第三章 ループ 三
公園の周りは住宅が密集しているにも関わらず少し薄暗く入りにくい印象があった。
大きくなりすぎた木々が日光を遮り、よりいっそう不気味さを醸し出している。
入り口付近にある案内板を見ると、公園は少し大きな部類に入ると言えた。
ゲートの先50メートルくらいは並木道のようになっており、そこから分かれ道となる。
園周は軽く四百メートルはあり、獣道とは言わぬまでも多種多様なルートを持つ園内は少し複雑な形をしている。
途中にはちょうど良い坂道もあり、遺体を発見した青木のようにジョギングコースとして使用している住民が他にもいるだろうと予想出来た。
また公園内にはいつくかの空き地と健康器具が所々に並んでいる。
子供の遊ぶような遊具は少なく、大人が散歩をするのに適しているといった方がいいかも知れない。
「上塚さん、お早うございます。北上署の村上です」
村上は素早く並木道の入り口付近にいた警視庁の捜査員の一人に声を掛けると頭を下げた。
神木もそれに続いて軽く会釈をした。
上塚は神木に一瞥くれるとすぐに村上の方に向き直り、笑顔で挨拶を返した。
「香理ちゃん、いつ俺とデートしてくれるんだよ」
上塚はわざとらしく神木からよく見えるようにして村上の腰を撫で上げながらいやらしく触った。
その度にジャラジャラと鳴る、上塚の腕に巻かれた時計の金属音が意識せずとも鼓膜を弄り、神木は小さく舌打ちした。
「ちょっと上塚さん、止めてくださいよ、ここ現場なんですよ」
神木が睨むよりも先に慣れた動きで上塚のボディタッチをかわすと、村上は普段よりワントーン高い声で牽制した。
上塚は両手を胸の前に上げ降参のポーズを取るとニヤニヤしながら悪かったよ、と言った。
そしてユラリと身体を神木の方に向けると、今度は両手を広げたオーバーリアクションで
「あれ、神木さん。もう復帰されたんすか」
神木は村上に顎で席を外すよう促すと上塚の目を見た。
上塚は最近警視になったばかりの若造だ。
彼の父親が元警察官僚の人間なだけあり、息子はコネでエリート街道まっしぐらと噂されている。
神木は上塚とは一度、まだ村上と仕事をするようになって間もない頃、共に仕事をしたことがあった。
しかし神木個人としては彼とは以前から面識がある、とは言え、その時まだ上塚はほんの五、六歳の子供だったが。
「お蔭様で。また現場の土を踏めるなんて有難いことだよ。
それよりお父さんは元気かい」
視線は逸らさぬまま、力なく笑って見せた。
「……ええ」
上塚は少しの間の後聞き取りにくい声でそう言い、まるでそれまでの話題を切り捨てるようにすぐに続けた。
「いやあ、神木さん、あんなことするもんだからてっきりとうとう気がふれてしまったかと思いましたよ」
大袈裟に心配を装うような顔つきだったが、少し声が震えているのを神木は複雑な気持ちで聞いた。
「神木さん、あっちの警察車両に第一発見者の青木さんがまだいるみたいですよ」
神木と上塚との間の空気に何か感じたのか、突然村上はそう言いに少し焦ったような顔をして傍に戻ってきた。
上塚はそれを見てニヤリと口元に微笑を浮かべると突然村上の右手を掴み取り、無理やり彼女の親指を立てるとそのまま彼女の首元に水平線を描いて見せた。
「上塚、一旦撤収だ」
タイミング良く他の警視庁から来た捜査員の声がかかると上塚はすぐさま笑顔を作り、そのまま停めてある車の方へ走りだして行った。
「何なんですか、あれ」
村上はそれを確認すると、気持ち悪そうに右手を摩りながら近寄ってきた。
神木は村上の首元も右手も何ともないことを確認すると、村上と同じ仕草をしながら同じ台詞を言った。
「何ふざけてるんですか。それにあっち行ってろだなんて、上塚の前で顎で指図するの止めてくださいよ」
村上は面白半分で万引きを犯した子供に言って聞かせる時のように、わざとドスを利かせた声でそう言い、神木のいつもの慣れたあしらいも許さず大袈裟に息を吸うと続けた。
「さっきの上塚のあれ、どういう意味なんですか」
神木の肩が意思に反して反射的にピクリと上がってしまった。
村上はそこを見逃さない。
「分からないこと多すぎます」
村上は一瞬時計に目をやると少し早口になって、
「神木さん、前も上塚と衝突してましたよね。でもそれは私が神木さんと衝突するのとは全然違うみたい。何か、あるんですか」
神木はすぐには答えず、胸ポケットから煙草を取り出すとゆっくりとジッポライターで火をつけた。
北風がまだ唸るように鳴っているにも関わらず、使い古されたライターはまるで二人の間に存在する濃い空気を一緒に焼くように湿った音を響かせながら空中に飛んだ。
大きく一つ吸って、神木は持っていた煙草の箱を村上に差し出し促した。
「だから、私禁煙してるんで」
村上は今度は落ち着いた声でそう言った。
そんなに時間は経っていないはずなのに、頭上では大きく雲が流れた気配がして、それに混ざってまだ残っていた捜査員がこちらに近づいてくる音がした。
