第十章 鬼ごっこ 六
たぶん僕は怯えた目をしてしまったかもしれない。
誠大は突然声を荒げると、僕の顔をハッとした顔で見て口を噤んだ。
そして小さく謝ると、どこか遠くを見る目をして、再び口を開いた。
「俺と龍の関係がハッキリと変わったのは中学三年の頃だった。その頃、突然龍の父親の会社が潰れて、龍の家庭は崩壊した。
俺はそれまでは、毎日のように龍のマンションに居ついていたんだけど」
「マンションって、さっきの所?」
「ああ。あそこは龍の母さんが、龍の父親がまだ羽振りの良かった頃に与えられたものらしい。それを龍が譲り受けた、と俺は聞いてる」
咄嗟に、先ほど向井家で会った“タッくん”と呼ばれていた長身の男を思い出して、喉の圧迫感が蘇ってきた。
「聞いたんだろ、古寺って人に。
龍の父親は、社長だった頃は本当に酷い親父だったんだ。金遣いも荒けりゃ、女癖も悪くて。龍の母さんはそれに辟易してた。そんで、結局は母親も浮気。もうボロボロだった」
「誠大さ、さっきも左腕擦っていたよね」
言葉の途中、右手で庇うように触れられる彼の左腕が気になって、つい押し出されるように問いが突いて出た。
向井の父親という人を見送る時にも、そこにある何かを確かめるように左腕を触っていたような気がしたのだ。
思わずといった拍子で出てきた僕の言葉に、誠大は一度生唾で喉を鳴らして答えた。
「気性の荒い人だったんだ、龍の親父さんは。今朝お前が行った龍の家で、あの人はよく暴力を振るっていた。特に中学一、二年の時は酷かった。
一度、俺も殴り飛ばされたことがあるんだよ。他人が自分の家に上がりこんでいることが、彼の癪に障ったんだと思う。何故ここにいるんだ、出て行けと怒鳴られて張り倒された。まんまと折れたこの脆い腕は、今でも違和感が残っているというわけだよ」
「あの人が」
僕は先ほどの、覇気の全くない、汚れた襤褸切れを纏った人を思い返しながら言った。
「俺もさっきは、正直びっくりしたよ、あの人のあの変わり様には。職も家も失ったと龍から話に聞いていたとはいえ、さすがに最初は見分けるのは難しかった」
誠大の目が宙を彷徨う。
まるで、知っている人の面影を探すような素振りで、僕には分からないどこかを見つめてはキョロキョロと瞳を動かしている。
「でも龍のことをもっと知りたかった。龍の親父のことは恐くて仕方なかったけど、龍の所へ行くのはやめられなかった。学校も別々になってしまったし、あいつと会える一分一秒が惜しかったんだ」
でも、時間と環境は人を簡単に変える。
誠大はそう呟くと、かさついてきたおしぼりを握り締めて続ける。
「龍は親父さんの失業、両親の浮気、離婚と、立て続けに起こった崩壊につられるように暗くなっていって、家に閉じ篭るようになった。
でも実際は、あいつがそれらを契機にして変わっていってるようには、俺には見えなかったんだ。一緒にいても、龍の変化にハッキリとは気付かなかったくらいだ。けれど、あ、と思ったときには、もう全く笑うこともなくなっていて、俺は焦った」
「でも、やっぱり向井が変わってしまったのは、ご両親の色んなことが原因なんじゃないのかな」
「いや」
誠大の瞳がまた色を失っていき、僕には見えないものを見ているような気配になる。
「それは俺にも原因があるんじゃないかって、思えてきたんだ」
「どういうこと?」
「突然、龍が俺のヒーローじゃなくなったんだ」
「でもさっきは、向井は一生正義の味方だって」
誠大は僕の問いに少し眉根を寄せたが、僕を強い視線で捉えただけで、それについて何も言わずに続けた。
「中学が別になって、俺は自発的に人に好かれようと思っていた。俺にはいつでもヒーローがいるっていう事実が、自信に繋がっていたんだ。まるで、龍が俺の過去の汚点も潰してくれているような気がして、調子に乗っていた。だから中学に上がってからの俺は、たぶん倖が見ていた俺に近かったと思う」
「人気者になったんだね」
また俯いてしまった誠大に、僕はまだ卑しくもヒーロー像を探し求めていた。
けれど、もう分かっている。
