い唇が最初と同じシニカルな笑みを形作る。
 「なんて、な。そういう感傷も生きていく原動力になりうるという話だ……だがナリタカ、お前にはないのか? 生きていく理由は。つまり、やりたい事、心配してくれる家族、見返してやりたい人間、そういったものは?」
 その問いの残酷さに気付いているのかいないのか、皇女は突如として矛先をナリタカに向けた。
 そしてナリタカは沈黙でしか答えられない。拳を握り締める手に自然、力がこもった。
 「まあ、いいさ」
 皇女は肩をすくめる。
 「死を畏れぬ招獣というなら、それはそれで結構なことだ。それに元の世界に対する、しがらみなど邪魔なだけだろうしな」
 「……僕は招獣なんていうものじゃない」
 否定しなければならない気がした。ただ否定するためだけに否定した。何かを。彼女の言葉を。主張を。存在を。その一端なりとでも否定するために。
 「僕は招獣なんかじゃない」
 「まだ言うか」
 「別に“僕は”なんでも構わない。後悔するのは“あなた”だから言ってるんだ」
 皇女はナリタカの主張を鼻で笑った。
 「なるほど“私”のためにか? 思いやりに溢れる良い言葉だな。それで? 私は主人思いの招獣を持ったと喜べばいいのか?」
 「……勝手に期待されて、勝手に失望されるのは沢山ですから」
 「ほう、そんなに失望されてばかりの人生だったのか?」
 「あなたこそ、期待すらされない人生だったんですか?」
 ナリタカと皇女はしばし沈黙の間で対峙した。

 「……何か、いろいろと勘違いしているようだから言っておく」
 温度を下げた碧の視線が、絶対零度の冷ややかさでナリタカに通告する。
 「お前の自己申告は信用もされなければ、尊重もされない。お前が招獣がどうかの判断はあくまでもこちらが下す。お前を生かすか殺すかの決定も同じだ」
 「なら、さっさと判断して決定したらどうですか? 適正検査でも人間ドックでも何でもして、調べてみればいい」
 こんな茶番はもうたくさんだ。
 妙な誤解は早くといて、馬鹿な期待はそうそうに投げ捨ててもらわねばならない。それこそがお互いのためというものだ。期待が浅いうちの方が、失望も浅くてすむだろうから。
 母親が自分を見たのと同じ目で、この碧の目に見られたくはない。だから。

 いつになく好戦的な表情をナリタカは作って浮かべた。
 「それとも皇女様が本当に嫌なのは、僕が招獣でないと分かってしまう事のほうですか? 自分が失敗したと認めたくないんですか?」
 宣戦布告。挑発が図に当たることを、ナリタカは信じて疑わなかった。
 理屈ではなく、より直感の部分。本能と言い換えてもいい……知っていたのだ。
 ナリタカの存在の奥深くに、皇女と共有する部分があって、それがそのときは、何をどう言えば、相手を刺激できるかを知っていた。
 「怖いんですか? 自分が術士として無能だと認めるのが」

 皇女は笑った。無表情な笑いの下に押さえつけた感情が、気配だけ匂いたつような凄みのある笑いだった。
 「……いいだろう。発言権を認めた覚えはないが、飼い犬みずから芸をしたいと言っているんだ。付き合ってやるのも一興だ。付いて来い、ナリタカ」
 皇女は背中を向ける。扉の引き手に手をかけたところで、立ちつくしたまま動かないナリタカを振り返る。
「お前の望みどおりにしてやると言っているんだ。少しばかり試してみることとしようじゃないか」
「僕の招獣としての力をですか?」
 皇女は首を振った。
「お前と、そして私の“無能”ぶりを」












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