ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
  Flow 作者:森カラ
第十一章 追尾 九
 神木は「きた」と思った。
神木にとって、それが一番の疑問だったからだった。

素直に考えれば、龍之介は酷く孤独な子供といえる。
自分を慕っていた日向がある日突然離れていったとき、果たして龍之介の心中には何が生まれるだろうか。
どういった理由があるかまだハッキリとしたわけではないが、ゲームで殺しをし始めた向井の姿に神木はつい目を逸らしたくなった。

「(今、龍之介が辿り着いている場所は、血の海の中だ)」

 神木は手で額を覆い、絶望を覚えた。
脳を掠める想像が、神木の中を戯れている。そしてその合間を縫うように、以前廊下で会ったときの、もう何度となく思い返した龍之介の醒めた目が、壊れた電灯の光のように強まったり弱まったりしている。

「そのゲームってのは一体何なんだ」

 急いた調子で詰問した神木の勢いに気圧されつつ、井川はゆっくりと落ち着いて、
「分かりません。誠大も詳しいことは分からないみたい。ただそのゲームの中には、この間殺された斎藤先生や向井のお父さんのアバターもあったそうです」

「その足も向井にやられたのか」

 井川は長いため息を吐くと、包帯を巻いた方の足を伸ばし、

「以前、僕は一度向井に殺されそうになったことがあるんです」
え、と驚きを隠さず身を乗り出した神木に構わず、調子を強めて井川は続けた。
「三トントラックが迫っている道路に突き飛ばされたんです。そのときは誠大に救われて事なきを得ました。でも、昨日、同じことが起きた」

 神木はともすれば遠ざかっていってしまう想像上の龍之介像に、必死にしがみ付こうとしていた。
少しでも己の感情に振り回されれば、そのまま振り落とされてしまうと感じていた。

程度の差に惑わされてはいけない、と思う。
向井龍之介の本質を見極めなければ、と井川の言葉が新たな事実を告げる度に繰り返した。

「また突き飛ばされたのか?」

「ハッキリ見た訳じゃないんですが、声が向井でした。タクシーの前に突き飛ばされたかと思ったら引っ張り戻されて、外壁に頭を強く打ったみたいで……気付いたら水溜りの中だったんで証拠はないんですが。この捻挫はそのときに出来たみたいです」

「大事に至らなくて良かったよ」

「でも向井はきっとすぐに僕を殺しにくると思います」
神木のおざなりな台詞に重なりながら、井川はハッキリと強く宣言した。
「今はゲームを楽しんでいるだけで、僕もすぐに斎藤先生のようになるんだ」

 神木は黙ったまま、井川も向井がこの一連の事件の犯人だということを確信していることを感じ取った。
だが神木は井川の語る向井が凶暴さを増すほど、自身の中に出来上がっていく龍之介像が元より基地外なのでも、突然狂いだしたのでもない、どこにでもいる十代の若者のように思えて言葉を失っている。

そして、迷いを漏らした村上が心裏に抱いた恐怖とはこれだったのだ、と喉を詰まらせた。
これまで神木が思っていたそれより熱く、敵わないほどの存在に神木は改めて恐怖した。

 これから出た証拠が龍之介を犯人であると証明したとき、彼の吐き出したその残忍性だけが浮き彫りになるだろう。
そのとき、俺は奴の間違いを糺し、導いてやることが出来るのか。
 不思議そうな顔をしている井川から表情を隠すと、神木は疑問をぶつけた。

「君は、龍之介はどうして君を殺そうとしていると思う」
「正直、まだ分からないんです。ただ向井が誠大を特別な存在としてみているのは何となく分かります」

「特別な存在?」神木は自身の想像が現実に溶け込んでいく感覚に気持ちを昂らせる。

「僕もそうだったんです。誠大と友達になれたのは奇跡だとさえ思ってた。幼かった。誠大を出来るだけ長く独り占めしようとしてたんだ」
呆れるように笑って、唇を噛み、
「でも普段感情を表に出さない向井が、どうして誠大を特別視するのかは分かりません。そして何で離れていこうとしている誠大に“救う”とまで言ったのか」