誠大はヒーローでも、僕の正義の味方でも何でもない、ただの普通の十七歳の高校生なのだ。
ゆっくり受け入れると、まるで鏡の国にいるかのように、四方八方から自分に見張られているような気分になる。
それはまるで、今まで誠大がいてくれることによって見て見ぬふりをし続けてきた現実が、突然襲い掛かってきたような感覚だった。
そこから僕を見てくる「僕」は、そのどれもが本来の弱弱しい顔をしていて、上手く直視できない。
体中の毛が逆立っていくような気持ち悪さに、両腕を力いっぱい握り締めることで耐えた。
誠大はまるで、僕が自分の中で種々の感情を一つ一つ整理していくのを待っているようなタイミングで口を開く。
「けれど自分に自信が出てくると、一方でだんだん龍の世界の狭さが疎ましくなっていった。新しい家の中で、独り、籠もってゲームばかりに没頭する龍が、俺の中から正義の味方のイメージを捨て去っていったのも事実なんだ。裏切られた気持ちになったよ、ほんと矛盾してるけどさ」
「向井、ゲームなんてするんだ」
「俺もあの頃は、何で龍がゲームにハマるのか分からなかった。でも、今なら少し分かる気がするんだ。
人間に失望してたのかも知れない、あいつ。だから自分でコントロール出来る世界の中に閉じ篭ってしまったんじゃないかって思うんだ。それに、思うんだよ。もしかしたら俺が気付かないうちに、龍は俺を信用して、頼っていたのかもしれないって。龍の周りの環境が崩れていく中で、俺の存在はあいつにとって大きかったかもしれない」
誠大の苦渋に満ちた顔が痛々しくて、見ていられなくなる。だが、言葉は終わらない。
「でも俺は人と喋って、その価値観の違いを楽しんだり、世界を広げたりする方が何倍も面白くなってきてたんだ。そのうち自然と、龍との間に距離が生まれてしまっていた。気付いたら、修復不可能なくらいの溝が」
片手で髪を握り締めたまま動かなくなる誠大に自然と手が伸びたが、自分には触れる資格などない気がして、素早く腕を引っ込めた。
だが一瞬だったのに、誠大と自分の手の間に生まれた熱が掌に残ってしまって、途端に何も考えられなくなる。
「高校も、どこを受けるかなんて言わなかった。あんなに頼り切っていて、あんなに龍を利用したのにも関わらず、俺は裏切ったんだ」
「裏切ったんじゃないよ、誠大は」
俯いたまま、籠もった声で呟く彼に、僕は無責任な言葉を吐いた。
「適当なことを言うなよ。これが裏切りじゃなくて何だって言うんだ? あいつは、俺が本気で死を考えた時からずっと、俺に代わって坂下への報復を続けてくれていたんだ。けれど俺はそれがいつの間にか疎ましくなって、関わりたくなくなって逃げたんだ。自分が上手く軌道に乗ったから、利用するだけ利用して離れたんだよ、龍から。
もし、龍が本当に俺を頼っていた部分があったとしたら、どうだ? こんな裏切りはないだろ!」
「誠大を助けようとしたのも、坂下って人に暴力を続けたのも、全部向井が決めてやっていたことだろ。誠大が頼んだことじゃないはずだよ。それに、向井ほど頭が良ければ、誠大の気持ちもきっと分かってるって」
言いながら、一体何を言っているんだろう、と思っていた。
腹の中が持ち上がるような奇妙な感覚に囚われる。
そんな僕には目もくれず、誠大は「そうさ」と続ける。
「俺は確かに、そうして自分を正当化してきたよ。けれどやっぱり俺にとって、龍は命の恩人なんだよ。それはもう絶対変わらないんだ。だから、どうしてもあいつを昔のように戻したかった。もし本当に龍が俺を必要としていた部分があったのなら、尚更だ。それが、例え俺の自己満足の結果でしかなくても、俺はどんな手を使っても、あいつに外の世界を教えてやりたかったんだよ。もう一度、やり直したかったんだ」
「僕はもう、何も出来ないの?」
ありがとう、そう言って誠大は再び視線を床に落としてしまった。
ちなみに私の今の心のヒーローは、「ロボット刑事」という特撮に出てくる「K]という刑事です。
余談がすぎました^^ 失礼っ。
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