神木は相槌を返す代わりに目を細めて笑うと、村上を手で追い払う仕草をして見せた。
村上はもう一度時計に目をやると静かに小さく下唇を噛み、捜査員のいる方へ走り出した。
村上が捜査員と接触したのを見届けると捜査状況の確認は彼女に任せ、とりあえず遺体発見現場まで歩いてみることにした。
どんよりと曇った空が拍車をかけて公園内を未だ気味悪くさせている。
神木は気持ちを切り替えるために一つ小さく咳払いをすると、煙草を吸殻入れに捨て、手をポケットに突っ込んだまままだ鑑識が捜査中の現場へと近づいていった。
遺体があったと思われる現場は公園内の並木道を過ぎ、分かれ道を左に曲がった百メートル付近のコース外で、丁度小さな坂道の始まる手前だった。
そこは位置的にも北向きの暗い場所で、木々も間隔狭く植えられているために葉が重なり、日光が入ってこない。
遺体があった場所はコースから三歩ほど外れていかないと見えず、三歩先は目を凝らしてようやく五メートル付近のものがうっすら見えるという状況だった。
今日の日の出は六時五十一分、しかし朝から生憎の曇り空で太陽は出ていない。
恐らくこれでは普通にジョギングをしていても遺体には気づけない位置、そして暗さであったと思われた。
また、その対面には公園の少し下辺りに生活排水が流れるような小さな川があり、風の強い今日は時折下の方から割れるような音が聞こえてくる。
一つ一つ現場の様子を確認しながら、だが、神木は頭の隅で別のことを考えていた。
「そうか、もう二十年か」
思わず口から声が漏れる。途端、ガサリと葉が擦れる音がした。
「あれ、神木か、遅かったな」
鑑識官の一人が驚いたといったように素早く腰を上げ、目を凝らすようにして神木を見ていた。
神木は、ああ、とため息にも似た声を出すとすぐに会釈をした。
「足立さん、お早うございます。すいません、驚かせてしまったかな」
神木は首の後ろを掻きながら苦笑した。
足立はもう六十歳になる初老の男だが、未だ現役バリバリに働いている鑑識官だ。
神木が北上署に配属になった当初から顔を合わせていて、何度か夕食を共にしたこともある。
「いやいや、ここは妙に暗いからな、仕方ない。まあ、それを差し引いてもお前は不気味だから明るくたって俺は驚く」
足立はそう言うと作業をもう一人に任せて神木の元に寄ってきた。
冗談も真顔で言う人だ。
初めて会話をした時の恐ろしさはまだ覚えている。
神木は勘弁してくれと言うように足立の左腕を横からポンと叩いた。
「遺体はもう検死に回ったぞ、見たか」
「いや、まだです。どうでした」
足立はンッと喉を鳴らすと眉間に皺を寄せて俯いた。
「いやあ、酷いものだったよ。心臓を刃物で一突き、だからな」
「……一突き、ですか」
少し躊躇して、もう一度繰り返して聞いた。
「まあ他にも切り傷はあったし、血の量も凄いものだったけど他は大した傷ではなくてな。
正面からグサッと、これが効いてたよ」
足立は全身でそれを表現しながら神木に聞かせた。
だが何故か神木は足立のよく動く腕を見ながら頭の中がおかしな気分になってきていることに気付く。
それに伴い、先程公園入り口で覚えた不快感もすぐにまた神木を覆い始めた。
その原因にすぐには気付けなかったが、足立のリアクションが止んだ時に「それ」が風に乗ってやってきていることが分かった。
「ああ、サザンカだな。いい香りだ」
足立が神木の向いている方向に目をやってそう言った。
視線の先には、民家に見事な朱色に色付いたサザンカの花が映し出されていた。
隣で花を愛でている足立を他所に神木の理性は規則正しく失われていき、同時に「サザンカ」と音に出されたことにより、神木の目の前は一瞬にして二十年前にリセットされてしまったようだ。
身体が意思を忘れ、好き勝手に震える足。
もはや自分の身体の一部ではないようだ、と弱弱しく意識の末端で神木は感じた。
目の奥をコマ送りで次々と白黒映像が蘇り回り始める。
だが、遠くで伸びたテープを再生するように自分を呼ぶ足立の声に何とか反応した神木は、うっすらと開いた焦点の合わぬ目で右手を何かを探すようにゆらゆらと動かした。
その間も白、黒、白、黒と色のない映像のどれにも鮮やかな赤で染められたサザンカが映りこんでいる。
痙攣を起こしている瞼がより一層その赤を眩しく感じさせる。
そして雪崩のように、突然鼓膜を揺さぶる声が神木の脳のずっと奥に重く落ちてきた。
「ねえ、あなたもちゃんと見てよ、サザンカが綺麗に咲いたのよ。この子が生まれてくるまでちゃんと元気に咲いていてくれるかしら」
神木の右手は妻、理恵の張った腹に添えられていた。
自分と妻の手が時折小さく振動するのが感じられる。
反射的に神木の頬に一筋の涙が流れた。
「神木!」
風船が割れたのかと思うほどはっきりと空気の割れる音がして、神木は足立の声が自分の中心に割り込んでくるのを感じた。
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