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作:森カラ



第十二章 監禁 七


 退廃した世界を信じる向井が、日向には悪魔に魂を完全に売り渡してしまったように見えた。
だがそんな向井に少しでも近づきたいと思う。
これまで見てみぬふりをし続けてきた溝の中を這い蹲るようにして進み、その距離を縮めようと日向は目を逸らさずに向井を見つめ続ける。

「龍は、感じないのか? 痛いだろ? いくら憎くても、人を傷つけたら痛いだろう? 俺は耐えられなかった。世界を壊すことなんて出来やしない。
どんなに汚くてどんなに自分に冷たい世界でも、小さな優しさは数え切れないほど転がってる」

「優しさだって? これまでのお前のどこにそんなものがあった? どうしてまやかしを見せられているだけだって気付かない? そんなものは全部絵空事だ。お前が作り上げた幻想だよ。
現にお前は俺に暴力を要求したじゃないか。全部壊せと望んだだろう! 痛くなんかない。これまで理不尽に受けてきた暴力をお返ししているだけじゃないか。本当の世界を創る力はその先にある。そしてその先に本当の優しい世界はあるんだ。
誠大は口を噤んで、理不尽なルールの中で生きるつもりか? そんなルール、変えればいい。力があれば出来るんだから」

 報復は、エゴでしかない、と日向は思う。
やり返すことが目的の正当だったはずの暴力は、いつしか自分をどす黒くし、暴力を重ねれば重ねるほど身体に砂袋を詰められるような息苦しさを与えてくるのだ。
痛みは全て自分に返ってくる。

 日向はその痛みの責任を負うこともせず向井に押し付けてきた自分にも、そうして生まれた痛みが消えることがなかったことを思い返した。
 しかし今、向井が何の痛みも感じていなかったという事実に胸が切り裂かれるような苦しさを覚えている。
日向はここまで向井を麻痺させたのは自分なのだ、と戦慄した。

「痛いって、言ってくれよ、龍。感じなくなったりなんてしちゃだめだ。暴力を使えば、目の前の誰かに痛みを植えつけることは出来る。でもその人間に繋がっている痛みが返ってくるよ。
そうだ、俺は龍に頼んだくせに、押し付けて逃げ出したんだから、龍は人一倍痛いはずだ。そんな力なんて手に入れなくていい。俺たちに優しい世界は、案外目の前にあるよ。見方を少し変えればいいだけだ。今度は俺が龍を連れていくから。
それに井川だっている! あいつは全てを知っても逃げずにいてくれた。あいつは俺とは違うよ。だからそんなところから早く出てきてくれよ、龍」
 
 日向の声は響くこともなく畳の上に落ち、やがて大きな沈黙が部屋の角から湧き上がり、彼らの隙間を埋めていく。
日向はふと、しかしどの道を通ったところで、最後にはここに辿り着いてしまうのかもしれない、と感じた。
思いつくだけの単語を矢継ぎ早に並べて体裁をつくろおうとするほど、嘘っぽさが増していく。

 日向が憎しみを大きくし、向井はそれを受け、破壊する。
そんな日常が当たり前だったのだ。

「分からない」と目を瞑ってきた向井の行動の意図に、実際は随分前から気付いていたことを日向はようやく認めた。
壊れ始めたこの日常が自分の望んだ結末であったことを、受け入れられずに逃げていただけだったのだ。

 ――全部壊して、俺たちに優しい世界を創るんだ。

(過去の自分はいつもそう思っていた。そして、自分はそれを現実にする力となる、向井龍之介という人間を手に入れたと思っていたんじゃなかったのか)

 その幼稚で狡猾な考えが、向井に暴力を使わせ、完全な闇の世界に彼を独り置き去りにしたのだ。
日向は滑り落ちる涙をそのままにしながら思う。

だが例え、向井と共に過去に日常の崩壊を望んでいたとはいえ、日向の中で殺人を許せる訳ではなかった。
どんなに詰られようとも、向井を否定しなければならない。

日向は濡れた頬を手の甲で乱暴に拭い、一体どうすれば向井の手を引いて、元の道に戻ることが出来るのだろうかと考えた。
そもそも元の道とはどこの道のことを指しているのだろうか。

報復を始めた頃か、いや独りでいじめに目を瞑って耐えていた時か。
それとも向井と出会うよりずっとずっと前まで戻る必要が?

 日向はぼんやりとした頭で、絶望の中、言葉を探してただゆらゆらと浮遊していた。
だが向井と心を重ねて日常の破滅を望んだ己と、外の世界で井川のような純な人間と心を交し合うことの出来た己とのギャップに挟み撃ちされ、喉元まで上がってくる言葉は悉く潰されていく。

そしてそんな折に、またフッと頭の中に湧いて出た言葉に、日向は酷くたじろいだ。

(果たして俺は、いじめに遭っていたあの頃、日常の崩壊を望んで向井に暴力を要求したとき、人の死まで望んでいただろうか?)

 自分に害を与える周りの人間に死んで欲しいとまで思っていたか、思い出せないのだった。
しかし、向井は共に望んだはずの日常の崩壊に、人の死を当たり前のようにリンクさせている。

 向井を否定しようとするたびに、日向は自信を失っていった。
意思が未完成のまま、ぶよぶよと体内を漂っているような感覚に、自分が何者でもなくなっていくような気がして酷く恐怖する。
そしてその恐怖は簡単に意思も言葉の原型も奪っていった。

「井川だって? 何言ってるんだよ、誠大。あいつはこれから死ぬんだよ。あいつの他には、あと誰を消して欲しい?
坂下はそろそろ殺しちゃっていいよね。もう痛めつけるところがないし。あとは誰? お前の両親? クラスのウザイ奴ら?
お前を惑わす奴は全部消してやる。お前を痛めつけた奴には同じ痛みを植え付けて、それから消してやる。言ってみろ、次は誰がいい?」


 








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