第十章 鬼ごっこ 五
苛立ちを隠しきれずにいた。
僕の中に根付いていた「誠大」が、跡形もなく消え失せてしまっていた。
僕の知る彼は、僕の勝手なイメージが先走って形成されていただけのことだったのだ。
そう思うと一方的に裏切られた気分になり、僕の完璧なヒーローだった誠大の弱さに悔しくなってくる。
こいつ、一体誰なんだよ?
どこか呆れるような気分で、心の中で唾を吐いた。
ここは思わず全部誠大のせいにして、取り巻く全ての理解不能なものに怒りをぶつけたくなる。
だが誠大はそんなことに構ってくれなどしない。
「俺はその後すぐに隣町に引っ越してしまったけど、あいつに救われて、前向きに転校していけたんだ」
「ちょっと待てよ。さっき、坂下って人のあの足は向井がやったって……それじゃあまだ向井の坂下への暴力は続いているって言うのか? 誠大はそれを本当に望んでるのかよ!」
「俺にとって、龍はヒーローなんだよ。あいつがどう変わっていこうと、俺の中であいつは一生正義の味方なんだ。ヒーローってのは、いつだって弱者のために存在してんだよ」
四方八方のカーテンが閉め切られたように、目の前が真っ暗になった。
誠大が向井に感じているのは、僕が誠大に感じている感情と全く同じものだったのだ。
暗澹たる闇の中で、僕はようやく一つの答えに到達した。
だが、そこは手を伸ばした一寸先も闇の世界である。
ここが僕自身の世界なのか、それとも誠大の世界なのかよく分からなかった。
それは、答えはハッキリしているのにこの手になかなか掴めない感覚に似ていた。
僕の中のヒーローが誠大だという事実は全く変わっていないのに、ヒーローであったはずの彼が闇の中でぐにゃりと変形してしまったために、見失ってしまったような感じなのだ。
「僕が勝手に誠大をヒーローだと思い込んでいたように、誠大も向井を自分のヒーローだって信じてるんだね。だから誠大はこんなに弱くて、こんなに平気で騙したり、傷つけたりするのか」
「本当に、付け焼刃のシナリオなんてとことん脆いもんなんだな。俺を正義の味方みたいに思ってたはずのお前に、ここまで言われるとは」
誠大は泣き出しそうな顔で言った。先ほどまで力を溜めていた彼の拳も、行き場をなくしている。
その両手をぎこちなく握ったり開いたりしながら、彼は続けた。
「でも、俺に裏切られていく倖の気持ちは分かってるつもりだよ。謝るよ、ごめん」
「謝ってくれなくていいよ。謝ってもらったら、本当になっちゃうじゃないか!」
「本当のことなんだよ。俺がお前を騙していたのは」
やめろよ! と叫んで、思わず耳を塞いでしまった。
塞いだまま俯くと、途端に頬が紅潮していくのが分かった。
こんな小学生のような態度を取ってどうする?
自問自答している間も鼻先にあるどんぶりから、冷めたラーメンの汁の匂いが入り込んできて余計に虚しくなってくる。
「何で騙したんだよ」
こんなことを言いたい訳じゃない。言った側から自責の念に駆られる。
「何で演技なんかしてたんだよ」
だが止まらない。
崩壊したダムのように、バラバラな気持ちが雪崩を起こす。誠大の強い視線を感じた。
「今度は俺が龍を助けたかったからだよ。その為になら、誰をどんな風に使ってもいい、とさえ思ったんだ」
初めて出会った裏切りというやつは、相当な衝撃を僕に覚えさせた。
まるでメッタ刺しされているかのように、追えないほど早い衝撃と傷みが全身を侵食していく。
「さっきも言った通り、中学は龍とは別々の所に進んだけど、坂下への暴力はまだ続いていた。でも龍が坂下を痛めつけるたびに、それまで俺が受けてきた傷が解放されていくようで、楽しくてしょうがなかった。いや……そう思うことで、自分自身が保護されることに気付いていたんだ」
そこまで言うと、疲れの浮かんだ顔を醜く歪ませる。
そして間もなく、そうだそうだ、と薄ら笑いを漏らしながら一人納得するように
「例えるなら、子供がテレビの中で悪役を倒すヒーローを応援するのと一緒だった。いけいけ、やっちまえってな」
まるで今までの自分の姿を逐一責められているような心持ちになった。
それは、僕が誠大に重ねていたイメージと全く一致してしまう。
常にたくさんの人間に好かれて囲まれている誠大を、まるで自分だけの味方のように感じて、他の人間に対して優越感を覚えていた、身勝手な毎日とピタリと合ってしまうのだ。
「僕には、本当は誠大を責められる資格なんてないんだ。そうなるように仕組まれていたとはいえ、僕もそうして誠大にヒーロー像を押し付けていた。そうすることで、自分を守っていたんだから」
「そうやって弱さを見せたりとか諂ったりとか、ほんとやめてくれよ! 苛々するんだ。もう俺の前でその弱さを見せつけてこないでくれ!」
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