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  Flow 作者:森カラ
エピローグ 一
 事件から二週間が経った。

 神木は駅に隣接された、ファーストフード店内でホットコーヒーを飲んでいた。
昨日夜から朝方にかけて、今年初の降雪があり、僅か数時間のことだったというのに、駅前には茶色く汚れた雪の残骸が積もっていた。
誰がしたのか、踏まれ続けた汚れた雪は端に寄せられており、神木はコーヒーの湯気に塗れながら、世の中まだまだ捨てたもんじゃねえなとぼんやり思った。

 まだ午後二時を回ったばかりだというのに、店内には制服姿の高校生たちがたむろしている。
今日は試験でもあったのかと神木は思ったが、彼らにとっては毎日が試験日なのだろうと思い直した。

無駄に何席も占領し、時折前触れなく沸く笑い声に驚いては、コーヒーを零しそうになる。
一言言ってやろうとも思うが、関わり合いになるのも面倒で、神木はすぐ脇の窓の外へ視線を移した。

 昼過ぎから出てきた太陽に雪は解けて、地面は誰かが大量の水をぶちまけたように濡れている。
人が通り過ぎるたび、濁った飛沫が誰かの足を汚しているのが見えて、神木は思わず重たい溜息を吐いた。

徐に腕時計に目をやり、時間を確認する。
そろそろ病院に行こうと思い、腰を浮かせたところで声を掛けられた。

「神木さん、どうしたんですか。こんなところで」

 神木の視線の先には、いつの間に店内に入ってきたのか、井川と日向が学生服のまま立っていた。
肩にはカバンを提げ、明らかに学校帰りだと分かる。

「お前らは、試験なんだろうな」

 神木の独り言ともとれる呟きに、お互いに顔を見合わせた二人は気まずそうに笑い、どちらからともなく「自主休講?」と漏らした。

「そんな日本語はない」
「今日だけは勘弁してくれよ。ずっとこの日を待ってたんだから」

 神木の一言に、日向が片手を顔の前に拝むように翳し、悪戯っぽく笑って言った。
神木は無視する様を装いながら、日向の笑顔に内心ホッと胸を撫で下ろしていた。

あのアパートでの一件の後、厳しい事情聴取を終えた日向は、まるで歩く死人のようだった。
彼の事情聴取を担当した捜査員からも、少し時間を置いた方がいいのではないかと進言があったと聞かされていた。

笑顔は勿論消え失せており、ぼんやりとした目は、流血していた向井龍之介の目さえ思い起こさせるほどだった。
あまりの過酷な現実に、日向は日常を上手く取り戻せないのでは、と危惧し、神木は日向にカウンセリングを受けさせるため、数日間の入院を考えていた。
だが、井川がそれに待ったをかけた。

 ――僕に任せてくれませんか。

 そう直談判しに来た井川は、それまで見たこともないほど大きく、そして強かった。
神木はその井川の熱に折れ、日向を彼に任せて少し様子を見ることにしたのだった。

井川はあの一件で、力のない自分の弱さを認め、過去の後悔を嘆くことをやめていた。
自分が二十年も掛かってしまったことを、この少年はたった一人で、手探りでやってのけてしまったという思いは、神木に希望を持たせてくれた。
そしてその希望は、今本当に現実のものとなって目の前に現れている。

「お前らには、ほんと敵わないよ」

 神木は力が抜けたというように言うと、手を伸ばし、彼らの頭を乱暴に撫で回した。
柔らかな髪は少し汗で湿っていて、それはコーヒーの熱よりもずっとしっかりと神木の手を温めている。

「神木さんも行くんでしょう? 病院」井川は乱れた髪を直しながら続ける。「一緒に行きませんか?」

 いや、と首を振ると、照れからか、拗ねた表情をしていた日向が口を尖らせ、「何でだよ」と食って掛かってきた。
今日は警察病院に入院している、向井の一般見舞いが一日だけ許される日だった。
意識が戻ってから苛酷な事情聴取に拘束されていたが、それがようやくひと段落を見せていた。

 向井龍之介は現行犯逮捕された数時間後に、新たに請求されていた逮捕状を突きつけられることとなった。
罪状は殺人、及び死体遺棄。

それは紛れもなく、向井修造殺害の件のものであった。
被害者の皮膚を握った際に付着したと思われる、龍之介の僅かな血液が決め手だった。

ついに、世間を騒がせた殺人犯として公になった向井だったが、未成年であること、そして当時本人が意識不明の重体だったこともあり、親族以外の面会を完全シャットアウトしている状態だった。
これから実況見分の立ち会いや精神科医との面接など、裁判に向けて様々な情け容赦もない現実が向井を飲み込むことが予想された。

また向井の供述により、斉藤義彦殺害時に使われたと思われる凶器が押収され、鑑定がなされている。
まもなく出る結果に、向井の周囲はより喧騒を増し、彼に圧し掛かる罪の重みは更に増えるだろう。
その前に、どうしても一目会いたいと望んだ井川と日向の願いを、神木は最後に叶えてやったのだった。

「これから行かなきゃならんところがあるんだ」
「病院以外に、そんなところはない」

 断定口調で言う日向に笑いを堪えきれず、神木は噴き出しながら「内緒だ」とだけ答えた。
「内緒ってなんだよ」と呆れたように言う二人を置いて、コーヒーの入っていた容器を捨てに立つ。

ふと、先ほどまで騒いでいた高校生の集団の方へ目をやり、神木はその光景につい眉根を寄せ、動きを止めた。
彼らがまるで、電池切れでも起こしてしまったのかと思うほどに、どんよりとした異様な雰囲気を放ちながら、テーブルに突っ伏すようにしていたからだ。
外の通りを何気なく見ているその目は、いつか見た龍之介の醒めた目に酷似している。