「龍之介は言葉を持たないのかもしれないな」
神木は特に考えがあった訳ではなく、溢れて零れるように言った。
「もし龍之介が人を殺すことでしか表現出来ない人間なんだとしたら、君はどう思う」

「……しょうがないことだから、みすみす殺されてやれって言うんですか!」

「違う!」神木は驚いて声を上げた。
「俺は君たちを何とか救いたいと思っている。だけど君の話を聞いていると、俺にはどうも向井龍之介という少年が君よりもずっと幼く見えるんだ」

「向井が?」
「龍之介は唯一自分を認めてくれていた日向を、どうしても手放したくなかったんじゃないか。でも言葉を持たないから、日向が離れていった原因だと思われるもの全部壊そうとしているんじゃないだろうか」

 神木の真剣な様子を馬鹿にしたような顔をしていた井川も、頬を引き締め、体勢を変えた。そして強く目を閉じ、溜め込んだ息を声と共に吐き出し、

「信じられないよ。向井がそんなに誠大に固執していたなんて」

「友人ってんじゃないんだよ」
神木は胸ポケットの煙草を取り出そうとして、だが苦笑してすぐに引っ込めて続ける。
「龍之介にとって、日向はただ一人の家族で、守るべき存在だったんじゃないかって気がしてきてるんだ、俺は」

「刑事さん」

 井川は何かを断ち切るときのように呟くと、捻った方の腿に拳を打ち込み俯いた。
神木はその姿を下から見上げながら、全てを失くしてしまった罪の意識と憎悪に捻り潰されそうになりながら答えを探し求めてきた、これまでの自分の姿を重ねた。

そして少年のまだ細い肩が小さく震える度、何も持たずにいた両手に、守りたいと強く思う人間が増え、大事だと思えるものの感覚がハッキリと戻ってきたことを沸々と感じ取っていた。

「僕が、彼らにしてやれることは、何ですか」
「答えなんかないさ」

 瞬時に返ってきた神木の返答に井川は怯み、唇をきつく結んだ。
だが視線だけは落とさず、眉間に皺を寄せ、神木を正面から見つめている。

神木はそれを受け止めながら、「逃げないのか」と思った。
普通の少年なら背を向け、適当な居場所を見つけて自分を騙してしまうかもしれない。

だが、こいつは何の手段も持っていないのに、逃げないらしい。

神木は浮かんでしまう口元の笑みを手の甲で慌てて覆い隠した。
目を潤ませながら、目に映る友人をがむしゃらに守ろうとする井川の不器用さについ和まされてしまったのだった。

「でも、まだその手も、足も動くんだろう? 君も、俺と一緒に行くか」

 優しい眼差しで手を差し伸べるように、声を掛けた。
井川は神木の言葉の意味を咀嚼するのに時間が掛かったが、やがて力強く首肯した。
拳はまだ硬く握られたままだったが、その手はもう震えてはいなかった。

 神木は思っていたよりも緊張していて凝り固まった腰を揉み解しながら、歳を取ったと思った。
そして長い時間の中に、ようやく現れた最後のチャンスだと思った。

答えや許しを求めるのでも、過去をもう一度やり直すのでもない。
ただ一人の刑事として、多くの人間を悲しみに落とした核と向き合うだけだ、と言い聞かせる。

だが神木の中には、あの日、ただひとつだけ残してきてしまった事件が、この事件の終焉を見るとき、同時に昇華されるだろうという希望があった。
そしてそうなった時、ようやく自身の中にいる彼女を深く安らかな眠りにつかせてやれる、と部屋の小さな窓から見える灰褐色の空を見上げ、語りかけるように思っていた。




これで第十一章は終わりになります。
次回からは第十二章「監禁」に入ります。
だんだんラストが見えてきました〜。
予定では第十三章(最終章)+エピローグで完結という流れです。

どうぞお付き合いくださると幸いですっ。
WEB拍手



+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。