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  Flow 作者:森カラ
第九章 月を太陽と間違えた男 六
 アリサは公園内に着くやいなや、またもや挑戦的な瞳をして、だが子猫にでも話しかけるかのように甘い声で言った。

「ここでさ、最近うちの学校の斉藤殺されたよね。
 殺したのも君でしょう、向井君」

 既に彼らの手は離れていて、アリサだけがナトリウム灯の放つオレンジの中をゆらゆらと動いている。

「脅しか、それは」
「うーん。ちょっと違う。認めてるんだよ、アリサは。向井君の実力も思想も」
「意味が分からない」

 男は脱力しながら、急激に濃厚な暗い群青色に取って代わられようとしている夜空を見上げた。
だが、アリサはやはりペースを崩さぬまま急に嬉しそうな顔をすると、男の正面すぐ近くまで寄って、

「では、これまで既に二人の人間を殺している向井君に質問です」
「何だよ」

 つい、といった感じでムキになったことを早速後悔する男に対して、おお、やっとちゃんと認めたねえ、と子供が教師の真似をするように感心しながら、

「ねえ、生きる意味ってあると思う」
「ないと思うね」

 冷静さを取り戻した男の即答にうっすら目を細めて、アリサは続ける。
「そう、生きる意味なんてないよね。でもアリサたちはその中で敢えて生きてる」

「何が言いたいの、さっきから」
「この日常に、自分たちが求めるものなど本当にあるのか」

 アリサが言い終わらないうちに、男は小さく、だがはっきりと身体を揺らした。
そして、強張った顔の皮膚を解すように、右手で顔の表面を撫でた。
だが、緊張した目だけは闇の中で警戒の色をより一層濃くしたように見える。

「アリサ、あのサイトの管理人は新しい宗教でも開いた方がいいと思うんだよね」
「お前、ハンターの管理人を知っているのか」

 アリサの言った台詞は男が利用している、あるサイトの管理人のよく言う台詞と全く同じものだったのだった。
驚きを隠しきれていない男の眼を楽しみながら、アリサは公園の入り口から五十メートル程の所で立ち止まってしまった彼の周りをくるくると周りながら、

「でもあの管理人の言っていること、アリサ、結構好きなんだあ」
「もういい加減にしてくれ。何で井川を殺したいんだ。井川を殺すのに、どんな意味があるんだ」

 男はアリサの呟きを受け流し、困った時のように額に手を当てると、そのまま首を左右に振って見せた。
だが額に隠れて見え辛くなった男の両目からは後悔が見え隠れしており、加えて苛立ちを含ませた舌打ちが一度響いた。
アリサはそんな男をキョトンとした表情で見ながら、全く意味が分からない、といった様子で

「この世のどんなことにも意味なんてない。だからそれにも理由なんてない。
 楽しみたいだけだよ。限られた時間の中で、思う存分楽しみたいだけ」

「それには井川を殺すことが必要なのか。
 生憎、得体の知れない戯言に付き合ってる暇はないし、面倒事に巻き込まれたくもない」

「強いて言えば、楽しめないの、井川倖がいると。意外と面倒臭い人だね、向井君って。超期待外れ」

 アリサは男の開いた口が閉じるまで瞬き一つせずに睨み倒すと、残念そうに眉根を寄せ言った。
男はそれを黙って聞き流すとアリサに背を向け、公園の出口の方へ歩き出した。
アリサはそれを親指の爪を噛みながら見ていたが、突然大きなため息をつくと

「だって愛しているんだもん、アリサ。誠大さんのこと!」

 集まった空気の層が声の震えによってバラバラに散らばっていくように、これまで淡い闇の中にあった公園内の雰囲気が変わったようだった。
それほど彼女の声は通り抜ける風のように真っ直ぐで、芯の通ったものだった。
だが男は項垂れたまま立ち止まり、右手で自身の右肩を力強く掴むと、そのままゆっくりと振り返って言った。

「くだらない」

 アリサは全く表情を動かさず、男との間に視線を絡め合わせた。
どこかの烏が身勝手に朝を呼ぶように騒いでいる。
刺すような冷たい風が吹いて、顔にかかる髪を直そうとアリサが手を動かした時、男はタイミングを待っていたかのように目線を外した。

「しかし、やはり分からない。そんな理由で何故殺すまでしたいんだ」
「気持ち良かったんでしょ、さっき。お父さん殺したとき」

 男はまた面倒臭そうにため息をつくと、首を振った。
「また脅迫でもするつもりか」

「だから違うってば。あの興奮と、あのスリル。骨の砕ける音もアリサに響いた。何もかもあなたと体感したつもりだってことだよ。だから同じことじゃない」

「同じこと?」
「そ、同じこと」

 沸きあがってくる楽しさに耐えられないのか、アリサの押し殺した笑い声が閉じられた唇から漏れ出る。
男は先程よりもずっと引き締まった表情でそれを聞きながら、手を腰に当て自らの足元に唾を吐いた。

「どちらがより、自分にとって生の充実になるか知ってるってことだよ。殺していなくなっちゃった方がもっと気持ちいいもん。どうせなら気持ち良い方が良いでしょ。向井君だって、何をすれば自分にとって一番良いのか、それには何が必要なのか、分かっているから殺すんでしょ」

 真っ暗なアイラインに強調されて大きく見える彼女の黒目は、ナトリウム灯を反射させて淡く茶色く透き通るように光っている。
そして頬を少し紅潮させて自信が漲った時のように引き締まった表情をしているアリサを、静物をただ見つめるように眺めながら、男は左手を握ったり開いたりしている。
それは男の期待が高ぶった時の癖であった。

「それにこれがアリサだけじゃなくて誰かの充実に繋がるのなら、ほら、一石二鳥じゃない。ね、だから殺して」
「参ったね」

 アリサの猫撫で声とわざとらしい上目遣いに呆れた笑みを浮かべながら、男はあながち満更でもなさそうに言った。
そして少々気を許した様子で

「だが、どちらにせよ人生に意味などないというのなら、その殺しにも意味などないのだろう。強いて言って楽しめないだけというなら、そこまで井川を消すことに拘らなくてもいいじゃないか。エネルギーの無駄だよ。だって結局お前さんの言っている根本にあるのは、誠大と両想いになれればいいというだけのことだろう」



連載中にも関わらず、非常に長い間間をあけてしまい申し訳ありませんでした。これからも断続的な更新となってしまうと思いますが、どうぞ宜しくお願いいたしますっ。
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