(湧き出すように、出てくる)

 神木は思った。
引き攣るように痛む胃を服の上から摩りながら、飲み終えたコーヒーカップを捨て、店員にご馳走様と声を掛けた。

店員は二十代にも満たないであろう若い女性で、神木の一言に驚いた表情を見せたが、すぐに眩しい笑顔で「ありがとうございました」と頭を下げた。
神木はその愛くるしい笑顔を見ながら、そのすぐ隣では「生きる意味なんてあるのかよ」とでも言わんばかりに、死んだ目をした多くの若者が生きていることを、再び目の当たりにしていた。

「何鼻の下伸ばしてんだよ。このエロオヤジ!」

 日向が神木を肩で突き、井川が笑いながらその後をついてきた。
神木はその屈託のない笑い声を背に浴びながら、これを守りたいだけなのにとぼんやり思う。

戦うことは無意味だろうか。
最近ではゆっくり感じることのなかった気だるい午後の太陽に照らされていると、余計なことを考えない。

神木は心の中で苦笑しながら、自分は歳を取ったと感じた。
しかし間違ったことをしていると思っている訳ではない。
自分の上に降る彼らの声は、出会ったときよりも確実に安心に満ち、真っ直ぐで、未知を恐れていないと思えるからだ。

 神木は二人に向かって「うるせえよ」とやり過ごしながら、踏ん張っていれば、今より落ちることはあるまい、と楽観的になった。
そして楽観的になることは決して罪ではないと、刻み込むように自身に言い聞かせる。

 神木はこれまで楽観的になることを恐れ、そうあることを責めてきた。
楽観的であることは現実を直視することなく、逃げているに等しく、それは自己を保護する役割をも担っていると思えていたからだ。

しかし二十年の時を経て触れた少年の生んだ犯罪は、遣る瀬無いほど、自分たち大人にもその責任の一端があったという事実を神木にぶつけている。
彼らの内に秘められた暴力的な意思の成長に、彼らの未来を霧で覆うような行為をし続けている自分たち大人の存在が大きく関わっていることに、二十年経った今、神木は強く感じていた。

また神木は、過去のあの日、鎧塚から膨れ上がった殺意に未知なるものを覚え、感じた、敵わないと思わせられたほどの大きな力は、鎧塚が見ていた未来像への不安や恐怖、そして無力への苛立ちが合わさった巨大な負の力と重なるのかもしれない、と考え始めていた。

 ――もし、今自分の目に映る若者の無気力な姿にも、その巨大な負の力が沸々と泡立っているのなら……

 神木は「照れてるよ、いい歳して」とふざけあう彼らに背を向け、手を上げた。
立ち止まっている場合ではない。これからの俺がすべきことは――。

「なんだよ。本当に行かねえのかよ!」

 神木は日向の不安げな声に、思わず立ち止まり、ニヒルに笑って振り向いた。
「お前、本当に俺に言いたいことは、そんなことじゃないんじゃないのか」

 何もないならいいんだがな、と再び彼らとは反対方向に歩き始める神木に、日向は呻吟すると、とうとう顔を赤くして勢いよく叫んだ。
「……む、村上さんは、その、大丈夫なのかよ!」

「あ、やっぱりそのことなんだ」
「うるせえな! 俺たちは会えないから、しょうがねえだろ!」

 井川のからかいに照れる日向に笑いながら、神木は安心しろと告げた。
村上は現在、まだ意識が戻らず、警察病院のICUに入れられているのだった。
彼らには村上に会う権利はなかった。

「病院には後で行くさ。村上にも、伝えておくよ。そっちも、龍之介に宜しく言っといてくれ」

 神木は再び踵を返しながら言って、返答も聞かずに、駐輪場に停めていた愛車に跨った。
キーを捻り、エンジンを掛ける。

原付の掠れたような声で鳴く様は、もはや老人が咳き込む様子に似ていた。
神木はメットを被ると、パワーの衰えた相棒を労わるように、のんびりとアクセルを入れた。

冬の日差しはその眩しさほど熱くなく、神木の身体を芯から優しく温めていく。
だが速度が増すと、頬に当たる雪解けを含んだ風はひどく冷たい。
神木は目の覚めるような風を浴びながら、再び「自分のすべきことは」と繰り返した。

 ――これからの俺のすべきことは……やはり真っ直ぐに続く道を、がむしゃらに進み続けることしかない。

 生きるのだ、ただひたすら。
思いながら、神木はグリップを握り締める手の力を強め、少しずつ速度を上げていく。

背中を見られている大人たちが現在(いま)を、未来(これから)を楽しめなくて、どうして子供たちが続く道に何かを見出せるだろう。
悩みや後悔、憤りや不安、全てをひっくるめて人生を楽しむことだ、と神木は言い聞かせる。
 向かう先は、妻・理恵の墓だった。








ちょっと長くなって、より読みづらくなってしまってすみませんですー!

それから、今置かせてもらっている愚作たち(『ch18』、『ひめごと』、『ぼくらのカナタのきおく』、『トラックバック』、『時速メロスの速さで』)を21日に削除する予定でおります。
たくさんの方に読んで頂き、本当にどうもありがとうございました!
また評価・感想を下さった方々には非常に感謝しており、頂いた感想は全てコピーし、大事に保管させて頂きたく思っております。
そして、今後の執筆活動の参考にもさせて頂くつもりです。

本当にどうもありがとうございました!



WEB拍手



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