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  Flow 作者:森カラ
第十二章 監禁 十
 傷ついた目だと気付いたのは、不自然な間が生まれて少ししてからだった。
日向は痺れる手を力なく落とし、向井の拘束を解いた。

衣擦れの音は響かず、何も震わせず、薄っぺらく鳴っただけだった。
身体を上手く動かすことが出来ず、まるでどす黒い重油の中に沈められているような気に陥った日向は背筋を震わせた。

震えると、凍えるほど冷えた部屋の中だと言うのに背中や腋がじっとりと嫌な汗で濡れているのが分かる。
締め付けるような頭の痛みの中で、必死に言葉を探していた。
だが日向は既に自分の中に、声に出すべき言葉のないことを知っている。

 ――そうだ、俺は、お前を否定している。そして俺が否定すれば、お前は消えてしまう。

 日向は冷え切った手を合わせ、力任せに握り締めた。
纏わりついてくるしつこい汗がヌルリとし、妙な焦りを生む。
肩に入った力が強まると、己の欲望を貫けば、今ここにいる向井は消えてしまうということにようやく目を向けた。

(これまで俺の為にと答えを探した龍之介を、間違っていると一蹴し、力ずくで元の道に戻したいのか?)

 日向は自問した。
くだらなく、憎憎しい世界の崩壊を共に望んだヒーローが、自分のために殺人を犯し、そこに興奮を覚え、これが探し求めていた答えだと訴えかけてくる。

(その結末が、いじめに遭っていた自分が自分を消して生きていたのと同じように、龍之介を消すことになったとしても?)

 日向は再び自問した。
早く答えを出さなければ、足や腕や腰に絡まる問いに重油の中に引き摺り込まれてしまう。

しかし日向の心は、向井を否定していた。
だが唯一の正義の味方だった向井の口を塞いで、自分の世界に引き込もうとしていることに躊躇し始めてもいる。

(今の龍之介を根本から正すには、どうしたらいい?)

 日向の中で問いが深まると、ますます己の中にあった真実を見失っていった。
追いかけると、遊ばれているように奥深くへと迷い込まされる。だが止まない。

 俺はどうしたいのだ。龍之介を、どうしたいのだ。
伝えるべきことは? 話すべきことは? どの道が正解だ?

俺は人を殺したくなんかない。龍之介にもそんなことをさせたくない。
でも日常の崩壊を望んだのは俺だ。興奮や刺激を求めたのも俺だった。

……実は龍之介は間違っていないのか?

 突然の衝撃に、日向は初め、何が起こったのか分からなかった。
だがすぐにやってきた、痺れるような痛みと頭の中で反響するぐわんぐわんという音に、殴られたのだと分かった。

同時に、跪く。
だが跪いても眩暈に似た身体の揺れは収まらず、日向は床に崩れ落ちた。

台所と居間の境界になっている木と畳の分かれ目に、海老のように丸まって横たわる。
冷えた木の床が右頬に当たり、日向はうっすらと気持ちいいと思った。
右頬はゆっくりとその存在を主張するかのように脹れ出し、熱を生む。

「ここまで言っても分からないお前が悪いんだぞ。井川をここに呼び出して、お前に殺させる。そうすれば、嫌でも分かるだろう。ゲームには参加者が必要だ。
あの興奮以外に、俺たちは、生きていることを実感できる瞬間はないんだ」

 向井はいつの間にか震えや動揺をなくしていて、波を立てるほどでもない、滑るように吹く風のような声で静かに言った。
日向はそれを聞きながら、重なり合っていた過去の自分たちを思い出した。

まるで変身した自分が向井龍之介になったかのように、彼の心の行く先を常に目で追い、その熱に触れていた。
二重に歪む視界の中で、日向はじわじわと向井に向かって手を伸ばす。

 ――遠い。

 空を切る指先に、日向は思った。
向井は日向の行動を表情のない目で追うと、馬乗りになり、もう一度、今度は喉の辺りを殴った。

日向は喉の肉が裏返るような息苦しさに何度か唾液を吐き出すと、人形のように手足を投げ出した。
身体が空洞になったかのような太く激しい呼吸を繰り返している。
言葉を発する気配はまるでなかった。



 向井は徐に日向のコートや尻のポケットを弄り、そこから折り畳み式携帯電話を見つけ、送信メールフォルダを開いた。
そして最新送信欄を一瞥し、口元を卑しく歪ませると躊躇なく真っ二つに折った。

そしてそれをシンクに投げ入れ、上から水を流した。
押入れに戻り、少し迷って荷造り用のロープだけを取ってきて、それで日向の手と足をそれぞれ縛り上げた。

そうしてから日向の腋の下に手を差し込むと、そのまま風呂場の方へ引き摺っていき、先ほど閉めたばかりの風呂場の鍵を開けた。
勢いよく扉を開き、女が風呂の中でまだ目を瞑り、窮屈そうに折り曲げられた身体を微動だにしていないのを見て取ると、日向を隣のトイレの床に転がせた。

日向は瞼を閉じ、まだ深い必死の呼吸を繰り返している。
向井はそれを一瞥すると、また風呂場に鍵を掛けた。

 蛍光灯が音もなく消えた。
一瞬にして闇がその場を支配する。

向井はネットで知り合い、それ以来凶器の闇販売などでも懇意にしている男が付けていった電球を睨み、舌打ちした。
窓辺へ立つと躊躇することなく安物の濃い青色のカーテンを開け広げ、部屋の中に月光を入れた。

闇が押され、舞い上がった埃を光が銀色にチラチラと染めている。
向井は外の通りをさっと見渡すと、すぐに玄関に向かった。
扉に付いた郵便受けを開け、外に人の気配がないのを確認すると、ギイと錆びついた音をさせる扉を開け、外に出た。




いつもお読み頂き、本当にありがとうございますっ。
これにて第12章は終わりになりますー!ドンパフー!
次回から第13章「決起」に入ります。
前に後書きで次章が最終章だと申し上げちゃったのですが、やはりもう1章加えて大事に書いた方がいいと思い直し、次々章(14章)を最終章にすることにしますた。
コロコロ変わってしまって申し訳ねえっす><
13章はそんなに長くならないと思いますので、お付き合いくださると幸いです。


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